認知戦が社会を壊す仕組み──分断・不信・沈黙が民主主義を弱らせる
本記事は、連載「認知戦・認知バイアス・ストローマン論法──メディア、政治家、知識人が社会に及ぼす影響と対策」全7回の第5回である。今回は、認知戦が社会をどのように弱らせるのかを、分断、不信、沈黙という三つの観点から考察する。特に、政府、メディア、科学、司法、選挙への信頼が失われる過程、ストローマン論法によって対話が破壊される仕組み、市民自身が情報操作の増幅者になり得る危険性について解説する。
はじめに──認知戦の最終目標は「信じられない社会」をつくることである
認知戦の目的は、単に相手に偽情報を信じさせることではない。より深刻な目的は、社会全体を「何を信じてよいのか分からない状態」に追い込むことである。政府を信じられない。報道を信じられない。専門家を信じられない。司法を信じられない。選挙を信じられない。異なる意見を持つ市民を信じられない。こうした状態が広がると、社会は共通の事実認識を失い、合意形成が困難になる。
民主主義は、意見の違いを前提とする制度である。すべての市民が同じ価値観を持つ必要はない。むしろ、異なる意見が存在し、それを公開の場で議論し、選挙や制度を通じて調整することに民主主義の意味がある。しかし、意見の違いが「敵と味方」の対立へ変わり、相手を説得すべき市民ではなく、排除すべき存在として見るようになると、民主主義は内側から弱っていく。
第1回では認知戦の定義を、第2回では認知バイアスが人を動かす仕組みを、第3回ではメディア、政治家、知識人による世論形成を、第4回では世界の認知戦事例を見た。第5回では、それらが社会に与える長期的影響を考える。認知戦は、爆弾のように一瞬で社会を破壊するわけではない。むしろ、疑念、怒り、軽蔑、沈黙、疲労を少しずつ積み重ねることで、社会の信頼基盤を腐食させるのである。
社会的信頼とは何か
社会的信頼とは、見知らぬ他者、制度、組織、専門家、手続きに対して、一定程度の信頼を置ける感覚である。自分が直接確認できないことについても、政府統計、裁判所の判断、選挙結果、報道、科学的知見、医療制度、行政手続きなどを、完全ではないにせよ基本的に信頼できると考えられる状態である。
社会的信頼がある社会では、意見が対立しても、最低限の共通基盤が残る。選挙で負けても、手続き自体は受け入れる。裁判で不利な結果が出ても、司法制度そのものを直ちに否定しない。報道に不満があっても、すべてのメディアが陰謀に加担しているとは考えない。専門家の意見に疑問があっても、科学そのものを敵視しない。
一方、社会的信頼が崩れると、あらゆる制度が疑われる。自分に都合の悪い選挙結果は不正とされる。自分の陣営に不利な報道は工作とされる。反対する専門家は買収されていると見なされる。裁判所の判断は政治的陰謀とされる。こうなると、社会は共通のルールで争うことができなくなる。認知戦は、この社会的信頼を標的にする。
政府への信頼が失われる過程
政府への信頼は、民主主義国家において極めて重要である。政府は完全であってはならないし、常に監視されるべきである。しかし、政府への健全な批判と、政府そのものへの全面的不信は異なる。前者は民主主義を強くする。後者は民主主義の土台を壊す。
政府への信頼が失われる過程には、いくつかの段階がある。まず、政府の説明不足、不祥事、隠蔽、政策失敗、官僚的対応、政治家の無責任な発言などによって、市民の不満が生まれる。これは現実の問題であり、批判されるべきである。次に、その不満が情報空間で増幅される。「政府は常に嘘をつく」「すべて裏で決まっている」「国民は騙されている」といったナラティブが広がる。さらに、政府のどの発表も信じられなくなる。災害、感染症、安全保障、経済統計、外交交渉、選挙管理など、あらゆる領域で疑念が先に立つ。
認知戦は、この過程を利用する。政府に対する正当な批判を、政府制度全体への不信へ転換する。市民が政府を監視することは必要である。しかし、政府が何をしても信じない状態になると、危機時の対応が困難になる。災害時の避難指示、感染症対策、安全保障上の警告、金融危機への対応など、迅速な協力が必要な場面で、市民がすべてを疑えば、社会全体のリスクが高まる。
報道への信頼が失われる過程
報道機関は、民主主義における権力監視の要である。しかし、報道への信頼もまた、世界各国で揺らいでいる。偏向報道、切り取り、誤報、訂正の不十分さ、特定の政治的立場への近さ、視聴率優先、炎上狙いの見出し、専門性の不足などが、市民の不信を生んでいる。メディア不信には、現実の根拠がある。
