般若心経の「空」とは何か──「照見五蘊皆空」をメンタルヘルスから読み解く

シエアする:

般若心経の「空」とは何か──「照見五蘊皆空」をメンタルヘルスから読み解く

本記事は、全12回シリーズ「般若心経とメンタルヘルス──『空』『無所得』『心無罣礙』から学ぶ、苦しみに囚われない心のつくり方」の第3回である。

第2回では、

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空

という般若心経冒頭の言葉から、「観る」とはどういうことなのか、そして色・受・想・行・識という「五蘊」とは何かを考えた。

身体。

快・不快という感受。

物事を認識し意味づける働き。

さまざまな心の形成作用。

そして意識。

私たちが、

「私は不安だ」

「私は悲しい」

「私は怒っている」

と一つの塊のように感じている経験も、少し丁寧に観れば、さまざまな側面から成り立っている。

そして般若心経は、その五蘊について、さらに驚くべきことを述べる。

照見五蘊皆空

五蘊は、すべて「空」であると照らし見た、というのである。

ここで、般若心経最大の難所の一つに入る。

「空」とはいったい何なのか。

何も存在しないという意味なのか。

人生には意味がないということなのか。

自分も他人も世界も、すべて幻だということなのか。

悲しみも不安も「空」なのだから、気にする必要はないということなのか。

結論から言えば、本シリーズでは、そのようには読まない。

「空」は、単純な「無」ではない。

むしろ、

私たちが固定して存在していると思っているものも、多くの条件や関係の中で成り立ち、絶えず変化している

という洞察として考えていく。

そして、この「固定して見ない」という視点は、メンタルヘルスを考えるうえでも非常に重要な意味を持っている。

第9章 「空」とは何か──「何も存在しない」という意味ではない

「空」という言葉を初めて聞くと、

「空っぽ」

「何もない」

「ゼロ」

というイメージを持つ人が多いだろう。

そのため、般若心経の「空」について、

「結局、何も存在しないということなのか」

「人生には意味がないという思想なのか」

「自分など存在しないと思えばよいのか」

と理解されることがある。

しかし、本シリーズでは、「空」をそのような虚無主義として扱わない。

総合案内でも確認したように、般若心経の「空」は、

人生を否定するための思想ではなく、人生を固定化して見ないための智慧

として読む。

「存在しない」のではなく、「固定して存在していない」

一つ、身近なものを考えてみよう。

「自分の身体」である。

今、この文章を読んでいる身体は確かに存在している。

だから、

「身体は空である。したがって身体など存在しない」

という理解ではない。

しかし、その身体は、生まれたときから今日まで、まったく同じだっただろうか。

子どもの頃の身体。

青年期の身体。

現在の身体。

同じではない。

体力も変わる。

体重も変わる。

顔も変わる。

健康状態も変わる。

年齢とともに身体は変化していく。

つまり、

身体は存在している。しかし、永遠に固定された同じ状態で存在しているわけではない。

人間関係も同じである。

親子関係。

夫婦関係。

友人関係。

職場の関係。

人とのつながりは確かに存在する。

しかし、関係の形は変わる。

出会う。

親しくなる。

距離が生まれる。

理解が深まる。

すれ違う。

別れることもある。

死によって関係のあり方が大きく変わることもある。

関係が「存在しない」のではない。

存在しているが、そのあり方は固定されていない。

この違いが重要である。

「空だから、どうでもよい」ではない

空を「何もない」と理解すると、危険な方向へ進むことがある。

「すべて空なのだから、努力しても意味がない」

「人間関係も空なのだから、人を大切にする必要はない」

「悲しみも空なのだから、悲しむ必要はない」

「病気も空なのだから、気にしなくてよい」

しかし、この連載はそのような読み方を取らない。

特にメンタルヘルスとの関係では、

「空」を人間の苦しみを否定する言葉として使ってはならない。

大切な人を失えば、悲しい。

