「羯諦羯諦波羅羯諦」とは何か──般若心経が教える苦しみに囚われない生き方

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「羯諦羯諦波羅羯諦」とは何か──般若心経が教える苦しみに囚われない生き方

本記事は、全12回シリーズ「般若心経とメンタルヘルス──『空』『無所得』『心無罣礙』から学ぶ、苦しみに囚われない心のつくり方」の第12回・最終回である。

ここまで私たちは、般若心経の言葉を一つずつたどってきた。

観自在。

五蘊。

空。

色即是空・空即是色。

無所得。

心無罣礙。

無有恐怖。

遠離一切顛倒夢想。

そして前回は、それらを日常生活の中で実践する方法として、

聴く。

唱える。

読む。

写経する。

歩く。

沈黙する。

という方法を考えた。

そして般若心経は最後に、

羯諦 羯諦
波羅羯諦
波羅僧羯諦
菩提薩婆訶

という真言へ至る。

この言葉にはさまざまな訳し方、読み方がある。

本稿では、一つの逐語訳だけを絶対化することはしない。

むしろ、この最終部を、

それでも、人は歩いていく

という本シリーズ全体の流れの中で考えてみたい。

苦しみがなくなったから進むのではない。

不安がなくなったから進むのでもない。

悲しみを忘れたから進むのでもない。

恐怖を完全に克服したから進むのでもない。

不安もある。

悲しみもある。

失ったものもある。

未来も分からない。

それでも、人は次の一歩を選ぶことができる。

その意味で、般若心経の最後の真言は、この連載全体を締めくくるにふさわしい言葉なのである。

第49章 世界に広がる仏教の智慧とメンタルヘルス

般若心経は、日本だけで読まれてきた経典ではない。

大乗仏教圏を中心として、さまざまな地域、言語、文化の中で受け継がれてきた。

そして現代では、仏教思想の一部が、宗教の外側にある心理学やメンタルヘルスの領域とも対話するようになっている。

ただし、ここで最初に最も重要なことを確認したい。

般若心経と、現代のマインドフルネス療法は同じものではない。

似ている点がある。

比較できる点もある。

しかし、

歴史。

目的。

思想。

方法。

臨床上の位置づけ。

すべて同一ではない。

この違いを消してしまうと、仏教思想も心理療法も、かえって正確に理解できなくなる。

欧米──仏教由来の実践と現代心理療法

欧米では、仏教的瞑想の一部を背景としながら、現代の心理学・医療の枠組みの中でさまざまな介入が発展してきた。

本シリーズで繰り返し取り上げてきたのが、

MBSR。

MBCT。

ACT。

である。

MBSRでは、現在の経験へ注意を向ける実践が、ストレスや痛み、病気などとの向き合い方の一部として体系化されている。

MBCTでは、思考や感情を自分自身そのものとしてではなく、心に生じている現象として観察する「脱中心化」が重要になる。

ACTでは、苦しい思考や感情を完全に消してから人生を始めるのではなく、それらが存在しながらも、自分が大切にする方向へ行動するという「心理的柔軟性」が重視される。

ここには、本シリーズで扱った、

「私は不安だ」から「不安が生じている」へ。

思考と事実を分ける。

恐怖を消すのではなく、恐怖との関係を変える。

というテーマと、興味深い接点がある。

しかし、

般若心経がMBSRやMBCTやACTを先取りしていた

と表現することは適切ではない。

現代心理療法は臨床科学の枠組みの中で発展してきた。

般若心経は、大乗仏教の般若思想を背景とする経典である。

両者を並べる目的は、

「同じものだった」

と結論することではない。

異なる歴史を持つ二つの領域を並べることで、人間の心について何が見えてくるのかを考えること

にある。

ベトナム──ティク・ナット・ハンと「もう一つの岸」

現代において般若心経を世界へ広く紹介した人物の一人が、ベトナム出身の禅僧ティク・ナット・ハンである。

彼が創設したPlum Villageでは、般若心経を、

The Insight That Brings Us to the Other Shore

として現代英語に訳している。

そこでは「空」を単純な「無」としてではなく、人や物事が孤立した独立存在ではなく、互いに関係しながら存在しているという「interbeing」の視点から理解する。