しかし、メディア不信が極端になると、すべての報道が敵の工作と見なされる。自分に都合のよい情報を報じるメディアだけを信じ、都合の悪い情報を報じるメディアは「嘘つき」と切り捨てる。すると、社会は共通の情報基盤を失う。保守層は保守系メディアだけを読み、リベラル層はリベラル系メディアだけを読み、SNS上ではそれぞれの陣営に都合のよい切り抜きが拡散される。これが進むと、同じ国に住んでいても、まったく異なる現実を見ている状態になる。
認知戦は、メディア不信を利用する。「主流メディアは真実を隠している」「本当のことはSNSにしかない」「報道されないことこそ真実である」という感覚を広げる。もちろん、主流メディアが常に正しいわけではない。SNSが重要な事実を明らかにすることもある。しかし、「報じられていないから真実だ」「大手メディアが否定するから正しい」という反射的思考もまた、認知操作に利用される。メディアを疑う力と、メディアを全否定しない力の両方が必要である。
科学への信頼が失われる過程
科学は、絶対的真理を一度で示すものではない。仮説を立て、データを集め、検証し、誤りを修正し、より妥当な説明へ近づいていく営みである。したがって、科学には不確実性がある。専門家の意見が分かれることもある。新しいデータによって以前の見解が修正されることもある。これは科学の弱さではなく、強さである。
しかし、認知戦や情報操作は、この科学の不確実性を悪用する。「専門家の意見が変わったのだから信用できない」「研究者同士で意見が違うのだから全部嘘だ」「科学は政治に利用されている」といった不信が広がる。感染症、ワクチン、気候変動、原子力、食品安全、AI、医療、精神疾患などの領域では、科学的議論が政治的対立と結びつきやすい。すると、データの解釈ではなく、どの陣営に属するかによって科学への態度が決まるようになる。
科学への健全な懐疑は必要である。研究資金、利益相反、再現性、統計の限界、政策への応用には常に注意が必要である。しかし、科学そのものへの全面的不信は危険である。科学への信頼が崩れると、社会は専門的判断を必要とする危機に対応できなくなる。認知戦は、科学を完全に否定する必要はない。市民に「どうせ専門家も信用できない」と思わせるだけで十分なのである。
司法への信頼が失われる過程
司法への信頼も、民主主義に不可欠である。裁判所は政治的多数派や世論から一定の独立性を持ち、法に基づいて判断することが期待される。しかし、司法判断が政治的対立の中に置かれると、判決そのものよりも、どの陣営に有利かで評価されやすくなる。自分の支持する側に有利な判決なら「司法は機能している」とされ、不利な判決なら「司法は腐敗している」とされる。
司法への信頼が崩れると、法の支配は弱体化する。市民が裁判所の判断を受け入れず、政治的勝敗だけで司法を評価するようになると、社会は暴力的な多数派支配か、終わりのない不信へ向かう。認知戦は、司法の個別判断への批判を、司法制度全体への不信へ広げることができる。裁判官の経歴、過去の発言、任命過程、政治的関係を切り取り、「司法はすでに乗っ取られている」という物語をつくることも可能である。
もちろん、司法も批判されるべき制度である。誤判、制度的偏り、政治的影響、アクセス格差は検証されなければならない。しかし、司法への批判は、制度を改善する方向へ向かうべきである。制度そのものを信じられないものとして破壊すれば、最後に残るのは、力、数、感情による支配である。
選挙への信頼が失われる過程
選挙は、民主主義の中心的手続きである。選挙結果に不満があっても、一定のルールに基づいて結果を受け入れ、次の選挙で争う。これが民主主義の基本である。しかし、選挙への信頼が失われると、政治的対立は制度内で処理されなくなる。
選挙不信は、認知戦にとって非常に有効である。選挙が不正である、投票が操作されている、メディアが世論を誘導している、外国勢力が票を動かしている、司法や選挙管理機関が一方の陣営に加担している、といった疑念が広がると、負けた側は結果を受け入れにくくなる。勝った側も、相手を民主主義の敵として扱うようになる。こうして、選挙は社会を統合する手続きではなく、分断を確認する儀式になる。
