メディア・政治家・知識人による認知戦──ストローマン論法と世論操作
本記事は、連載「認知戦・認知バイアス・ストローマン論法──メディア、政治家、知識人が社会に及ぼす影響と対策」全7回の第3回である。今回は、メディア、政治家、知識人が人々の認知や世論形成にどのような影響を与えるのかを検討したうえで、切り取り報道、ラベリング、二分法、権威バイアス、ストローマン論法が社会的判断を歪める仕組みについて解説する。
はじめに──世論は自然に生まれるのか
私たちは、社会の出来事を自分の目で見て、自分の頭で考え、自分自身の判断によって意見を形成していると考えがちである。しかし、多くの場合、私たちが知る社会の現実は、直接経験したものではない。政治、外交、安全保障、経済、移民、感染症、災害、教育、犯罪、国際紛争について、私たちは主にメディア、政治家、専門家、知識人、SNS、動画、インフルエンサーを通じて知っている。つまり、私たちが「現実」と呼ぶもののかなりの部分は、誰かによって選択され、編集され、説明され、意味づけられた現実である。ここに、認知戦、認知バイアス、ストローマン論法が入り込む余地がある。
第1回では、認知戦とは人間の知覚、感情、記憶、判断、意思決定に働きかける活動であることを確認した。第2回では、確証バイアス、利用可能性ヒューリスティック、権威バイアス、内集団バイアス、真実錯覚効果、フレーミング、アジェンダ設定、ナラティブが、人間の判断をどのように動かすのかを見た。第3回では、それらの心理的仕組みが、メディア、政治家、知識人、専門家、SNS、インフルエンサー、生成AIによってどのように利用され、また無自覚に増幅されるのかを考察する。重要なのは、特定のメディア、政治家、知識人だけを「操作する側」として断罪することではない。むしろ、現代の情報環境では、発信者と受け手の双方が、意図的または無自覚に世論形成の構造へ参加しているという点である。
メディアは現実をそのまま映す鏡ではない
メディアは、社会において極めて重要な役割を担っている。権力を監視し、災害や事故を知らせ、政策を検証し、市民が判断するための材料を提供する。報道の自由がなければ、民主主義は機能しない。しかし、メディアは現実をそのまま映す透明な鏡ではない。なぜなら、世界で起きているすべての出来事を報道することは不可能だからである。メディアは必ず、どの出来事を取り上げ、どの出来事を取り上げないかを選択する。どの順番で報じるか、どの専門家に解説させるか、どの映像を使うか、どの見出しを付けるか、どの論点を中心に置くかによって、読者や視聴者が受け取る現実の形は大きく変わる。
この選択は、必ずしも悪意によって行われるわけではない。ニュースには時間と紙面の制約があり、視聴者や読者の関心を引く必要があり、限られた取材体制の中で情報を整理しなければならない。また、報道機関には編集方針、組織文化、過去の報道姿勢、想定読者、広告収入、視聴率、記者クラブ、情報源との関係などが存在する。これらが重なることで、個々の記者が誠実に取材していても、報道全体として一定の方向へ偏ることがある。認知戦や認知バイアスを考える際には、「メディアが嘘をついているかどうか」だけでは不十分である。むしろ、どの事実が選ばれ、どの事実が選ばれず、どの文脈で提示されているのかを見なければならない。
見出しは読者の認知を先取りする
ニュース記事やテレビ番組において、見出しは極めて強い力を持つ。多くの読者は本文を最後まで読まない。SNSで記事が共有される場合、見出しだけを見て内容を判断することも多い。見出しは単なる要約ではない。読者に「これは何についての話なのか」「誰が問題なのか」「どの感情で読むべきなのか」を先取りして示す。たとえば、ある政治家の発言について、「慎重姿勢を示す」と見出しを付けるか、「消極姿勢に批判」と見出しを付けるかで、読者の印象は変わる。政策についても、「安全確保のための規制」と書くか、「自由を制限する新制度」と書くかで、同じ事実が異なる意味を帯びる。