病気になれば、不安になる。

関係が壊れれば、傷つく。

仕事を失えば、将来が怖くなる。

その感情は現実に起きている。

「それは空なのだから気にするな」

と言うことは、苦しんでいる人の感情を切り捨てることになり得る。

本シリーズの基本姿勢は一貫している。

悲しいときには悲しい。

怖いときには怖い。

寂しいときには寂しい。

怒りが生じることもある。

その感情を否定するのではない。

ただ、

その感情が永遠に変わらないものなのか。

その感情だけが、自分のすべてなのか。

そこを問い直すのである。

「私はダメな人間だ」は固定された事実なのか

「空」という考え方がメンタルヘルスと接する重要な場面の一つが、自己評価である。

仕事で失敗した。

すると、

「私は失敗した」

ではなく、

「私は失敗する人間だ」

となる。

さらに、

「私は能力のない人間だ」

「私は何をしてもダメだ」

「私は昔からこういう人間だ」

と広がることがある。

一つの出来事が、自分という存在全体の定義になってしまう。

しかし、本当にそうだろうか。

ある場面では失敗した。

しかし、別の場面ではうまくできたことがあるかもしれない。

以前できなかったことが、練習によってできるようになったこともあるだろう。

昔とは考え方が変わった部分もある。

かつて苦手だった人との関わり方が変化したこともあるかもしれない。

それでも私たちは、

「私はこういう人間だ」

という言葉で、自分を固定しやすい。

「空」という視点は、その固定化に問いを投げかける。

本当に、その自己イメージは永遠に変わらないものなのか。

ここから、「空」は単なる哲学的な抽象概念ではなくなってくる。

第10章 空・縁起・無常──なぜすべては変化するのか

空を理解するとき、本シリーズでは「縁起」と「無常」という二つの視点もあわせて考える。

難しい言葉に見えるが、ここではまず、ごく基本的なところから見ていきたい。

物事は、それだけで成立しているわけではない

私たちは、目の前にあるものを、それ自体で独立して存在しているものとして見やすい。

しかし、実際には、多くの条件が重なって物事は成立している。

例えば、一つの仕事の成果を考えてみよう。

「自分が成功させた」

と言うことはできる。

しかし、その成果は本当に自分一人だけで生まれただろうか。

同僚がいる。

顧客がいる。

取引先がいる。

過去に教えてくれた人がいる。

使っている技術がある。

会社という組織がある。

社会の制度やインフラもある。

体調や時間、偶然の出来事も影響しているかもしれない。

一つの結果は、多くの条件や関係の中から生まれている。

人間そのものも同じである。

「現在の自分」は、自分一人だけで形成されたわけではない。

家族。

学校。

友人。

仕事。

出会った人。

成功。

失敗。

喪失。

社会。

時代。

さまざまな経験の積み重ねの中で、「現在の自分」がある。

このように考えると、

「自分とは、最初から最後まで変わらない一つの塊である」

という見方が少し揺らいでくる。

条件が変われば、現れ方も変わる

多くの条件によって成り立っているということは、その条件が変われば、状態も変わり得るということである。

仕事の環境が変わる。

人間関係が変わる。

身体が変わる。

知識が増える。

経験を積む。

新しい人と出会う。

大切な人を失う。

価値観が変わる。

そうした変化の中で、私たち自身も変わる。

ここで「無常」という視点が重要になる。

人間の人生では、変化を止めることができない。

嬉しいことも変わる。

苦しいことも変わる。

若さも変わる。

健康も変わる。

社会的地位も変わる。

人との関係も変わる。

そして、自分の心も変わる。

人間は、変わるものを変わらないでほしいと願う

問題は、変化そのものだけではない。

人間の心はしばしば、

変わるものに対して、「変わらないでほしい」と願う。

この人には、ずっと自分のそばにいてほしい。

今の健康を失いたくない。

この仕事を失いたくない。

この地位を守りたい。

人からの評価を下げたくない。

若いままでいたい。

昔の自分に戻りたい。