選挙制度には透明性と監視が必要である。不正の可能性を検証することは当然である。しかし、根拠のない不正主張が繰り返されると、民主主義の正統性は損なわれる。認知戦は、必ずしも特定候補を勝たせる必要はない。選挙結果を誰も信じられない状態にするだけで、相手社会を弱らせることができる。
社会が敵と味方に二分される仕組み
認知戦が社会を壊す最大の経路は、社会を敵と味方へ二分することである。人間には、もともと内集団と外集団を分ける傾向がある。自分の仲間を信頼し、外部の集団に警戒する。この傾向は、集団で生きるうえでは自然なものである。しかし、情報環境がこの傾向を刺激し続けると、政治的意見の違いが道徳的敵対へ変わる。
最初は政策の違いであったものが、次第に人格の違いとして扱われる。相手は間違っているのではなく、愚かである。相手は別の価値観を持っているのではなく、悪意を持っている。相手は説得すべき市民ではなく、排除すべき敵である。こうなると、議論の目的は理解や合意ではなく、相手を打ち負かすことになる。
二分化された社会では、中間的な立場が消える。ある政策には賛成だが別の点には懸念がある、という複雑な立場が許されなくなる。安全保障を重視しつつ外交努力も必要だと考える人、移民政策の管理を求めつつ外国人差別には反対する人、社会保障を守りつつ制度改革も必要だと考える人、報道の自由を支持しつつメディアの偏向を批判する人は、どちらの陣営からも疑われる。こうして、社会は極端な声に引っ張られていく。
ストローマン論法が対話を破壊する
ストローマン論法は、社会的分断を加速させる。相手の実際の主張を正確に扱わず、攻撃しやすい形に歪めてから批判する論法である。これが政治、メディア、SNSで繰り返されると、人々は相手の本当の意見を知らないまま、相手を憎むようになる。
たとえば、ある人が「防衛力を強化する必要がある」と述べたとする。それに対して、「この人は戦争をしたいのだ」と批判するなら、それはストローマン論法である可能性がある。ある人が「移民政策には厳格な管理が必要だ」と述べたとする。それを「外国人を排除したいのだ」と決めつけるなら、これもストローマン論法である可能性がある。逆に、ある人が「人権に配慮すべきだ」と述べたときに、「国家安全保障を無視している」と決めつけるのも同じである。
ストローマン論法の問題は、単に議論が不正確になることではない。相手への信頼が失われることである。相手はまともに議論する気がない。相手は悪意でこちらを攻撃している。相手は自分たちを潰そうとしている。こう感じると、対話の可能性は急速に失われる。認知戦において、ストローマン論法は非常に有効である。相手社会の市民同士を、互いに誤解したまま憎み合わせることができるからである。
攻撃を恐れた人々が沈黙する
社会が二分化し、ストローマン論法が広がると、多くの人は発言を控えるようになる。政治、外交、安全保障、ジェンダー、移民、感染症、宗教、歴史認識、教育などのテーマについて、自分の考えを述べることが危険に感じられる。誤解されるかもしれない。切り取られるかもしれない。炎上するかもしれない。職場や学校で孤立するかもしれない。SNSで攻撃されるかもしれない。そう考えた人々は、沈黙を選ぶ。
沈黙は、一見すると社会を穏やかに見せる。しかし、実際には民主主義を弱らせる。なぜなら、発言する人が極端な人々に偏るからである。慎重で、複雑な意見を持ち、相手の立場も理解しようとする人ほど、発言を控えやすい。一方、強い怒りや確信を持つ人、攻撃を恐れない人、炎上によって利益を得る人は発言を続ける。結果として、公共空間は極端な声で満たされる。
この状態は、沈黙の螺旋と呼ばれる現象に近い。多数派の空気に反する意見を持つ人が孤立を恐れて沈黙し、その沈黙によって多数派のように見える意見がさらに強くなる。認知戦は、この沈黙を利用する。社会に実際よりも強い空気を作り出し、異論を出しにくくする。人々が自分で考えなくなるのではない。考えていても、言えなくなるのである。
沈黙は同意ではない
認知戦が成功した社会では、沈黙が同意と誤解される。ある主張に反論が少ないから、多くの人が賛成しているように見える。しかし、実際には、反論したい人々が攻撃を恐れて黙っているだけかもしれない。職場、学校、地域社会、メディア、SNSでは、発言の自由が形式的に存在していても、心理的には発言しにくい空気が生まれることがある。