この視点は、

「自分だけで完全に独立して存在している」

という自己理解を緩める。

自分は、

家族。

社会。

自然。

身体。

過去。

他者。

さまざまな条件の中で生きている。

それは、「自分が存在しない」という意味ではない。

むしろ、

自分が関係の中で生きている存在である

ことを見る視点である。

Plum Villageでは、般若心経を文字として読むだけではなく、英語による読誦を「音」として聴くこともできる。

ここには、第10回・第11回で扱った、

呼吸。

声。

リズム。

沈黙。

という実践的側面も現れている。

アジア──一つではない仏教文化

本シリーズの正式構成では、中国を除くアジアとして、

インド。

タイ。

ベトナム。

韓国。

ネパール。

などを比較対象としている。

ただし、これらの国々を一括して、

「アジアでは仏教をこのように実践している」

と述べることはできない。

地域によって、

仏教の宗派。

歴史。

言語。

儀礼。

瞑想文化。

社会的位置づけ。

は異なる。

したがって、本稿では各国の実践を一つのモデルへまとめない。

ここで確認したいのは、

仏教的実践は、その地域の文化、宗教史、生活様式の中で異なる形を取ってきた

ということである。

そして現代のメンタルヘルスとの対話を考える際にも、その文化的背景を切り離してはならない。

日本──読経・写経・坐禅という生活文化

日本では、般若心経は経典であると同時に、

読経。

写経。

法要。

供養。

寺院。

家庭。

など、生活文化の中でも長く触れられてきた。

本シリーズの資料では、全国曹洞宗青年会による般若心経の読誦動画や現代語訳、そして僧侶とともに唱える動画も紹介されている。

ここで興味深いのは、

般若心経が「理解する文章」であるだけではなく、

声に出すもの、聴くもの、書くもの

として受け継がれてきたことである。

つまり、般若心経には、

思想。

意味。

身体。

音。

儀礼。

共同体。

記憶。

という複数の層がある。

だからこそ、

「読経したらストレスが何%下がる」

という一つの数値だけで、この経典の意味を説明することはできない。

逆に、

「科学ではすべて説明できないから、何でも効果がある」

と言うこともできない。

ここでも必要なのは、

分かっていることと、分かっていないことを区別する姿勢

である。

第50章 人生の苦しみを般若心経から読み直す

ここまで11回にわたり、般若心経の言葉を細かく見てきた。

最後に、それらを人生の具体的な苦しみへ戻してみたい。

仕事を失う。

人間関係が壊れる。

病気になる。

老いる。

大切な人を失う。

自分自身の死を考える。

こうした出来事を、般若心経はなくしてくれるのだろうか。

答えは、そうではない。

般若心経を読んでも失業は起こる。

病気になることもある。

別れもある。

人は老いる。

人は死ぬ。

では、般若心経を読む意味はどこにあるのか。

仕事を失う──役割を失っても、自分の全体が消えるわけではない

仕事を失うことは大きな苦しみである。

収入。

生活。

社会的立場。

仲間。

毎日のリズム。

自己評価。

一度に多くのものが揺らぐ。

だから、

「仕事なんて空なのだから気にするな」

とは言えない。

現実的な問題である。

生活を守らなければならない。

次の仕事も探さなければならない。

必要なら支援を受ける。

そのうえで、

「仕事を失った」

という事実と、

「自分にはもう価値がない」

という自己物語を分けてみる。

第7回で扱った、

事実と物語を分ける

という視点である。

役職は失うことがある。

会社も変わる。

しかし、

「役職=自分」

ではない。

第4回で扱った「色即是空・空即是色」は、

今ある役割を永久の自己としない視点にもつながる。

人間関係の破綻──関係が変化することと、関係が無意味だったことは違う

大切な人との関係が終わることがある。

離婚。

別離。

絶縁。

友情の終わり。

それは痛い。

だから、

「執着だから手放せ」

という一言で済ませてはいけない。

関係には歴史がある。

一緒に過ごした時間もある。

そこで受け取ったものもある。