見出しが問題になるのは、本文の内容よりも強い印象を読者に与える場合である。本文を読めば複数の留保や背景が書かれているにもかかわらず、見出しだけが攻撃的であったり、断定的であったり、感情を刺激する表現になっていることがある。これは意図的な操作である場合もあれば、読者の関心を引くための編集上の慣行である場合もある。しかし、結果として読者の認知は誘導される。認知戦の観点から見ると、見出しは「入口」である。入口で怒りや恐怖や軽蔑の感情が起動されると、その後に読む本文も、その感情に沿って解釈されやすくなる。
映像と写真は、事実以上の印象をつくる
映像や写真は、文章以上に強い印象を与える。テレビニュースである政治家の発言を扱うとき、どの表情を切り取るか、どの場面を流すか、どの順番で映像を並べるかによって、視聴者の受け止め方は大きく変わる。険しい表情、沈黙、苦笑、怒ったように見える瞬間だけを使えば、その人物は傲慢にも、不誠実にも、狼狽しているようにも見える。災害や犯罪の報道でも、特定の映像を繰り返し流せば、その出来事が社会全体を覆っているような感覚が生まれる。これは第2回で扱った利用可能性ヒューリスティックと深く関係している。
映像は「見たのだから事実だ」と感じさせる力を持つ。しかし、映像もまた編集されている。前後の文脈が省かれ、音声が短く切られ、別の場面と並べられ、解説の言葉によって意味づけられる。SNS上の短い動画では、この問題がさらに深刻になる。長い会見や演説の中から数十秒だけが切り取られ、その場面だけを見た人々が怒りや嘲笑を共有する。切り取り動画は、ストローマン論法の強力な材料となる。相手の実際の主張ではなく、最も悪く見える瞬間を相手全体の姿として示すことができるからである。
報道しないことによって生まれる偏り
メディアの偏りは、報道内容の誤りや表現の歪みによってだけ生じるわけではない。何を報道しないかによっても生じる。社会には常に無数の問題が存在する。ある問題が大きく報じられ、別の問題がほとんど報じられなければ、読者や視聴者は前者をより重要な問題だと感じる。これはアジェンダ設定の作用である。たとえば、短期的な政治家の失言やスキャンダルは大きく報じられやすい一方で、長期的な人口減少、教育の質、安全保障上の静かな脅威、外国資本による土地取得、サイバー空間での影響工作、地方行政の制度疲労などは、継続的に報じられにくい場合がある。
もちろん、報道されないことをすぐに「隠蔽」と決めつけるべきではない。取材資源の制約、専門知識の不足、ニュース価値の判断、読者の関心、編集方針など、さまざまな要因がある。しかし、報道されない問題は、市民の意識の中で存在しない問題になりやすい。認知戦の観点からは、何を語るかだけでなく、何を語らせないか、何に注目させないかも重要である。社会の注意資源は有限である。ある話題に怒りと関心が集中しているとき、別の重要な問題は視界の外へ押し出される。
解説者が与える「読み方」
ニュース番組や新聞記事では、出来事そのものだけでなく、その出来事をどう理解すべきかを解説する専門家やコメンテーターが登場する。彼らは複雑な問題を分かりやすく整理する役割を持つ。これは市民にとって有益である。しかし、解説者は単に事実を説明しているだけではない。どの論点を重視し、どの背景を紹介し、どの価値観から評価するかによって、出来事の読み方を提示している。視聴者はその解説を通じて、「この問題はこう理解すべきなのだ」と受け止める。
問題は、解説者の立場や限界が十分に明示されない場合である。専門家が専門領域を超えて政治的評価を述べることはある。元官僚、元外交官、元記者、大学教授、医師、弁護士、軍事専門家などの肩書は、視聴者に強い信頼感を与える。しかし、その発言が専門的知見なのか、個人的な価値判断なのか、政治的立場に基づく意見なのかは区別されなければならない。専門家の発言が常に中立であるわけではない。解説を聞く側には、「この人は何を専門としているのか」「どの証拠に基づいているのか」「反対意見をどう扱っているのか」という確認が必要である。
政治家の言葉は現実を単純化する