その願いそのものを否定する必要はない。

大切なものを失いたくないという気持ちは自然である。

しかし、

「変わってほしくない」

から、

「絶対に変わってはならない」

へ進んだとき、心は現実と強く衝突する。

現実は変化する。

しかし心は、

「変化してはいけない」

と言う。

このずれが、もともとの痛みにさらに苦しみを加えることがある。

変化を受け入れるとは、あきらめることではない

「無常なのだから仕方がない」

と言えば、消極的なあきらめのように聞こえるかもしれない。

しかし、変化を認めることと、何もしないことは同じではない。

健康は変化する。

だからこそ身体を大切にする。

人間関係は変化する。

だからこそ、いま一緒にいる人を大切にする。

仕事の環境は変化する。

だからこそ、学び続ける。

自分も変化する。

だからこそ、新しい生き方を選び直すこともできる。

「変わる」という事実には、喪失の可能性と同時に、変化できる可能性も含まれている。

今が永遠ではないということは、

苦しい状態も永遠ではないかもしれない、

ということでもある。

「ずっとこのまま」は本当に事実なのか

苦しいとき、人間の心は未来を固定化する。

「この苦しみは一生続く」

「私はもう立ち直れない」

「自分はずっと孤独だ」

「もう何も変わらない」

そのように感じることがある。

もちろん、簡単に「そのうち良くなる」と言ってよいわけではない。

実際に長く続く苦しみもある。

人生には、元に戻らない喪失もある。

しかし、

「いま苦しい」ことと、「この苦しみが未来永劫まったく同じ形で続く」ことは同じではない。

未来を完全に予測することはできない。

だからこそ、

「ずっとこのままだ」

という思考もまた、絶対的な事実として固定する必要はないのである。

第11章 「照見五蘊皆空」──心も感情も固定されたものではない

ここで、第2回で扱った五蘊へ戻ろう。

般若心経は、

照見五蘊皆空

と説く。

色・受・想・行・識という五蘊を、すべて「空」であると照らし見る。

第2回では、不安という一つの経験も、

身体の反応。

不快という感受。

出来事への意味づけ。

心の反応や衝動。

それらを経験している意識。

といった複数の側面から見ることができると考えた。

今回は、その五蘊そのものも固定されてはいない、という方向へ進む。

身体は変わる──色

身体は変化する。

疲れている日と元気な日では違う。

朝と夜でも違う。

年齢によっても変わる。

病気になることもある。

回復することもある。

身体は「存在している」。

しかし、

「いつでも、どこでも、永久にまったく同じ身体」

として存在しているわけではない。

快・不快も変わる──受

ある出来事が不快だったとする。

その瞬間には、

「耐えられない」

と思うかもしれない。

しかし、一時間後、一日後、一週間後にも、まったく同じ強さで不快だとは限らない。

あるいは逆に、最初は何とも思わなかった出来事が、後になって重く感じられることもある。

感受も動いている。

認識や意味づけも変わる──想

過去の出来事を思い返したとき、

「あのときは最悪だった」

と思っていた経験が、何年か後には違って見えることがある。

反対に、当時は気づかなかった意味を、後になって理解する場合もある。

同じ出来事そのものは変えられない。

しかし、出来事をどう捉えるかは変化することがある。

「自分の見方は絶対である」

とは限らない。

心の反応も変わる──行

以前ならすぐ怒っていたことに、今ではそれほど反応しなくなることがある。

以前なら怖くてできなかったことが、経験を積むことでできるようになることもある。

反対に、過去の経験によって敏感になることもある。

心の反応の仕方も固定されたものではない。

意識に現れる内容も変わる──識

一日の中だけでも、私たちの意識には多くのものが現れては消えていく。

仕事のことを考える。

食事のことを考える。

誰かを思い出す。

音が聞こえる。

不安が浮かぶ。

また別のことを考える。

心の中には、次々と経験が現れる。

一つの考えや感情が、永遠に同じ形のまま意識に存在しているわけではない。