関係が終わったからといって、

その関係のすべてが無意味になるわけではない。

同時に、

「以前と同じ形でなければならない」

と握りしめ続けることが、現在の自分を苦しめる場合もある。

大切にしたことと、固定することは違う。

愛したことと、所有することも違う。

第8回の「無所得」は、この違いを考える言葉でもあった。

病気──「病気がある」と「私は病気そのものだ」は違う

病気になったとき、

恐怖。

怒り。

不安。

悲しみ。

さまざまな感情が起こる。

それは自然である。

ここでも、

「身体は空だから病気を気にするな」

という読み方はしない。

必要な診断と治療を受ける。

医学的現実を尊重する。

そのうえで、

病気を抱えている自分と、

病気そのものを完全に同一化しない。

「私は病気である」

から、

「私はいま、この病気とともに生きている」

へ。

言葉を少し変えるだけでも、自分の全体と病名の関係は変わる。

病気は重要な現実である。

しかし、人間の全存在が病名一つに還元されるわけではない。

老い──変化を「失敗」にしない

老いは止めることができない。

身体は変わる。

体力も変わる。

外見も変わる。

できなくなることもある。

だから、老いに伴う喪失を美化する必要はない。

しかし、

「若い自分こそ本当の自分」

という前提を持てば、老いることは、

「本当の自分を失っていくこと」

になる。

第3回で考えたように、自分という存在そのものも変化の中にある。

若い自分。

働き盛りの自分。

老いた自分。

どれか一つだけが真の自己なのではない。

老いることは、価値がなくなることと同じではない。

できないことが増える一方で、

経験。

関係。

判断。

静けさ。

別の価値が見えてくる場合もある。

重要なのは、

老いを否定することでも、

老いを美化することでもなく、

いまの自分を、いまの条件の中で生きること

である。

死別──忘れることが回復なのではない

第9回では、死別とグリーフを扱った。

ここで改めて確認したい。

大切な人を失った悲しみは、

「執着しているから生じる未熟な感情」

ではない。

愛していたから悲しい。

その人が大切だったから、世界の形が変わる。

だから、

忘れなくてよい。

思い出してよい。

泣いてよい。

新しい人生を歩くことは、忘れることではない。

笑うことも、裏切りではない。

大切なのは、

亡くなった人との関係を消すことではなく、その関係が自分の人生の中で新しい形を取ることを許すこと

である。

死への恐怖──答えがないまま、生きる

そして、自分自身の死がある。

死んだ後、どうなるのか。

いつ死ぬのか。

そのすべてを私たちは知ることができない。

だから怖い。

般若心経を理解すれば死が怖くなくなる、と約束することはできない。

「不生不滅」「無老死」を、生物学的な死の否定として使うこともできない。

では、何が残るのか。

死があることを知りながら、今日を生きること。

今日話せる人と話す。

伝えたいことを伝える。

大切なことを先延ばしにしすぎない。

自分にとって何が本当に重要なのかを考える。

死を完全に忘れるのでもない。

死だけを見続けるのでもない。

死を含む人生を生きる。

そこに、本シリーズが「無有恐怖」から考えてきた心のあり方がある。

第51章 般若心経をメンタルヘルスに使うときの注意点

この連載では、般若心経とメンタルヘルスを積極的に結びつけてきた。

だからこそ、最後に、

やってはいけない使い方

を明確にしておく必要がある。

1 精神医療の代用にしない

般若心経。

読経。

写経。

瞑想。

呼吸法。

これらはセルフケアとして役立つ場合がある。

しかし、

精神科・心療内科での診断。

薬物療法。

心理療法。

必要な社会的支援。

それらの代わりではない。

重い抑うつ状態。

自殺念慮。

重度の不安。

PTSD。

解離症状。

精神病症状。

日常生活を維持することが著しく難しい状態。

そうした場合には、宗教的・セルフケア的実践だけで解決しようとせず、医療機関や適切な専門家へ相談する必要がある。

2 「空」を自己否定に使わない

「自分は空なのだから、自分なんて価値がない」

これは、本シリーズで扱ってきた「空」とは反対の方向である。

