世界の認知戦事例──中国・欧米・アジア・日本の情報操作と分断

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世界の認知戦事例──中国・欧米・アジア・日本の情報操作と分断

本記事は、連載「認知戦・認知バイアス・ストローマン論法──メディア、政治家、知識人が社会に及ぼす影響と対策」全7回の第4回である。今回は、中国、欧米、アジア、日本における認知戦と情報操作の事例を比較し、台湾への認知戦、国際社会へのナラティブ形成、選挙や安全保障をめぐる情報干渉、日本社会に見られる切り取り、同調圧力、権威への依存について解説する。

なお、本記事で扱う中国の認知戦とは、中国政府、中国共産党、軍、関係機関などによる活動を指すものであり、中国人一般、中国社会、中国文化を一括して論じるものではない。国家や党、軍、情報機関、関連組織による対外的活動を分析することと、民族や国籍に基づく偏見を広げることは、明確に区別しなければならない。

はじめに──認知戦は「遠い国の話」ではない

認知戦という言葉を聞くと、多くの人は、軍事、諜報、サイバー攻撃、国家間対立といった特殊な領域を思い浮かべるかもしれない。しかし現代の認知戦は、戦場だけで行われるものではない。選挙、SNS、テレビ報道、動画配信、学術的言説、宗教団体、文化交流、経済関係、移民、災害、感染症、安全保障、歴史認識など、社会のあらゆる領域に入り込む。認知戦の目的は、必ずしも相手国の市民に特定の政策を支持させることだけではない。より重要なのは、相手社会の信頼を壊し、分断を深め、判断を鈍らせ、行動を遅らせることである。

第1回では、認知戦とは人間の知覚、感情、記憶、信念、判断、意思決定に働きかける活動であることを確認した。第2回では、認知バイアスが人を動かす仕組みを見た。第3回では、メディア、政治家、知識人、専門家、SNS、生成AIが、世論形成にどのような影響を与えるかを考察した。第4回では、これらの理論をもとに、世界の具体的事例を検討する。

重要なのは、各国を単純な善悪で評価しないことである。認知戦を分析する際には、誰が主体なのか、目的は何か、どのような手段が使われているのか、どの経路で拡散されるのか、社会にどのような影響を与えるのかを、できる限り検証可能な根拠に基づいて見る必要がある。

中国による台湾への認知戦

中国による台湾への認知戦は、現代における代表的な事例の一つである。台湾は軍事的圧力、外交的孤立化、経済的依存、サイバー攻撃、偽情報、SNS操作、メディア影響、統一戦線工作など、複数の手段が組み合わされた複合的な圧力にさらされている。ここで重要なのは、中国の対台湾政策が、単なる宣伝活動ではなく、軍事、外交、経済、社会、文化、宗教、メディアを横断する長期的な影響工作として展開されている点である。

台湾をめぐる認知戦の目的は、第一に、台湾社会の抵抗意思を弱めることである。「戦えば台湾は壊滅する」「米国は台湾を見捨てる」「独立志向の政治家は戦争を招く」「中国との統一は歴史の必然である」といったナラティブは、台湾市民の心理に不安と諦めを生み出す。第二に、台湾内部の分断を深めることである。政党間対立、世代間対立、本省人・外省人の歴史的感情、経済格差、地域差、対中ビジネス利害などが利用される。第三に、国際社会に対して「台湾問題は中国の内政問題である」という認識を浸透させることである。

台湾当局は、中国が生成AIを用いて偽情報や分断的メッセージを強化していると指摘しており、台湾の国家安全当局は、政治的に敏感な時期にSNS上で大量の論争的メッセージが検出されたと説明している。報道によれば、台湾側は、こうした活動を「認知戦」として捉え、中国によるグレーゾーン圧力や情報操作と結びつけて警戒している。

統一戦線工作とは何か

中国の対外的影響工作を考えるうえで避けて通れないのが、統一戦線工作である。統一戦線とは、中国共産党が党外勢力、華僑・華人社会、宗教団体、企業、学術界、地方有力者、友好団体、文化交流組織などを通じて、党の目的に沿った環境を形成するための政治的手法である。これは必ずしも露骨な宣伝や命令として現れるわけではない。むしろ、交流、友好、経済協力、文化行事、宗教行事、研究協力、人的ネットワークを通じて、相手社会の認識や行動を少しずつ変えていく点に特徴がある。