政治家は、複雑な社会問題を短い言葉で有権者へ伝えなければならない。政策には財源、副作用、制度設計、利害調整、国際環境、法的制約が関わる。しかし、選挙や国会討論、記者会見、SNS投稿では、短く分かりやすい言葉が求められる。そのため、政治家の言葉は現実を単純化しやすい。単純化そのものが悪いわけではない。市民に政策を伝えるには、分かりやすい説明が必要である。問題は、単純化が敵の創出、恐怖の煽動、相手の主張の歪曲へ向かう場合である。
政治家は、言葉によって敵と味方をつくる。「改革勢力」と「抵抗勢力」、「国民の味方」と「既得権益」、「現実主義」と「無責任」、「平和を守る勢力」と「戦争を望む勢力」、「安全を守る側」と「危険を放置する側」といった言葉は、政治的対立を分かりやすくする一方で、複雑な議論を二分法へ押し込める。人々は政策の中身を比較する前に、自分がどちらの陣営に属するかを判断しやすくなる。認知戦的な政治言説では、政策論争が事実と論理の検討ではなく、アイデンティティの確認になってしまう。
ラベリング──名前を付けることは認識を固定すること
ラベリングとは、人物、集団、政策、出来事に特定の名前や評価語を貼り付けることである。ラベルは理解を助ける。複雑な現象を短い言葉で整理できるからである。しかし、ラベルは同時に、認識を固定する。ある人物が一度「過激派」「差別主義者」「売国的」「陰謀論者」「体制側」「反日」「無責任」「危険人物」とラベルづけされると、その人物の発言はラベルを通して読まれるようになる。本人がどのような条件や留保を述べていても、ラベルに合う部分だけが注目される。
ラベリングは、ストローマン論法と結びつきやすい。相手の複雑な主張を理解する前に、相手を特定のラベルへ押し込めることで、その後の批判が容易になる。たとえば、安全保障政策について慎重な議論を求める人を「弱腰」と呼ぶ。移民政策について管理の必要性を指摘する人を「排外主義」と呼ぶ。財政規律を重視する人を「冷酷」と呼ぶ。社会保障の持続性を問う人を「弱者切り捨て」と呼ぶ。もちろん、本当に差別的、無責任、危険な主張は存在する。しかし、ラベルが先に立つと、相手が実際に何を述べたかを検討する姿勢が失われる。
二分法──「どちらか一つ」に追い込む技術
二分法とは、複雑な問題を二つの選択肢だけに分ける思考である。「賛成か反対か」「味方か敵か」「改革か後退か」「自由か管理か」「平和か戦争か」「国民か既得権益か」といった形で提示される。政治的コミュニケーションにおいて、二分法は強力である。人々に判断を迫り、立場を明確にさせ、支持者を動員できるからである。しかし、現実の政策課題は二択ではないことが多い。程度、条件、時期、制度設計、代替案、副作用、優先順位を考える必要がある。
認知戦や世論操作では、二分法によって中間的な議論が排除される。政策に慎重な人は反対派とされ、制度の改善を求める人は敵対者とされ、懸念を述べる人は妨害者とされる。すると、社会は熟議ではなく踏み絵の場になる。どちら側に立つのかを示すことが求められ、複雑な問いを立てる人は嫌われる。認知戦に強い社会とは、二分法に反射的に乗らない社会である。「本当に二択なのか」「第三の選択肢はないのか」「賛成だが条件があるという立場は可能か」「反対だが問題意識は共有できるのか」と問い直す力が必要である。
恐怖訴求──不安は支持を動員する
政治家はしばしば恐怖を用いる。治安が悪化する、国が侵略される、経済が崩壊する、伝統が壊される、自由が奪われる、弱者が見捨てられる、社会が分断される、といった訴えは有権者の注意を引く。恐怖訴求が常に不当であるわけではない。現実に危機がある場合、政治家がそれを警告することは責任である。安全保障、災害、感染症、財政危機、社会保障制度の持続性などについて、楽観論だけを語ることは不誠実である。
しかし、恐怖訴求が認知操作になるのは、危機の程度を過度に誇張し、証拠を示さず、冷静な比較を避け、反対意見を危機への加担として扱う場合である。恐怖は判断を狭める。人々は急いで安全を求め、強い言葉を使う指導者に惹かれやすくなる。恐怖に基づく政治言説を評価する際には、「危険は実在するのか」「どの程度の確率と規模なのか」「示された対策は本当に有効なのか」「別の副作用はないのか」「反対意見を封じるために恐怖が使われていないか」を確認する必要がある。