空は、

「存在しない」

「無価値である」

という意味ではない。

固定された独立的実体として存在しているわけではない、という洞察である。

したがって、

「私は空だから消えてもよい」

という自己否定へ使ってはならない。

むしろ、

「いまの自己評価も固定された最終結論ではない」

という方向へ読む。

3 感情を抑圧しない

悲しいのに、

「空だから悲しんではいけない」

と思う。

怒っているのに、

「仏教を学んでいるのだから怒ってはいけない」

と思う。

怖いのに、

「無有恐怖なのだから怖がる自分は未熟だ」

と思う。

これは、感情との新しい戦いを始めるだけである。

悲しいときには悲しい。

怖いときには怖い。

怒りがあるときには、怒りがある。

まずそれを認める。

そのうえで、

感情があることと、感情にすべてを支配されることを分ける。

それが本シリーズの立場である。

4 spiritual bypassingに陥らない

精神的・宗教的な言葉を使って、現実の痛みや問題を避けることがある。

例えば、

職場で不当な扱いを受けている。

それでも、

「執着しないようにしよう」

とだけ考えて何もしない。

暴力的な関係にいる。

それでも、

「すべては空だから許そう」

と自分に言い聞かせる。

深い悲嘆の中にいる人へ、

「無常ですから受け入れましょう」

と言う。

これは、宗教的な言葉によって現実の問題や感情を飛び越えてしまう危険がある。

不正には対応する。

危険から離れる。

医療を受ける。

相談する。

社会的・法的支援を使う。

現実の問題には、現実の対応が必要である。

般若心経は、

現実から逃げるための言葉ではない。

5 瞑想や内省が適さない場合を理解する

静かに座る。

呼吸へ注意を向ける。

内面を見る。

こうした実践が、すべての人に適しているとは限らない。

人によっては、強い不安や記憶が出てくる場合がある。

特にトラウマ体験などがある場合、内面への注意が負担になることもある。

そのようなときは、

「続けなければならない」

と思わない。

中止してよい。

歩く。

人と話す。

外へ注意を向ける。

専門家へ相談する。

自分に合わない実践を無理に続けることが、「修行」なのではない。

6 宗教を信じない人にも一つの読み方がある

般若心経は仏教経典である。

したがって、その宗教的背景を消してしまうべきではない。

同時に、

仏教を信仰していない人が、

この経典から何も学べないわけでもない。

宗教的信仰として読む人もいる。

哲学として読む人もいる。

歴史的・文化的文献として読む人もいる。

自分の心を考えるための問いとして読む人もいる。

大切なのは、

「科学的に証明された心理療法だから読む」

と偽装しないことである。

般若心経は般若心経である。

その宗教的・思想的背景を尊重したうえで、

現代人がそこから何を考えるのか。

その距離感を保つことが重要である。

第52章 「羯諦羯諦波羅羯諦」──それでも、人は歩いていく

般若心経は最後に、

羯諦 羯諦
波羅羯諦
波羅僧羯諦
菩提薩婆訶

と唱える。

サンスクリットでは、

gate gate pāragate pārasaṃgate bodhi svāhā

と表される。

この真言にはさまざまな訳し方がある。

そのため、本稿では一つの日本語訳だけを決定版として固定しない。

重要なのは、般若心経が最後に、

「行く」

という動きを持つ言葉で終わることである。

「彼岸」は苦しみが一切存在しない場所なのか

第1回で「波羅蜜多」を扱った。

「彼岸へ渡る」という象徴がある。

すると、

彼岸とは、

不安のない場所。

悲しみのない場所。

死のない場所。

失敗のない場所。

なのだろうか。

もしそうなら、人間はそこへ行くことができない。

人生には苦しみがあるからである。

そこで、本シリーズでは「彼岸」を、

人生のどこか遠くにある「問題ゼロの場所」とは考えない。

むしろ、

同じ現実の中で、現実との関係の仕方が変わること

として考えてきた。

不安はある。

しかし、

「不安=自分のすべて」

ではない。

悲しみはある。

しかし、

「悲しみ=人生のすべて」

ではない。

失敗する。

しかし、