台湾では、地域有力者、宗教団体、地方政治家、メディア、ネット上の発信者などが影響工作の対象となることが指摘されている。特に、選挙前に地方関係者を中国へ招待する、宗教交流を通じて親中感情を育てる、台湾の特定政党や候補者に有利な空気をつくる、といった手法が報じられてきた。統一戦線工作の特徴は、軍事的威嚇のように一目で分かるものではなく、社会の内部ネットワークを通じて「自然な意見」「地域の声」「経済界の現実論」「文化的親近感」として現れる点にある。

この種の活動を分析する際には、慎重さが必要である。中国との交流、華人社会との関係、文化的つながり、経済協力のすべてを疑うべきではない。しかし、国家や党が戦略的意図をもって関与し、相手社会の政治判断、選挙、メディア、世論、安全保障意識へ影響を及ぼそうとする場合、それは通常の交流とは区別されるべきである。

中国の国際社会向けナラティブ形成

中国の認知戦は、台湾だけを対象にしているわけではない。国際社会に対しても、中国は自国の統治モデル、経済発展、国際秩序観、歴史認識、安全保障観をめぐるナラティブ形成を行っている。たとえば、「中国は発展途上国の代表である」「西側は覇権主義であり、中国は多極化を支える」「中国の制度は安定と発展をもたらす」「人権や民主主義は西側の価値観の押し付けである」といった言説は、国際世論において一定の影響力を持つ。

こうしたナラティブは、必ずしも全面的な虚偽によって成り立つわけではない。欧米諸国の植民地主義、二重基準、イラク戦争、金融危機、国内分断などを批判する材料は実際に存在する。中国の情報戦略は、これらの現実の不満を利用し、「西側の主張は偽善であり、中国の立場こそ合理的である」という構図を作る。ここに認知戦の巧妙さがある。完全な嘘ではなく、相手の弱点、矛盾、不満を選択的に強調することで、自国に有利な認識を形成するのである。

日本にとって問題となるのは、こうした国際的ナラティブが、日本国内の安全保障、経済、移民、土地取得、大学・研究機関、メディア言説にも影響を及ぼし得る点である。日本社会が中国政府・中国共産党による活動と、中国人一般を区別しつつ、国家安全保障上のリスクを冷静に分析できるかどうかが問われている。

ロシアによる欧米社会への情報干渉

欧米における認知戦の代表例として、ロシアによる情報干渉がある。特に2016年の米国大統領選挙をめぐるロシアの活動は、世界に大きな衝撃を与えた。米国情報機関による2017年の評価では、ロシア政府が米国選挙に影響を与える目的で、サイバー活動、情報流出、SNS上の影響工作、国営メディアによる発信などを組み合わせたとされた。

ロシア型の認知戦の特徴は、特定候補への支持や反対だけではなく、民主主義制度そのものへの信頼を低下させる点にある。選挙は不正である、主流メディアは嘘をついている、政府は国民を欺いている、社会は内戦寸前である、専門家は信用できない、といったメッセージは、民主主義社会の信頼基盤を揺さぶる。ここで重要なのは、こうしたメッセージが必ずしもゼロから作られるわけではないことである。既に存在する不信、怒り、階級対立、人種対立、地域差、文化対立を増幅するのである。

2024年の米国選挙をめぐっても、米国当局者はロシア、中国、イランなど複数の外国主体による影響工作への警戒を示した。報道によれば、米情報当局者は、ロシアの目的として、米国の民主制度への信頼低下、社会的分断の拡大、ウクライナ支援の弱体化などを挙げている。

米国の選挙と政治的分断

米国は、自由な言論、多様なメディア、活発な政治参加を持つ一方で、認知戦に対して脆弱な面も持つ。理由は、社会の分断がすでに深いためである。保守とリベラル、都市と地方、白人と非白人、富裕層と労働者層、宗教的価値観と世俗的価値観、移民をめぐる対立、銃規制、人工妊娠中絶、ジェンダー、外交政策など、多くの争点がアイデンティティと結びついている。