「怒りがある」と「私は怒りそのものだ」は違う

例えば、強い怒りが生じたとする。

その瞬間には、

「許せない」

という気持ちしか見えないかもしれない。

しかし、怒りを五蘊という視点で少し丁寧に観ると、

身体が熱くなっている。

不快さがある。

「不当に扱われた」と意味づけている。

言い返したい衝動がある。

そして、それらを意識している。

という複数の側面が見えてくる。

さらに、その一つひとつも変化する。

身体の緊張が少し下がる。

不快感の強さが変わる。

別の解釈が見えてくる。

「今すぐ言い返したい」という衝動が弱まる。

怒りが「ない」わけではない。

しかし、

怒りが固定された一つの巨大な実体ではなくなる。

ここに、「照見五蘊皆空」をメンタルヘルスという視点から考える一つの入口がある。

感情は本物である。しかし固定物ではない

ここは特に誤解してほしくない点である。

「感情は空である」

から、

「感情は存在しない」

にはならない。

悲しみは存在する。

不安は存在する。

怒りも存在する。

それらを感じている人にとって、その経験は現実である。

しかし、

現実に存在することと、固定された不変の実体であることは同じではない。

「いま私は深く悲しい」

ことは認める。

同時に、

「この悲しみが、私という存在のすべてである」

とは決めない。

「いま私は強い不安を感じている」

ことは認める。

同時に、

「私は永遠に不安な人間である」

とは決めない。

これは感情の否定ではない。

むしろ、感情を十分に認めながら、それを自分の存在全体へ拡大しないということである。

第12章 「自分」という存在も変わり続けている

ここまで来ると、さらに大きな問いが現れる。

身体も変化する。

感受も変化する。

認識も変わる。

心の反応も変わる。

意識の内容も変わる。

では、

「自分」とはいったい何なのだろうか。

私たちは普段、

「私はこういう人間です」

と自然に言う。

「私は内向的です」

「私は心配性です」

「私は人付き合いが苦手です」

「私は失敗するタイプです」

「私はリーダーには向いていません」

「私は変われません」

このような言葉は、自分を理解するうえで役立つ場合もある。

しかし、それが固定された自己定義になると、別の問題が生まれる。

自己イメージは、いつ作られたのか

「私は人前で話すのが苦手だ」

という自己イメージがあるとする。

なぜそう思うようになったのだろうか。

子どもの頃に失敗した。

人から笑われた。

緊張してうまく話せなかった。

誰かに「あなたは話すのが下手だ」と言われた。

そのような経験が積み重なって、

「私は人前で話せない人間だ」

という自己像ができたのかもしれない。

しかし、その自己像は生まれたときから存在していただろうか。

そうではない。

何らかの経験の中で形成されたものである。

形成されたものならば、新しい経験の中で変化する可能性もある。

もちろん、簡単に変えられるとは限らない。

長年形成されてきた自己イメージは強い。

それでも、

「これは絶対に変わらない自分の本質だ」

と断定する必要はない。

過去の自分を、現在の自分に閉じ込めない

人間は過去によって傷つく。

そして過去の出来事から、自分を定義することがある。

「あの会社で失敗した自分」

「離婚した自分」

「病気になった自分」

「大切な人を失った自分」

「夢を諦めた自分」

「人に裏切られた自分」

それらは人生の重要な経験である。

忘れればよいわけではない。

なかったことにする必要もない。

しかし、

一つの経験だけで、その後の人生すべてを定義しなければならないわけでもない。

過去は変えられない。

しかし、過去を抱えた現在の自分は、なお変化の中にいる。

ここは非常に重要である。

「空」は、過去を消す魔法ではない。

喪失をなかったことにする思想でもない。

むしろ、

「この出来事が起きた。だから自分は永遠にこの人間である」

という固定化から、少し距離を取る視点を与える。

「昔の自分に戻りたい」という苦しみ

人はしばしば、

「昔の自分に戻りたい」

と思う。

健康だった頃。