日本社会では、この問題が特に重要である。日本では、明確な対立を避け、場の空気を読み、周囲に合わせることが重視されやすい。この文化には、社会を円滑にする面がある。しかし、認知戦の観点からは、沈黙と同調が脆弱性になる。異論を言いにくい社会では、外部から流し込まれたナラティブや、メディアによって形成された空気が、そのまま常識のように受け入れられやすい。
沈黙は必ずしも無関心ではない。多くの人は考えている。しかし、発言する場がない。発言しても損をする。複雑な意見を表現できる空間がない。この状態を放置すれば、民主主義は形式だけ残り、実質的な熟議は失われる。
市民自身が増幅者になる
認知戦は、国家やメディアや政治家だけが行うものではない。市民自身も、未確認情報を共有することによって、認知戦の増幅者になり得る。ここが現代の情報環境の難しさである。多くの人は、悪意を持って偽情報を広げているわけではない。むしろ、善意、正義感、危機感、怒り、仲間への忠誠心から情報を共有する。
「これは多くの人に知ってほしい」「メディアは報じないが重要だ」「この不正を許してはならない」「危険を知らせなければならない」。こうした気持ちは自然である。しかし、その情報が未確認であったり、切り取られていたり、文脈を欠いていたり、古い情報であったり、誤訳であったりする場合、共有は社会的混乱を広げる。善意の共有が、結果として認知戦の一部になる。
特にSNSでは、共有すること自体が社会的行為である。何を拡散するかは、自分の立場を示す行為になる。仲間が怒っている情報を共有しないと、裏切りのように感じることもある。反対に、共有すれば仲間から称賛される。この報酬構造が、確認よりも拡散を優先させる。市民が認知戦の被害者であると同時に、無自覚な協力者にもなり得るのである。
善意が分断を広げるとき
善意は、認知戦にとって非常に利用しやすい。弱者を守りたい、国家を守りたい、真実を伝えたい、不正を許したくない、社会を良くしたいという思いは、本来尊い。しかし、善意が強いほど、人は情報確認を省略しやすい。「疑うことは被害者を傷つけることだ」「拡散しないことは加担だ」「今すぐ行動しなければならない」と感じるからである。
この構造は、左右を問わず存在する。保守的な立場でも、リベラルな立場でも、反権力の立場でも、国家安全保障を重視する立場でも、社会的弱者の支援を重視する立場でも起こる。自分たちの善意を疑うことは難しい。しかし、認知戦は、まさにその善意を利用する。市民を騙すというより、市民が自ら動きたくなるような物語を与える。
善意を守るためには、確認が必要である。情報を疑うことは、正義感を捨てることではない。むしろ、正義感を誤用されないための防御である。未確認情報を共有しないことは、無関心ではない。社会を混乱させないための責任である。
分断された社会では政策が決められない
認知戦によって社会が分断されると、政策決定が困難になる。人口減少、財政、社会保障、安全保障、エネルギー、教育、移民、AI、災害対策など、現代社会の課題は長期的で複雑である。どの政策にも利点と副作用があり、誰かに負担が生じる。したがって、社会には、痛みを伴う議論を行う能力が必要である。
しかし、分断された社会では、政策の中身ではなく、誰が言ったかで評価される。自分の陣営の政策なら不十分でも擁護し、相手陣営の政策なら有益でも否定する。財源、制度設計、リスク、代替案を検討する前に、敵味方の判断が先に立つ。これでは、国家経営はできない。
認知戦の怖さは、社会を混乱させるだけでなく、重要な決断を遅らせる点にある。安全保障上の危機が迫っても議論できない。社会保障の持続性が危うくても改革できない。教育の劣化が進んでも対策が遅れる。外国からの影響工作があっても、指摘した側が陰謀論者扱いされるか、逆に過剰反応によって差別が広がる。こうして、社会は必要な行動を取れないまま時間を失う。
民主主義は「共通の現実」を必要とする
民主主義には、意見の多様性が必要である。しかし、民主主義が機能するためには、最低限の共通の現実も必要である。統計の解釈は異なってよい。政策の優先順位も異なってよい。価値観も異なってよい。しかし、何が起きたのか、どの資料が存在するのか、どの発言がなされたのか、どの手続きで決まったのかについて、まったく共通理解がなければ、議論は成立しない。