外国による情報干渉は、この分断を利用する。ある陣営にだけ有利な情報を流すだけではない。両陣営に過激な情報を流し、互いへの憎悪を深めることもある。右派には「国家が奪われている」という物語を、左派には「民主主義が破壊されている」という物語を強化する。どちらの側にも、自分たちこそ真実を見ているという確信を与える。すると、社会全体としては、共通の事実認識が失われる。

SNS上では、外国主体、国内政治勢力、インフルエンサー、匿名アカウント、アルゴリズム、生成AIが複雑に絡み合う。誰が最初に発信したのか、誰が増幅したのか、自然な拡散なのか、組織的な操作なのかを見極めることはますます難しくなっている。2024年米国選挙を対象とした研究でも、X、Facebook、Telegramなど複数プラットフォームをまたぐ協調的な不正行動や、低信頼情報、陰謀論的内容の拡散が指摘されている。

欧州におけるFIMI対策

欧州では、ロシアによる情報操作、ウクライナ侵攻をめぐるプロパガンダ、選挙干渉、移民問題をめぐる分断、極右・極左への影響工作などを背景に、FIMI、すなわち外国による情報操作・干渉への対策が進められている。FIMIとは、単なる偽情報ではなく、外国の国家または国家関連主体が、意図的かつ協調的に情報環境を操作し、民主的手続き、社会的信頼、安全保障に悪影響を与える活動を指す概念である。欧州対外行動庁は、FIMIを情報空間における重要な安全保障課題として位置づけている。

欧州の対策で注目すべき点は、偽情報の内容だけでなく、行動パターンを見ることである。つまり、「この投稿は真実か嘘か」だけではなく、「誰が、どのタイミングで、どのネットワークを使って、どの言語で、どの対象に向けて、どのように拡散しているのか」を分析する。これは認知戦対策において非常に重要である。なぜなら、情報操作は一つ一つの投稿内容ではなく、全体としての行動パターンによって成立するからである。

ただし、欧州の偽情報対策には課題もある。政府やEU機関が情報の真偽や有害性を判断する場合、言論の自由との緊張が生じる。偽情報対策が、政府批判や少数意見の抑圧に使われてはならない。認知戦への対策は必要だが、それが新たな認知統制になってはならない。このバランスは、日本にとっても重要な論点である。

台湾の市民社会と情報防衛

台湾は、中国からの認知戦にさらされる一方で、市民社会による情報防衛の実験場にもなっている。台湾では、ファクトチェック団体、デジタル市民社会、政府の透明性、迅速な訂正、メディア・リテラシー教育などを組み合わせた対応が模索されてきた。特徴的なのは、単に政府が「これは偽情報だ」と上から否定するのではなく、市民社会や技術コミュニティが参加し、拡散の前に文脈を補い、ユーモアや分かりやすい説明を用いて対抗する点である。

台湾の経験から学べることは、認知戦への防御が政府だけでは成立しないということである。政府機関、メディア、研究者、市民団体、プラットフォーム、教育機関、一般市民が、それぞれの役割を持つ必要がある。国家安全保障の観点から警戒しつつ、社会全体として冷静に情報を読み解く力を育てることが不可欠である。

台湾のケースは、日本にとって特に重要である。台湾有事は日本の安全保障に直結する可能性が高い。台湾をめぐる情報操作は、日本国内の世論にも影響を与え得る。「日本は巻き込まれるべきではない」「米国は信用できない」「台湾防衛は無意味である」「中国を刺激するな」といった言説の中には、正当な政策論もあれば、認知戦的に利用され得るものもある。重要なのは、意見の違いを認めつつ、背後にある情報源、拡散経路、ナラティブを検証することである。

韓国における政治的分断と情報操作

韓国は、民主化以降、活発な政治参加と強い市民運動を持つ一方で、政治的分断も激しい社会である。保守と進歩、対北朝鮮政策、対米関係、対日関係、歴史認識、ジェンダー、世代間対立などが、選挙やメディア言説に大きく影響している。韓国では、国内政治勢力によるオンライン世論操作や、外国による影響工作への懸念が繰り返し議論されてきた。