仕事が順調だった頃。

家族がそろっていた頃。

若かった頃。

自信があった頃。

確かに、その気持ちは自然である。

しかし、「昔の自分に戻る」ことだけを唯一の回復と考えると、現在の自分を否定し続けることにもなり得る。

人生は時間とともに進む。

経験したことをすべて消して、完全に以前の状態へ戻ることはできない。

では、回復とは何なのだろうか。

必ずしも「元に戻る」ことだけではないのではないか。

失ったものを抱えながら、以前とは違う形で生きていく。

傷ついた経験を持ちながら、新しい関係を築く。

病気によって生活が変わっても、その条件の中で新しい意味を見いだしていく。

老いによってできなくなることが増えても、別の価値を発見していく。

「空」という視点は、

自分を過去の一時点に固定しない

という可能性にもつながっている。

肩書きは「自分」そのものなのか

自己の固定化は、仕事の世界にもある。

社長。

管理職。

専門家。

医師。

教師。

会社員。

経営者。

肩書きは社会の中で重要な役割を持つ。

しかし、肩書きが自分の存在すべてになると、その肩書きを失うことが、自分自身を失うことと同じになってしまう。

退職した。

役職を外れた。

会社を辞めた。

事業に失敗した。

その瞬間、

「自分にはもう価値がない」

となる。

だが、

役職がなくなることと、人間としての自分が消滅することは同じではない。

これまで築いてきた経験もある。

人との関係もある。

新しく学べることもある。

役割が変われば、別の自分が現れる可能性もある。

空は、

「肩書きなどどうでもよい」

という話ではない。

むしろ、

「肩書きを大切にしながらも、それだけを固定的な自己のすべてにしない」

という見方につながる。

人間は「完成品」ではない

私たちは自分を、

すでに完成している人物、

のように考えることがある。

「自分はこういう性格だから」

「もうこの年齢だから」

「昔からこうだったから」

「今さら変わらない」

しかし、人生を振り返れば、自分は何度も変わってきたはずである。

好きなものが変わった。

考え方が変わった。

付き合う人が変わった。

仕事が変わった。

大切にする価値が変わった。

昔は許せなかったことを、今では違って見られる。

逆に、昔は気にしなかったことを、今では重要に感じる。

「自分」は、一枚の写真のように固定されたものではなく、時間の中を生きている。

その意味で、

「私はこういう人間だ」という自己定義には、常に余白がある。

その余白は、不安でもある。

未来の自分が分からないからである。

しかし同時に、希望でもある。

今の自分だけが、永遠の自分ではないからである。

「空」を自己否定に使ってはいけない

ここで、第3回の重要な注意点を明確にしておきたい。

「空」を、

「自分なんて存在しない」

「自分には価値がない」

という自己否定に使ってはいけない。

それは本シリーズが目指す方向とは逆である。

空は、

「あなたには価値がない」

という思想ではない。

また、

「悲しんでいるあなたなど本当は存在しない」

という思想でもない。

むしろ、

「いまの苦しみだけで、自分という存在すべてを固定してしまわなくてもよい」

という方向から考える。

「私は失敗した」

ことと、

「私は失敗そのものだ」

は違う。

「私は病気になった」

ことと、

「病気が私の存在のすべてだ」

は違う。

「私は深い悲しみを経験している」

ことと、

「私の人生は悲しみ以外の何ものでもない」

ことは違う。

「空」という考えを、苦しんでいる自分を消すために使うのではない。

苦しんでいる自分を、一つの固定された姿だけに閉じ込めないために使う。

本シリーズでは、そのような方向から考えていく。

今回の小さな実践──「私は○○だ」を見直す

今回、自分について普段使っている言葉を一つ探してみよう。

例えば、

「私は心配性だ」

「私は人付き合いが苦手だ」

「私は怒りっぽい」

「私は弱い」

「私は失敗する人間だ」

「私は変われない」

という言葉である。

そして、その言葉に、

「いつでも?」

と問いかけてみる。