論点ずらし──答えているようで答えていない
論点ずらしとは、本来問われている問題に正面から答えず、別の話題へ移すことである。政治討論で非常によく見られる。たとえば、政策の失敗を問われた政治家が、過去の政権の失敗を持ち出す。具体的な疑惑を問われた人物が、自分への攻撃は政治的陰謀だと主張する。統計の誤りを指摘された解説者が、問題意識そのものは正しいと話を変える。論点ずらしは、受け手の注意を移動させる技術である。
論点ずらしが効果を持つのは、人間の注意が限られているからである。議論の途中で感情的な話題、過去の不満、別の敵、道徳的な非難が提示されると、聞き手は元の問いを忘れやすい。認知戦では、論点ずらしによって検証を困難にする。ある主張が反証されても、別の疑惑が提示される。別の疑惑が検証される前に、さらに別の話題が投入される。これが繰り返されると、人々は「何が本当か分からない」と感じるようになる。論点ずらしを見抜くには、常に「最初の問いは何だったのか」「その問いに答えているのか」を確認する必要がある。
スケープゴート化──複雑な問題に単純な犯人を与える
スケープゴート化とは、社会の複雑な問題の原因を、特定の個人や集団に押し付けることである。経済不安、治安不安、文化的変化、雇用の不安定化、地方の衰退、教育問題、社会保障の負担などは、多くの場合、複数の要因によって生じる。しかし、複雑な原因を説明するより、「あの集団が悪い」と言うほうが分かりやすく、感情に訴えやすい。スケープゴートは、人々の怒りや不安を一方向へ向ける装置である。
スケープゴート化は、左右を問わず起こり得る。外国人、移民、富裕層、官僚、メディア、専門家、政治家、若者、高齢者、都市住民、地方住民、特定国、特定宗教、特定産業など、さまざまな集団が標的になり得る。もちろん、特定の組織や集団が現実に問題を起こしている場合は批判されるべきである。しかし、問題は、個別の行為や制度の検証を超えて、集団全体が悪の原因として扱われることである。スケープゴート化は、問題解決を遠ざける。なぜなら、実際の原因分析と制度改革ではなく、敵への怒りで人々を満足させてしまうからである。
ストローマン論法──存在しない相手を攻撃する
ストローマン論法とは、相手の実際の主張を正確に扱わず、単純化、誇張、歪曲した別の主張へ置き換え、その弱くされた主張を攻撃する論法である。政治やメディアの世界では、これは非常に頻繁に見られる。ある人が「この制度には副作用があるため慎重に設計すべきだ」と述べたのに、「この人は困っている人を助けるなと言っている」と批判する。ある人が「安全保障上のリスクを考える必要がある」と述べたのに、「この人は戦争を望んでいる」と批判する。ある人が「移民政策には管理と統合が必要だ」と述べたのに、「この人は外国人を排除したいのだ」と批判する。これらは、相手の実際の主張ではなく、攻撃しやすい別の主張を作っている可能性がある。
ストローマン論法が広がると、社会は対話不能になる。なぜなら、人々は相手の本当の意見を理解しようとせず、自分の陣営が作った敵のイメージを攻撃するようになるからである。SNSでは、ストローマン論法がさらに拡散しやすい。短い投稿では相手の条件や留保が省かれ、怒りやすい形に加工される。切り取り動画、煽情的な見出し、ミーム、嘲笑的なコメントは、相手を単純で愚かな存在に見せる。ストローマン論法への防御は、相手を擁護することではない。相手を批判する前に、相手が本当にその主張をしたのかを確認することである。批判は必要である。しかし、存在しない主張への批判は、社会の知的基盤を壊す。
知識人と専門家はなぜ世論を動かすのか
知識人や専門家は、現代社会において不可欠な存在である。医療、経済、安全保障、法律、教育、環境、科学技術、国際関係などの問題は複雑であり、専門的知識なしに市民が判断することは難しい。専門家は、事実関係を整理し、研究成果を紹介し、政策の利点とリスクを説明し、感情的な議論を冷静にする役割を持つ。しかし、専門家の言葉は同時に、権威バイアスを通じて市民の判断を強く左右する。肩書を持つ人物が断言すると、多くの人は内容を十分に検証する前に信じやすい。