韓国の事例が示すのは、認知戦が外国からの干渉だけではなく、国内政治の過熱とも結びつくという点である。国内の対立が激しければ、外部勢力はその対立に乗るだけでよい。すでに存在する怒り、不信、歴史感情、世代差を刺激すれば、社会は自ら分断を深める。これは日本にとっても教訓である。日本国内の政治的対立、歴史認識、対中・対韓感情、安全保障論争が感情化すれば、外国からの情報操作はそこに容易に入り込む。

フィリピンと南シナ海をめぐる情報戦

フィリピンは、南シナ海をめぐる中国との対立の中で、情報戦の影響を受けている。中国海警局や海上民兵による圧力、領有権をめぐる主張、映像の公開、国際法上のナラティブ、国内世論の誘導などが複雑に絡み合う。南シナ海をめぐる認知戦の目的は、単に領有権を主張することではない。相手国の行動を挑発的に見せ、自国の行動を防衛的に見せ、国際社会に「紛争は複雑であり、外部勢力は関与すべきではない」という印象を与えることでもある。

フィリピンのケースでは、映像公開が重要な役割を果たしている。海上での衝突、放水、接近、警告などをどの角度から、どのタイミングで、どの文脈で見せるかによって、国際世論の受け止め方は変わる。認知戦は文章だけではない。映像、地図、衛星画像、声明、SNS投稿、外交発言が組み合わされる。日本も東シナ海、尖閣諸島、台湾海峡をめぐる情報戦において、映像とナラティブの重要性を認識する必要がある。

シンガポールの制度的対応

シンガポールは、多民族・多宗教国家であり、外国からの影響工作、宗教対立、民族間対立、偽情報に対して強い警戒心を持っている。政府は、社会的調和と国家安全保障を重視し、オンライン上の虚偽情報や外国干渉に対する制度的対応を整備してきた。シンガポールの特徴は、情報操作を単なる言論問題ではなく、国家の生存と社会統合の問題として捉えている点である。

ただし、シンガポール型の対応には、自由と統制のバランスという課題がある。強い法制度は、迅速な対応を可能にする一方で、政府に過度な判断権を与える危険もある。日本が学ぶべきなのは、同じ制度をそのまま導入することではない。むしろ、多民族・多文化社会において、外国干渉、宗教対立、民族的感情、情報操作がいかに社会の安定を揺るがすかという問題意識である。

インドの巨大情報空間

インドは、世界最大級の民主主義国家であり、巨大なSNS利用者を抱える情報空間である。宗教、カースト、言語、地域、政党、隣国関係をめぐる情報対立が激しく、偽情報、政治宣伝、ナショナリズム、宗教的感情が組み合わさる。インドの事例は、認知戦が先進国だけの問題ではなく、人口規模、デジタル普及、社会的多様性が大きい国ほど深刻化し得ることを示している。

インドでは、国内政治の動員、宗教的対立、パキスタンや中国との安全保障対立、ディアスポラ、英語圏メディア、地域言語メディアが複雑に交差する。ここでは、情報操作が単一の国家主体によるものとは限らない。政党、宗教団体、支持者ネットワーク、外国勢力、商業的インフルエンサーが入り混じる。日本にとっても、今後、外国人労働者、留学生、宗教的多様性、移民政策をめぐる情報空間が拡大すれば、同様の課題が生じ得る。

日本社会における認知戦の脆弱性

日本社会は、欧米のような激しい政治的分断が相対的に目立ちにくい一方で、別の脆弱性を持っている。それは、同調圧力、場の空気、権威への依存、切り取り報道への弱さ、議論の回避である。日本では、ある空気が形成されると、それに反する意見を述べにくくなる。メディア、専門家、官僚、政治家、著名人が一定方向の見解を示すと、それが「常識」として受け止められやすい。反対意見を出す人は、しばしば「空気を読まない人」「過激な人」「陰謀論者」「冷たい人」と見なされる。

これは、認知戦において重大な弱点となる。なぜなら、外部からの情報操作は、必ずしも大規模な偽情報キャンペーンとして現れるとは限らないからである。むしろ、既存の空気に沿った情報を少しずつ流し、メディアやSNSがそれを増幅し、専門家が解説し、市民が「みんなそう言っている」と感じることで、社会の認識は変化する。日本では、明確な対立よりも、沈黙と忖度によって認知が形成される場合がある。