「失敗=自分の価値」

ではない。

恐怖がある。

しかし、

「恐怖=必ず従わなければならない命令」

ではない。

同じ人生を生きている。

しかし、心の握り方が少し違う。

その違いが、この連載で考えてきた「彼岸」の一つの読み方である。

「行け」とは、逃げろということではない

苦しい現実から逃げる。

その意味で「行け」と読むのではない。

むしろ反対である。

現実を見る。

悲しみを見る。

恐怖を見る。

自分の思い込みを見る。

執着を見る。

そして、

それらがあるまま、

次の一歩を選ぶ。

だから、

羯諦。

羯諦。

という反復は、本シリーズの言葉で言い換えるなら、

「それでも進む」

という響きを持つ。

完全に準備できてからではない。

完全に治ってからでもない。

すべてに納得してからでもない。

今日できる一歩を選ぶ。

失った人を抱えて歩くこともある

大きな喪失を経験した人にとって、

「前へ進む」

という言葉が苦しく感じられることがある。

前へ進むことが、

忘れること。

置いていくこと。

裏切ること。

のように感じられるからである。

しかし、本シリーズでいう「歩いていく」は、

大切なものを後ろへ捨てることではない。

亡くなった人を忘れずに歩くこともできる。

思い出を持って歩くこともできる。

悲しみと一緒に歩くこともできる。

何かを手放すとは、その存在を心から消去することではない。

握りしめる形だけが変わることがある。

その人との関係も、自分の人生の中で形を変えながら続いていくことがある。

人生は「完成」しなくてよい

現代社会には、

自己実現。

成長。

成功。

幸福。

という言葉が多い。

そして、

「より良い自分にならなければ」

という圧力が生まれる。

般若心経を学ぶことまで、

「完全な自分になるための方法」

にしてしまうと、また新しい執着が生まれる。

心無罣礙にならなければならない。

恐怖をなくさなければならない。

執着を捨てなければならない。

いつも穏やかでなければならない。

それでは苦しい。

人間は未完成である。

迷う。

怒る。

怖がる。

悲しむ。

また執着する。

それに気づく。

そしてまた歩く。

般若心経を生きるとは、完璧になることではなく、何度でも気づき直すことなのかもしれない。

終章 苦しみのない人生ではなく、苦しみに囚われない人生へ

ここで、全12回を一本の流れとして振り返りたい。

観自在──まず、観る

すべてはここから始まった。

変える前に観る。

判断する前に観る。

不安がある。

怒りがある。

悲しみがある。

まず、

「いま、自分には何が起きているのか」

を見る。

↓

五蘊皆空──感情も自己も固定されたものではない

身体。

感覚。

認識。

反応。

意識。

私たちの経験は変化している。

「私は不安だ」

ではなく、

「いま、不安が生じている」

と見る。

自分と感情を完全に同一化しない。

↓

色即是空・空即是色──現実はある。しかし固定されてはいない

空は「何もない」ではない。

仕事もある。

身体もある。

人間関係もある。

病気もある。

悲しみもある。

しかし、それらは固定された永久の形ではない。

だから、

現在を未来のすべてにしない。

↓

無所得──得ることだけに自己を預けない

成功したい。

愛されたい。

評価されたい。

それは自然である。

しかし、

「それを得られなければ、自分には価値がない」

とはしない。

目標を持つ。

努力する。

しかし、結果だけに自分の存在すべてを預けない。

↓

心無罣礙──心に何が引っ掛かっているのかを見る

過去の失敗。

言われた言葉。

失った人。

未来への不安。

評価。

年齢。

病気。

死。

それらが心に引っ掛かる。

問題は、

引っ掛かりがあることそのものではない。

それだけが心の全体になることである。

↓

無有恐怖──恐怖を感じない人間になるのではない

怖いものは怖い。

病気も怖い。

死も怖い。

失敗も怖い。

しかし、

恐怖を感じることと、

恐怖だけに人生を支配されることは違う。

怖い。

それでも進む。

↓

遠離一切顛倒夢想──頭の中の物語を現実そのものにしない

「私はダメだ」

「あの人は自分を嫌っている」