知識人や専門家の問題は、専門性そのものではない。問題は、専門性がどの範囲に及ぶのかが曖昧になることである。ある分野で優れた研究者であることは、すべての社会問題について正しい判断を保証しない。医療の専門家が経済政策について、経済学者が安全保障について、政治学者が感染症対策について、ジャーナリストが軍事技術について発言することは可能である。しかし、その場合は、専門的知見と個人的見解を区別しなければならない。視聴者や読者も、「この人はこの問題の専門家なのか」「発言は研究に基づくのか、価値判断なのか」を見極める必要がある。
専門外発言とメディア露出の危うさ
メディアは、分かりやすく話せる専門家を求める。テレビやネット番組では、短時間で断言でき、対立構図を理解しやすく説明できる人物が重宝される。慎重で、留保が多く、分からないことを分からないと言う専門家は、メディア向きではない場合がある。しかし、本来、専門的判断には不確実性が伴う。データには限界があり、研究には反対説があり、政策には副作用がある。にもかかわらず、メディア空間では、断言する専門家のほうが影響力を持ちやすい。
専門外発言が問題になるのは、専門家の肩書がそのまま別領域の権威として転用される場合である。視聴者は「有名な専門家が言っているのだから正しい」と感じる。しかし、実際には、その発言が専門領域を越えた政治的意見であることもある。さらに、メディア露出が増えると、専門家自身も自分の発言力を意識し、社会的役割や政治的立場を強めていく場合がある。専門家の社会的発言は必要である。しかし、専門家自身が自らの限界、不確実性、利益相反、価値判断を明示しなければ、権威は認知操作の道具になり得る。
利益相反──誰の利益と結びついているのか
知識人や専門家の発言を評価する際には、利益相反にも注意が必要である。利益相反とは、発言や判断に影響を与え得る経済的、組織的、政治的、人的な利害関係である。企業から研究資金を受けている、特定の政府機関や団体と関係がある、特定の政策を推進する委員会に参加している、出版や講演で利益を得ている、政治的運動に関わっている、といった事情は、発言内容を直ちに否定するものではない。しかし、受け手が発言を評価するためには、その背景が透明である必要がある。
利益相反は、単なる金銭問題に限られない。知的評判、所属集団への忠誠、過去の発言との一貫性、メディア上の立場、支持者からの期待も、発言を左右する。専門家は一度強い立場を示すと、後から修正することが難しくなる。誤りを認めると、支持者から裏切り者扱いされ、反対者から攻撃される可能性があるからである。認知戦に強い社会では、専門家に無謬性を求めるのではなく、根拠、限界、利益相反、訂正の姿勢を求める必要がある。
SNSは世論形成を民主化し、同時に過激化させた
SNSは、情報発信を民主化した。従来、世論形成の中心はテレビ、新聞、雑誌、政党、政府、大学、出版社などであった。しかし、SNSによって一般市民も、政治家やメディアに直接反論し、専門家の誤りを指摘し、現場の情報を発信し、社会問題を可視化できるようになった。これは大きな進歩である。既存メディアが取り上げなかった問題が、SNSを通じて社会的注目を集めることもある。権力の監視という点で、SNSは重要な役割を果たしている。
一方で、SNSは世論形成を過激化させる。短い投稿、即時反応、拡散数、いいね、炎上、フォロワー数は、情報の正確性よりも感情の強さを報酬化しやすい。怒り、嘲笑、恐怖、断言、敵味方の明確化は、慎重な分析よりも拡散されやすい。SNSでは、相手の主張を最も悪く解釈した投稿が支持を集めやすく、訂正や留保は広がりにくい。こうして、認知バイアスとストローマン論法が高速で増幅される。SNSは市民の声を広げる道具であると同時に、社会の感情を過熱させる装置にもなり得る。
インフルエンサーは新しい世論仲介者である