認知戦は、この共通の現実を壊す。あらゆる事実が陣営ごとに解釈され、あらゆる証拠が疑われ、あらゆる専門家が敵味方で分類される。すると、社会は政策論争ではなく、現実認識そのものをめぐる争いに陥る。これは民主主義にとって極めて危険である。なぜなら、共通の現実がなければ、選挙で争っても、議会で議論しても、司法が判断しても、敗者が結果を受け入れる理由がなくなるからである。
民主主義は、相手を完全に信頼する制度ではない。むしろ、相手を疑いながらも、共通の手続きと事実確認の枠組みを維持する制度である。認知戦への防御とは、同じ意見になることではない。異なる意見を持ちながらも、同じ現実の上で議論できる状態を守ることである。
認知戦に強い社会の条件
認知戦に強い社会とは、異論を封じる社会ではない。むしろ、異論が安全に表明され、批判が正確に行われ、誤りが訂正され、極端な言説が検証される社会である。政府を批判できること、メディアを批判できること、専門家を批判できること、外国からの情報操作を警戒できること、差別や排外主義を批判できること。これらはすべて両立しなければならない。
認知戦に弱い社会では、批判がすぐに敵認定へ変わる。政府を批判すれば反国家的とされ、メディアを批判すれば陰謀論者とされ、外国干渉を警戒すれば排外主義者とされ、人権を重視すれば安全保障を軽視しているとされる。このようなラベリングが広がると、まともな議論は不可能になる。
認知戦に強い社会は、批判と敵視を区別する。疑うことと否定することを区別する。警戒と差別を区別する。専門家を尊重することと権威に従属することを区別する。自由な言論と無責任な拡散を区別する。この区別の力こそ、民主主義の防御力である。
個人ができる最初の防御
認知戦への対策は、政府やメディアだけの責任ではない。市民一人ひとりにもできることがある。最も重要なのは、反射的に共有しないことである。怒り、恐怖、嫌悪、正義感を強く刺激する情報ほど、共有する前に立ち止まる必要がある。
その情報は一次情報に当たれるのか。発言全文は確認できるのか。統計の出典はあるのか。映像はいつ、どこで撮られたものか。見出しと本文は一致しているのか。相手の主張は正確に紹介されているのか。別の解釈はあるのか。自分が信じたい物語に合いすぎていないか。これらを確認するだけで、認知戦の増幅者になるリスクは下がる。
また、相手の主張を批判する前に、相手が本当にそう述べているのかを確認することも重要である。ストローマン論法に乗らないことは、相手を擁護することではない。自分の判断力を守ることである。正確に理解したうえで批判する。これは民主主義社会における最低限の知的作法である。
今回のまとめ
認知戦が社会を壊す仕組みは、偽情報を信じさせることだけではない。より深刻なのは、政府、報道、科学、司法、選挙への信頼を少しずつ失わせ、社会全体を「何を信じてよいのか分からない状態」に追い込むことである。社会的信頼が崩れると、共通の事実認識が失われ、民主主義は機能しにくくなる。
認知戦は、社会を敵と味方に二分し、ストローマン論法によって対話を破壊し、攻撃を恐れる人々を沈黙させる。沈黙が広がると、公共空間には極端な声が残り、慎重で複雑な意見は見えにくくなる。また、市民自身も、未確認情報を善意や正義感から共有することで、認知戦や社会的分断の増幅者になり得る。
民主主義は、意見の違いを前提とする。しかし、最低限の共通の現実、共通の手続き、共通の信頼がなければ、意見の違いを調整することはできない。認知戦に対抗するためには、異論を封じるのではなく、異論を正確に扱う力を育てなければならない。疑う力、確認する力、訂正する力、相手を人間として扱う力。この四つが、分断、不信、沈黙から民主主義を守る基礎となる。
次回予告
次回は、「認知戦への対策──偽情報と認知バイアスから判断力を守る方法」をテーマに、認知戦、偽情報、認知バイアス、ストローマン論法から判断力を守るための具体的な方法を扱う。個人が情報源や一次資料を確認する方法、感情的な情報へ反応する前に立ち止まる習慣、スティールマン論法による対話の再構築、メディア、政府、教育機関に求められる役割について解説する。
連載総合案内
本連載全体の構成は、以下の記事にまとめている。
認知戦・認知バイアス・ストローマン論法──メディア、政治家、知識人が社会に及ぼす影響と対策【全7回・総合案内】
参考文献・関連資料
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防衛省「認知領域を含む情報戦への対応」