「もう未来はない」

「みんな自分より幸せだ」

そう考えている。

しかし、

考えていることと、

事実であることは違う。

事実と物語を分ける。

↓

羯諦羯諦波羅羯諦──そして、歩いていく

最後に残るのは、

行くこと。

歩くこと。

である。

苦しみをすべて克服してからではない。

苦しみとともに。

不安とともに。

悲しみとともに。

未完成のまま。

それでも歩いていく。

この流れこそ、全12回を通して私たちが考えてきた、

苦しみに囚われない心

なのである。

「囚われない」とは、感じないことではない

ここで最後に、もう一度確認したい。

「囚われない」

とは、

感じないことではない。

悲しまない。

怒らない。

怖がらない。

傷つかない。

ということではない。

傷つく。

しかし、傷だけが自分ではない。

悲しい。

しかし、悲しみだけが人生ではない。

怖い。

しかし、恐怖だけが未来を決めるわけではない。

失敗する。

しかし、失敗だけが自己の価値を決めるわけではない。

人間は苦しむ。

それでも、

自分の人生にはまだ別のものも存在する。

人。

仕事。

自然。

音楽。

記憶。

希望。

小さな喜び。

誰かとの会話。

今日の食事。

朝の光。

そうしたものまで、苦しみに明け渡さない。

それが、

苦しみだけに人生を支配されない

ということである。

おわりに 般若心経は「心を空っぽにする教え」ではない

般若心経について、

「心を空にする教え」

という表現を聞くことがある。

しかし、このシリーズを通して見てきた「空」は、

頭の中を空っぽにすることではない。

何も考えないことでもない。

感情を消すことでもない。

自分をなくすことでもない。

「空」とは、

自分。

感情。

仕事。

人間関係。

成功。

失敗。

悲しみ。

恐怖。

それらを、

固定された永久の実体として握りしめないための智慧

として考えることができる。

人間の人生には、

どうしても避けられないことがある。

老い。

病気。

別れ。

失敗。

喪失。

死。

それらをすべてなくすことはできない。

どれほど努力しても、未来を完全に支配することもできない。

だからこそ、

「苦しみがなくなれば幸せになれる」

という条件だけに人生を預けるのではなく、

苦しみがある現在の中にも、

まだ生きる余地があることを探す。

それが、この連載で般若心経から考えてきたことである。

悲しいときには悲しい。

怖いときには怖い。

寂しいときには寂しい。

その感情を否定しない。

しかし、その感情だけに、

自分という人間のすべてを渡さない。

般若心経が教えているのは、

苦しみのない人生を手に入れる方法ではない。

苦しみがあっても、その苦しみだけに人生を支配されない心のあり方である。

そして最後に、もう一度あの言葉へ戻る。

羯諦 羯諦
波羅羯諦
波羅僧羯諦
菩提薩婆訶

それでも、人は歩いていく。

完全ではない自分のまま。

悲しみを抱えたまま。

未来が分からないまま。

一歩。

そして、また一歩。

それが、「苦しみに囚われない」ということなのかもしれない。

【全12回・完】

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「般若心経とメンタルヘルス──『空』『無所得』『心無罣礙』から学ぶ、苦しみに囚われない心のつくり方【全12回・総合案内】」

参考文献・関連資料

般若心経・仏教思想

中村元・紀野一義(訳註)(1982)『般若心経・金剛般若経』岩波書店(岩波文庫)。

般若心経の「五蘊」「空」「色即是空・空即是色」「無所得」「心無罣礙」「無有恐怖」「遠離一切顛倒夢想」など、本シリーズ全体で扱った主要概念を確認するための基本文献である。

佐々木閑(2014)『NHK「100分de名著」ブックス 般若心経』NHK出版。

般若心経の成立背景、大乗仏教における位置づけ、般若思想を一般読者が理解する際の参考資料である。

Thich Nhat Hanh. (2017). The other shore: A new translation of the Heart Sutra with commentaries. Parallax Press.