切り取り報道と日本の世論形成

日本のメディア環境において、切り取り報道は大きな問題である。政治家の発言、専門家のコメント、国会答弁、記者会見、SNS投稿などが、一部だけ取り出され、見出しや短い映像として流通する。発言全文を読めば条件や留保がある場合でも、切り取られた表現だけが拡散されると、受け手はその人物の意図を誤解する。

切り取り報道は、ストローマン論法と結びつきやすい。相手の発言を最も悪く見える形で提示し、そのうえで批判する。すると、視聴者や読者は相手の実際の主張ではなく、メディアやSNSが作った相手像を攻撃することになる。これは第3回で見た通り、対話を破壊する。

日本では、テレビの影響力が依然として大きい世代と、SNSを中心に情報を得る世代が併存している。テレビで切り取られた映像がSNSで拡散され、SNSで炎上した話題がテレビで取り上げられる。こうして、メディアとSNSが相互に増幅し、感情的な世論が形成される。この構造は、外国からの認知戦だけでなく、国内政治や社会問題にも影響する。

権威への依存と専門家言説

日本社会では、専門家、官僚、大学教授、医師、弁護士、元外交官、元自衛官、新聞記者、テレビ解説者などの肩書が強い影響力を持つ。専門家の知見は不可欠である。しかし、権威への依存が強すぎると、市民は自分で根拠を確認することをやめてしまう。専門家が言っているから正しい、政府が発表しているから安全、大手メディアが報じているから事実、という思考は、認知戦に対する防御力を弱める。

問題は、専門家が常に間違うということではない。むしろ、専門家は必要である。重要なのは、専門家の発言がどの領域の専門性に基づくのか、どのデータを使っているのか、どの不確実性があるのか、利益相反はないのか、反対説をどう扱っているのかを確認することである。権威を尊重しつつ、権威に判断を丸投げしない。この姿勢が、日本社会の認知防衛には欠かせない。

日本の安全保障と認知戦

日本にとって、認知戦は安全保障そのものである。台湾有事、尖閣諸島、北朝鮮のミサイル、ロシアの極東軍事活動、サイバー攻撃、外国資本による土地取得、重要インフラ、大学・研究機関、半導体、通信、エネルギー、移民政策など、認知戦の対象となり得る領域は広い。防衛省も、認知領域を含む情報戦への対応を安全保障上の課題として位置づけている。

日本への認知戦は、必ずしも「日本を攻撃する」と明示されるわけではない。むしろ、「日本は何もしないほうが安全だ」「安全保障を論じる者は危険だ」「外国資本を警戒するのは排外主義だ」「同盟国は信用できない」「中国と対立すること自体が愚かだ」「防衛力強化は戦争準備だ」といった言説として現れる可能性がある。もちろん、これらの中には正当な政策論や懸念も含まれる。だからこそ、重要なのは、意見そのものを禁止することではなく、その情報源、論理、根拠、拡散経路、ナラティブを検証することである。

認知戦の主体・目的・手段・経路・影響を見る

世界の事例を比較すると、認知戦を分析するためには五つの視点が必要である。

第一に、主体である。国家、政党、軍、情報機関、企業、メディア、インフルエンサー、市民団体、宗教団体、匿名アカウント、生成AIボットなど、誰が関与しているのかを見る必要がある。第二に、目的である。選挙結果を変えるのか、社会を分断するのか、政策決定を遅らせるのか、抵抗意思を弱めるのか、国際世論を誘導するのかを区別する必要がある。第三に、手段である。偽情報、切り取り、リーク、ハッキング、ボット、広告、文化交流、学術交流、宗教交流、経済圧力、映像、ミーム、生成AIなどが使われる。

第四に、拡散経路である。国営メディア、国内メディア、SNS、動画サイト、メッセージアプリ、海外メディア、専門家コメント、インフルエンサー、検索エンジン、大学、シンクタンク、地域団体などを通じて情報は流れる。第五に、社会的影響である。信頼の低下、分断、沈黙、政策遅延、過剰反応、差別、排外主義、無力感、陰謀論、民主主義への不信が生じるかを見る必要がある。