インフルエンサーは、現代の情報環境における新しい世論仲介者である。彼らは伝統的なメディア機関に属していなくても、多数のフォロワーを持ち、政治、社会、健康、経済、安全保障、教育、国際関係について強い影響力を持つ。インフルエンサーの強みは、親しみやすさである。視聴者は、新聞記者や大学教授よりも、自分に近い言葉で語るインフルエンサーを信頼することがある。専門的で難しい話題も、分かりやすく、感情に訴える形で伝えられる。
しかし、インフルエンサーの発信には独自のリスクがある。彼らは必ずしも取材倫理、訂正基準、利益相反開示、専門的査読の仕組みに従っているわけではない。再生数、広告収入、支持者の期待、プラットフォームのアルゴリズムが、発信内容に影響する。怒りを誘う動画、敵を嘲笑する投稿、陰謀めいた説明、専門家への攻撃は、視聴者の関心を集めやすい。もちろん、優れたインフルエンサーも存在する。既存メディアより誠実に資料を読み、丁寧に解説する人もいる。重要なのは、発信者の形式ではなく、根拠、訂正姿勢、反対意見の扱い、利益相反の透明性を見ることである。
生成AIは世論形成をさらに変える
生成AIの普及によって、世論形成はさらに変化している。文章、画像、音声、動画を短時間で大量に作成できるようになったことで、情報操作のコストは下がった。特定の政治的立場に合わせた投稿、専門家らしい解説、怒りを誘う見出し、もっともらしい統計説明、偽の証言、ディープフェイク風の映像などが、これまでより容易に作られる可能性がある。生成AIは、認知戦の主体を拡大する。国家や大組織だけでなく、小規模な団体や個人でも、大量の情報を生成し、拡散できるようになるからである。
同時に、生成AIは認知防衛にも使える。複数の視点を比較する、専門用語を分かりやすくする、元資料を要約する、反対意見を整理する、ストローマン論法がないか確認する、といった用途もある。問題は、AIの出力をそのまま真実として受け入れることである。AIは、もっともらしいが誤った説明を生成することがある。情報源を確認せず、AIの要約だけで判断するなら、私たちは新しい権威バイアスに陥る。生成AI時代のメディア・リテラシーとは、AIを拒絶することではなく、AIを使いながらも、根拠、一次情報、文脈、反対証拠を確認することである。
世論操作は「嘘」だけで成立するわけではない
世論操作というと、多くの人は偽情報や捏造を思い浮かべる。しかし、実際には、完全な嘘よりも、事実の選択、文脈の省略、感情の刺激、反復、フレーミング、ストローマン論法のほうが効果的な場合がある。ある出来事が事実であっても、それが全体を代表するとは限らない。ある発言が実際に存在しても、前後の文脈を外せば意味は変わる。ある専門家がそう述べていても、別の専門家は異なる見解を持っているかもしれない。ある統計が正しくても、比較対象や期間を変えれば解釈は変わる。
認知戦において危険なのは、受け手が「これは完全な嘘ではないから正しい」と感じてしまうことである。半分だけ正しい情報は、完全な嘘よりも強い。なぜなら、反論されても「事実は事実だ」と言えるからである。しかし、事実は文脈の中で意味を持つ。事実の一部だけを取り出し、特定の感情を喚起し、別の情報を隠し、相手の主張を歪めるなら、それは認知を操作する情報になる。情報を評価するときには、「これは事実か」だけでなく、「この事実はどの文脈で提示されているのか」「何が省かれているのか」を問う必要がある。
中国・欧米・日本を見るときの注意点
本連載では、第4回で中国、欧米、アジア、日本の認知戦事例を詳しく扱う予定である。ここで先に確認しておきたいのは、外国による認知戦を論じる際にも、同じ認知バイアスが働くという点である。たとえば、中国政府、中国共産党、軍、関係機関による情報操作、台湾への認知戦、統一戦線工作、国際世論形成、日本社会への影響は、日本にとって重要な分析対象である。しかし、それを論じる際に、中国人一般や中国文化を一括して敵視すれば、認知戦への警戒が差別や排外主義に転化してしまう。国家や組織の活動と、個人や民族を区別することが不可欠である。