ティク・ナット・ハンによる般若心経の現代的英訳と解説である。「空」を単なる無としてではなく、「interbeing(相互存在)」という観点から考える際の重要な参考資料である。

84000: Translating the Words of the Buddha. The Heart of the Perfection of Wisdom, the Blessed Mother.

般若心経のチベット語伝承に基づく英訳、序説、注釈、用語集などを収録する学術的オンライン資料である。

マインドフルネス・心理療法・メンタルヘルス

Kabat-Zinn, J. (2013). Full catastrophe living: Using the wisdom of your body and mind to face stress, pain, and illness (Rev. ed.). Bantam Books.

Mindfulness-Based Stress Reduction(MBSR)の代表的文献である。ストレス、痛み、病気など、自分の意思だけでは取り除けない経験との関係を考える際の参考となる。ただし、MBSRと般若心経を同一視するものではない。

Segal, Z. V., Williams, J. M. G., & Teasdale, J. D. (2012). Mindfulness-based cognitive therapy for depression (2nd ed.). Guilford Press.

Mindfulness-Based Cognitive Therapy(MBCT)の代表的文献である。思考や感情を自分自身そのものと同一視せず、心理現象として観察する脱中心化を理解する際の参考となる。

Hayes, S. C., Strosahl, K. D., & Wilson, K. G. (2011). Acceptance and commitment therapy: The process and practice of mindful change (2nd ed.). Guilford Press.

Acceptance and Commitment Therapy(ACT)の代表的文献である。苦しい思考や感情を完全に消去してから生きるのではなく、それらが存在しながらも価値に沿った行動を選ぶという考えを理解する際の参考となる。

Ho, C. Y. Y., Yu, B. C. L., & Mak, W. W. S. (2022). Nonattachment mediates the associations between mindfulness, well-being, and psychological distress: A meta-analytic structural equation modeling approach. Clinical Psychology Review, 95, 102175.

非執着(nonattachment)、マインドフルネス、ウェルビーイング、心理的苦痛との関連を検討したメタ分析である。ただし、心理学上のnonattachmentと般若心経の「無所得」を同一の概念として扱うことはできない。

関連資料

Plum Village. The Insight That Brings Us to the Other Shore.

ティク・ナット・ハンによる般若心経の現代英訳である。「emptiness」「five skandhas」「no attainment」「obstacles」「fear」などの主要概念を現代英語で確認することができる。

Plum Village. Heart Sutra.

英語による般若心経の読誦資料であり、般若心経を文字だけではなく、声、呼吸、リズムを含む実践として体験する際の関連資料である。

全国曹洞宗青年会「般若心経」関連読誦・現代語訳資料。

日本において、般若心経を現代生活の中で「聴く」「唱える」ための関連資料として参照できる。

※本シリーズでは一貫して、「般若心経に書かれていること」「後世の仏教思想として解釈されてきたこと」「現代心理学との比較から考えられること」「科学研究によって実証されていること」を可能な限り区別してきた。

マインドフルネス、MBSR、MBCT、ACT、非執着、呼吸法、瞑想、読経などについて研究が存在するからといって、それをそのまま「般若心経の医学的効果」とすることはできない。

また、般若心経、読経、写経、瞑想、呼吸法などは、精神科・心療内科で行われる診断や治療、心理専門職による心理療法の代わりになるものではない。

重い抑うつ状態、自殺念慮、重度の不安、PTSD、解離症状、精神病症状などがある場合には、宗教的・セルフケア的実践だけで解決しようとせず、医療機関や適切な専門家への相談が必要である。

最後に、本シリーズの結論をもう一度記す。

般若心経が教えているのは、苦しみのない人生を手に入れる方法ではない。

苦しみがあっても、その苦しみだけに人生を支配されない心のあり方である。

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投稿者プロフィール

市村 修一
市村 修一
【略 歴】
茨城県生まれ。
明治大学政治経済学部卒業。日米欧の企業、主に外資系企業でCFO、代表取締役社長を経験し、経営全般、経営戦略策定、人事、組織開発に深く関わる。その経験を活かし、激動の時代に卓越した人財の育成、組織開発の必要性が急務と痛感し独立。「挑戦・創造・変革」をキーワードに、日本企業、外資系企業と、幅広く人財・組織開発コンサルタントとして、特に、上級管理職育成、経営戦略策定、組織開発などの分野で研修、コンサルティング、講演活動等で活躍を経て、世界の人々のこころの支援を多言語多文化で行うグローバルスタートアップとして事業展開を目指す決意をする。