この五つの視点を持たなければ、認知戦の分析は単なる陰謀論か、逆に過度な楽観論に陥る。認知戦を見抜くとは、疑い深くなることではない。構造的に見ることである。

各国を単純な善悪で見ない

認知戦を論じる際に最も危険なのは、各国を単純な善悪で分類することである。中国、ロシア、欧米、日本、アジア諸国のいずれにも、情報操作、宣伝、世論誘導、政治的フレーミングは存在する。ただし、だからといって「どの国も同じ」と相対化してよいわけではない。国家体制、言論の自由、メディアの独立性、司法の独立、選挙制度、市民社会の強さ、情報公開、訂正可能性には大きな違いがある。

民主主義社会にも情報操作はある。しかし、自由な報道、野党、司法、市民団体、研究者、内部告発、選挙による政権交代が機能すれば、誤りを訂正する余地がある。一方、権威主義体制では、国家が情報空間を統制し、国内外へ一貫したナラティブを発信しやすい。重要なのは、善悪のラベルではなく、制度の透明性、訂正可能性、権力監視の有無を見ることである。

今回のまとめ

第4回では、中国、欧米、アジア、日本における認知戦と情報操作の事例を比較した。中国による台湾への認知戦では、軍事的圧力、偽情報、生成AI、統一戦線工作、国際ナラティブ形成が組み合わされている。ロシアによる欧米社会への情報干渉では、選挙への影響だけでなく、民主主義制度への信頼低下、社会的分断の拡大、ウクライナ支援の弱体化が狙われている。米国では、既存の政治的分断が外国からの情報操作に利用されやすい。欧州では、FIMIという概念のもとで、情報の内容だけでなく、行動パターンやネットワークを分析する対策が進められている。

アジアでは、台湾、韓国、フィリピン、シンガポール、インドが、それぞれ異なる形で認知戦と情報操作の課題に直面している。日本では、切り取り報道、同調圧力、場の空気、権威への依存、議論の回避が、認知戦への脆弱性となり得る。日本にとって認知戦は、外交や軍事だけでなく、メディア、教育、政治文化、市民の情報行動に関わる総合的な課題である。

認知戦を見抜くためには、各国を単純な善悪で評価するのではなく、主体、目的、手段、拡散経路、社会的影響を検証する必要がある。最も重要なのは、外国からの情報操作を警戒しながらも、自国社会の認知バイアスにも目を向けることである。外部からの認知戦は、内部にある不信、怒り、沈黙、分断を利用する。したがって、認知戦への最大の防御は、健全な議論、透明性、訂正可能性、異論を許容する社会文化を育てることである。

次回予告

次回は、「認知戦が社会を壊す仕組み──分断・不信・沈黙が民主主義を弱らせる」をテーマに、認知戦が社会に与える長期的影響を考察する。政府、メディア、科学、司法、選挙への信頼がどのように失われるのか、ストローマン論法によって対話がどのように破壊されるのか、市民自身が情報操作の増幅者になってしまう危険について扱う。また、分断、不信、沈黙が民主主義をどのように弱体化させるのかを、欧米、アジア、日本の事例を踏まえて検討する。

連載総合案内

本連載全体の構成は、以下の記事にまとめている。

認知戦・認知バイアス・ストローマン論法──メディア、政治家、知識人が社会に及ぼす影響と対策【全7回・総合案内】

参考文献・関連資料

European External Action Service. (n.d.). Information integrity and countering foreign information manipulation and interference.

Office of the Director of National Intelligence. (2017). Assessing Russian activities and intentions in recent US elections.

Kahneman, D. (2011). Thinking, fast and slow. Farrar, Straus and Giroux.
カーネマン,D.(村井章子訳)(2012)『ファスト&スロー――あなたの意思はどのように決まるか?』早川書房.

Wardle, C., & Derakhshan, H. (2017). Information disorder: Toward an interdisciplinary framework for research and policy making. Council of Europe.

Sunstein, C. R. (2017). #Republic: Divided democracy in the age of social media. Princeton University Press.

NATO Allied Command Transformation. (n.d.). Cognitive warfare.