欧米についても同様である。米国や欧州では、選挙、移民、戦争、感染症、ジェンダー、宗教、階級をめぐる激しい情報対立がある。しかし、それを単に「欧米は分断している」と見るだけでは不十分である。自由な言論空間があるからこそ対立が可視化されている面もある。日本についても、海外の情報操作だけを警戒すればよいわけではない。国内メディアの切り取り、政治家のラベリング、知識人の権威、SNS上の同調圧力、場の空気、反対意見を言いにくい文化も、認知戦的な影響を受けやすい土壌になり得る。認知戦を論じる者自身が、認知バイアスに陥らないよう注意しなければならない。
認知操作を見抜くための実践的な問い
メディア、政治家、知識人、SNSの発信に接したとき、すぐに信じるのでも、すぐに否定するのでもなく、いくつかの問いを立てる必要がある。まず、その情報は誰が発信しているのか。発信者の立場、利益、専門性、過去の発言は何か。次に、一次情報はあるのか。発言全文、統計資料、議事録、論文、公式文書、元動画を確認できるのか。さらに、見出しや映像は本文や原文と一致しているのか。反対意見や別の解釈は紹介されているのか。相手の主張は正確に扱われているのか。怒り、恐怖、嫌悪、嘲笑を誘うために作られていないか。誤りが判明したとき、発信者は訂正する姿勢を持っているのか。
特にストローマン論法を疑う場合には、「相手は本当にそのように述べたのか」「最も弱い解釈だけを攻撃していないか」「相手本人が読んでも、自分の主張が正確に要約されていると認めるだろうか」と問うことが重要である。批判は民主主義に必要である。しかし、正確でない批判は、相手を倒すどころか、自分自身の判断力を損なう。認知戦に強い市民とは、自分と反対の意見に甘い人ではない。反対意見を正確に理解したうえで、必要なら厳しく批判できる人である。
今回のまとめ
メディア、政治家、知識人、専門家、SNS、インフルエンサー、生成AIは、現代社会において人々の認知と世論形成に大きな影響を与えている。メディアは現実をそのまま映す鏡ではなく、出来事を選択し、見出し、映像、写真、解説によって現実の見え方を構成する。政治家は、ラベリング、二分法、恐怖訴求、論点ずらし、スケープゴート化を通じて支持者を動員する一方で、社会の分断を深めることがある。ストローマン論法は、相手の実際の主張を歪め、存在しない敵を攻撃することで、対話を破壊する。知識人や専門家は社会に不可欠であるが、権威バイアス、専門外発言、利益相反、メディア露出の影響を免れない。SNSとインフルエンサーは情報発信を民主化したが、怒りや嘲笑を増幅しやすい。生成AIは情報操作のコストを下げる一方で、認知防衛にも活用できる。
認知戦に対抗するためには、発信者を一方的に疑うだけでは足りない。自分がどのメディアを信じやすいのか、どの政治家の言葉に甘くなるのか、どの専門家の肩書に弱いのか、どの集団を敵視しやすいのかを点検しなければならない。世論操作は、嘘だけで成立するものではない。事実の選択、文脈の省略、感情の刺激、反復、ラベル、二分法、ストローマン論法によっても成立する。情報に接したとき、まず立ち止まり、「誰が、何を、どの根拠で、どの文脈で、どの感情を起こすように伝えているのか」と問うことが、認知戦に対する最初の防御である。
次回予告
次回は、「世界の認知戦事例──中国・欧米・アジア・日本の情報操作と分断」をテーマに、中国、欧米、アジア、日本における認知戦と情報操作の事例を比較する。中国による台湾や国際社会に対する情報操作、統一戦線工作、対外的なナラティブ形成、日本社会と安全保障への影響を検討する。また、ロシアによる欧米社会への情報干渉、米国の選挙と政治的分断、欧州における対策、台湾、韓国、フィリピン、シンガポール、インドなどの情報環境、日本国内に見られる切り取り、同調圧力、場の空気、権威への依存についても扱う。
連載総合案内
本連載全体の構成は、以下の記事にまとめている。
認知戦・認知バイアス・ストローマン論法──メディア、政治家、知識人が社会に及ぼす影響と対策【全7回・総合案内】
参考文献・関連資料
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防衛省「認知領域を含む情報戦への対応」