本当に、いつでもそうなのか。

次に、

「どんな場面でも?」

と問いかける。

どんな人と一緒にいても同じだろうか。

どんな環境でも同じだろうか。

さらに、

「昔から一度も変わっていない?」

と考える。

少しでも変わった経験はないだろうか。

最後に、言葉を少しだけ変える。

「私は不安な人間だ」

ではなく、

「私は、不安を感じやすい場面がある」

「私は人付き合いが苦手だ」

ではなく、

「私は、ある人間関係では緊張しやすい」

「私は失敗する人間だ」

ではなく、

「私は、あの場面では失敗した」

これは、自分を無理に肯定的に言い換える練習ではない。

現実を美化するためでもない。

固定された自己定義を、事実に近い大きさへ戻す練習

である。

そこに、「空」を日常の心へつなぐ一つの入口がある。

第3回のまとめ

第3回では、般若心経最大のキーワードの一つである「空」を考えた。

最初に確認したのは、

空=何も存在しない

ではないということである。

身体は存在する。

人間関係も存在する。

悲しみも存在する。

不安も存在する。

自分も存在している。

しかし、それらを、

独立して固定され、永遠に同じ形のまま存在するもの

として見る必要はない。

私たちの身体は変わる。

感情も変わる。

認識も変わる。

心の反応も変わる。

人間関係も変わる。

仕事も社会も変わる。

そして、

「自分はこういう人間だ」

という自己イメージも変わる。

「空」を考えることは、人生を無意味だと考えることではない。

むしろ、

人生を固定化して見ないこと

なのである。

そして、その視点は、

「私は永遠にこのままだ」

「この苦しみは絶対に変わらない」

「一度失敗した自分は、ずっと失敗者だ」

「昔の自分に戻れなければ、自分には価値がない」

という心の固定化に、小さな余白をつくる。

般若心経は、

照見五蘊皆空

と説く。

では、この「空」は、私たちが実際に生きている世界とどのように関係するのだろうか。

そこで次に登場するのが、般若心経でもっとも有名な言葉である。

色即是空

そして、

空即是色

である。

「色は空である」だけではない。

「空は色である」とも説く。

ここをどう理解するかによって、「空」が虚無主義ではないことが、さらに明確になってくる。

次回予告

第4回 「色即是空・空即是色」とは何か──変化を受け入れる心と般若心経

次回は、

色不異空 空不異色
色即是空 空即是色

という般若心経を代表する一節へ入る。

「色即是空」は広く知られている。

しかし、

「すべては空しい」

という意味だけで理解すると、般若心経の重要な半分を見失う。

経典は、

空即是色

とも述べているからである。

第4回では、

「色即是空」とは何か。

なぜ「空即是色」まで読む必要があるのか。

そして、身体、仕事、人間関係、病気、老いなど、変化を避けることのできない人生の中で、なぜ私たちは変化に抵抗し、そこから苦しみを大きくしてしまうのかを考える。

「空」を抽象的な哲学だけで終わらせず、私たちが実際に生きる世界へ降ろしていく。

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「般若心経とメンタルヘルス──『空』『無所得』『心無罣礙』から学ぶ、苦しみに囚われない心のつくり方【全12回・総合案内】」

参考文献・関連資料

般若心経・仏教思想

中村元・紀野一義(訳註)(1982)『般若心経・金剛般若経』岩波書店(岩波文庫)。

般若心経を理解するうえでの基本文献の一つである。「五蘊」「空」「色即是空・空即是色」など、本シリーズの主要概念を確認するための基礎資料として用いる。

佐々木閑(2014)『NHK「100分de名著」ブックス 般若心経』NHK出版。

般若心経の成立背景、大乗仏教における位置づけ、「空」「色即是空」などの思想を一般読者にも理解しやすく考えるための参考資料である。

Thich Nhat Hanh. (2017). The other shore: A new translation of the Heart Sutra with commentaries. Parallax Press.