防衛省「認知領域を含む情報戦への対応」

台湾国家安全関連機関・デジタル発展部関連資料

Reuters, Associated Press, The Guardian, Politico などによる各国情報操作・選挙干渉関連報道。

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投稿者プロフィール

市村 修一
市村 修一
【略 歴】
茨城県生まれ。
明治大学政治経済学部卒業。日米欧の企業、主に外資系企業でCFO、代表取締役社長を経験し、経営全般、経営戦略策定、人事、組織開発に深く関わる。その経験を活かし、激動の時代に卓越した人財の育成、組織開発の必要性が急務と痛感し独立。「挑戦・創造・変革」をキーワードに、日本企業、外資系企業と、幅広く人財・組織開発コンサルタントとして、特に、上級管理職育成、経営戦略策定、組織開発などの分野で研修、コンサルティング、講演活動等で活躍を経て、世界の人々のこころの支援を多言語多文化で行うグローバルスタートアップとして事業展開を目指す決意をする。

【背景】
2005年11月、 約10年連れ添った最愛の妻をがんで5年間の闘病の後亡くす。
翌年、伴侶との死別自助グループ「Good Grief Network」を共同設立。個別・グループ・グリーフカウンセリングを行う。映像を使用した自助カウンセリングを取り入れる。大きな成果を残し、それぞれの死別体験者は、新たな人生を歩み出す。
長年実践研究を妻とともにしてきた「いきるとは?」「人間学」「メンタルレジリエンス」「メンタルヘルス」「グリーフケア」をさらに学際的に実践研究を推し進め、多数の素晴らしい成果が生まれてきた。私自身がグローバルビジネスの世界で様々な体験をする中で思いを強くした社会課題解決の人生を賭ける決意をする。

株式会社レジクスレイ(Resixley Incorporated)を設立、創業者兼CEO
事業成長アクセラレーター

【専門領域】
・レジリエンス(精神的回復力) ・グリーフケア ・異文化理解 ・グローバル人財育成 
・東洋哲学・思想(人間学、経営哲学、経営戦略) ・組織文化・風土改革  ・人材・組織開発、キャリア開発
・イノベーション・グローバル・エコシステム形成支援

【主な著書/論文/プレス発表】
「グローバルビジネスパーソンのためのメンタルヘルスガイド」kindle版
「喪失の先にある共感: 異文化と紡ぐ癒しの物語」kindle版
「実践!情報・メディアリテラシー: Essential Skills for the Global Era」kindle版
「こころと共感の力: つながる時代を前向きに生きる知恵」kindle版
「未来を拓く英語習得革命: AIと異文化理解の新たな挑戦」kindle版
「グローバルビジネス成功の第一歩: 基礎から実践まで」Kindle版
「仕事と脳力開発-挫折また挫折そして希望へ-」(城野経済研究所)
「英語教育と脳力開発-受験直前一ヶ月前の戦略・戦術」(城野経済研究所)
「国際派就職ガイド」(三修社)
「セミナーニュース(私立幼稚園を支援する)」(日本経営教育研究所)

【主な研修実績】
・グローバルビジネスコミュニケーションスキルアップ ・リーダーシップ ・コーチング
・ファシリテーション ・ディベート ・プレゼンテーション ・問題解決
・グローバルキャリアモデル構築と実践 ・キャリア・デザインセミナー
・創造性開発 ・情報収集分析 ・プロジェクトマネジメント研修他
※上記、いずれもファシリテーション型ワークショップを基本に実施

【主なコンサルティング実績】
年次経営計画の作成。コスト削減計画作成・実施。適正在庫水準のコントロール・指導を遂行。人事総務部門では、インセンティブプログラムの開発・実施、人事評価システムの考案。リストラクチャリングの実施。サプライチェーン部門では、そのプロセス及びコスト構造の改善。ERPの導入に際しては、プロジェクトリーダーを務め、導入期限内にその導入。組織全般の企業風土・文化の改革を行う。

【主な講演実績】
産業構造変革時代に求められる人材
外資系企業で働くということ
外資系企業へのアプローチ
異文化理解力
経営の志
商いは感動だ!
品質は、タダで手に入る
利益は、タダで手に入る
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古典に学ぶ経営
論語と経営
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など
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