【背景】
2005年11月、 約10年連れ添った最愛の妻をがんで5年間の闘病の後亡くす。
翌年、伴侶との死別自助グループ「Good Grief Network」を共同設立。個別・グループ・グリーフカウンセリングを行う。映像を使用した自助カウンセリングを取り入れる。大きな成果を残し、それぞれの死別体験者は、新たな人生を歩み出す。
長年実践研究を妻とともにしてきた「いきるとは?」「人間学」「メンタルレジリエンス」「メンタルヘルス」「グリーフケア」をさらに学際的に実践研究を推し進め、多数の素晴らしい成果が生まれてきた。私自身がグローバルビジネスの世界で様々な体験をする中で思いを強くした社会課題解決の人生を賭ける決意をする。

株式会社レジクスレイ(Resixley Incorporated)を設立、創業者兼CEO
事業成長アクセラレーター

【専門領域】
・レジリエンス(精神的回復力) ・グリーフケア ・異文化理解 ・グローバル人財育成 
・東洋哲学・思想(人間学、経営哲学、経営戦略) ・組織文化・風土改革  ・人材・組織開発、キャリア開発
・イノベーション・グローバル・エコシステム形成支援

【主な著書/論文/プレス発表】
「グローバルビジネスパーソンのためのメンタルヘルスガイド」kindle版
「喪失の先にある共感: 異文化と紡ぐ癒しの物語」kindle版
「実践!情報・メディアリテラシー: Essential Skills for the Global Era」kindle版
「こころと共感の力: つながる時代を前向きに生きる知恵」kindle版
「未来を拓く英語習得革命: AIと異文化理解の新たな挑戦」kindle版
「グローバルビジネス成功の第一歩: 基礎から実践まで」Kindle版
「仕事と脳力開発-挫折また挫折そして希望へ-」(城野経済研究所)
「英語教育と脳力開発-受験直前一ヶ月前の戦略・戦術」(城野経済研究所)
「国際派就職ガイド」(三修社)
「セミナーニュース(私立幼稚園を支援する)」(日本経営教育研究所)

【主な研修実績】
・グローバルビジネスコミュニケーションスキルアップ ・リーダーシップ ・コーチング
・ファシリテーション ・ディベート ・プレゼンテーション ・問題解決
・グローバルキャリアモデル構築と実践 ・キャリア・デザインセミナー
・創造性開発 ・情報収集分析 ・プロジェクトマネジメント研修他
※上記、いずれもファシリテーション型ワークショップを基本に実施

【主なコンサルティング実績】
年次経営計画の作成。コスト削減計画作成・実施。適正在庫水準のコントロール・指導を遂行。人事総務部門では、インセンティブプログラムの開発・実施、人事評価システムの考案。リストラクチャリングの実施。サプライチェーン部門では、そのプロセス及びコスト構造の改善。ERPの導入に際しては、プロジェクトリーダーを務め、導入期限内にその導入。組織全般の企業風土・文化の改革を行う。

【主な講演実績】
産業構造変革時代に求められる人材
外資系企業で働くということ
外資系企業へのアプローチ
異文化理解力
経営の志
商いは感動だ!
品質は、タダで手に入る
利益は、タダで手に入る
共生の時代を創る-点から面へ、そして主流へ
幸せのコミュニケーション
古典に学ぶ人生
古典に学ぶ経営
論語と経営
論語と人生
安岡正篤先生から学んだこと
素読のすすめ
経営の突破口は儒学にあり
実践行動学として儒学に学ぶ!~今ここに美しく生きるために~
何のためにいきるのか~一人の女性の死を見つめて~
縁により縁に生きる
縁に生かされて~人は生きているのではなく生かされているのだ!~
看取ることによって手渡されるいのちのバトン
など
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