ティク・ナット・ハンによる般若心経の現代的英訳と解説である。「空」を単なる「無」として捉えず、物事が互いの関係の中で存在しているという観点から考える際の重要な参考文献である。

84000: Translating the Words of the Buddha. The Heart of the Perfection of Wisdom, the Blessed Mother.

般若心経の英訳、序説、注釈、用語集を収録する学術的オンライン資料である。「五蘊」「般若波羅蜜多」などの用語や般若心経の文脈を確認するうえで有用である。

マインドフルネス・心理療法

Kabat-Zinn, J. (2013). Full catastrophe living: Using the wisdom of your body and mind to face stress, pain, and illness (Rev. ed.). Bantam Books.

現在起きている身体感覚、思考、感情に注意を向ける現代的なマインドフルネス実践を理解するための代表的文献である。般若心経と同一視するのではなく、「変化する経験をどのように観るか」という問いを比較する際の資料となる。

Segal, Z. V., Williams, J. M. G., & Teasdale, J. D. (2012). Mindfulness-based cognitive therapy for depression (2nd ed.). Guilford Press.

思考や感情を自分そのものと同一視せず、心に生じる出来事として観察する「脱中心化」を考えるうえで重要な文献である。

Hayes, S. C., Strosahl, K. D., & Wilson, K. G. (2011). Acceptance and commitment therapy: The process and practice of mindful change (2nd ed.). Guilford Press.

Acceptance and Commitment Therapy(ACT)の代表的文献である。思考や感情との関係を変えるという観点については、後の回で般若思想との相違点も含めて詳しく検討する。

※本稿では、般若心経の「空」を現代心理学の理論へ置き換えて説明することはしていない。また、マインドフルネスや心理療法の研究成果を「般若心経の効果」として扱ってもいない。「空=何もない」という誤解を避け、物事や自己を固定化して見ないという本シリーズの基本的な読み方から、メンタルヘルスとの接点を考察した。

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投稿者プロフィール

市村 修一
市村 修一
【略 歴】
茨城県生まれ。
明治大学政治経済学部卒業。日米欧の企業、主に外資系企業でCFO、代表取締役社長を経験し、経営全般、経営戦略策定、人事、組織開発に深く関わる。その経験を活かし、激動の時代に卓越した人財の育成、組織開発の必要性が急務と痛感し独立。「挑戦・創造・変革」をキーワードに、日本企業、外資系企業と、幅広く人財・組織開発コンサルタントとして、特に、上級管理職育成、経営戦略策定、組織開発などの分野で研修、コンサルティング、講演活動等で活躍を経て、世界の人々のこころの支援を多言語多文化で行うグローバルスタートアップとして事業展開を目指す決意をする。

【背景】
2005年11月、 約10年連れ添った最愛の妻をがんで5年間の闘病の後亡くす。
翌年、伴侶との死別自助グループ「Good Grief Network」を共同設立。個別・グループ・グリーフカウンセリングを行う。映像を使用した自助カウンセリングを取り入れる。大きな成果を残し、それぞれの死別体験者は、新たな人生を歩み出す。
長年実践研究を妻とともにしてきた「いきるとは?」「人間学」「メンタルレジリエンス」「メンタルヘルス」「グリーフケア」をさらに学際的に実践研究を推し進め、多数の素晴らしい成果が生まれてきた。私自身がグローバルビジネスの世界で様々な体験をする中で思いを強くした社会課題解決の人生を賭ける決意をする。

株式会社レジクスレイ(Resixley Incorporated)を設立、創業者兼CEO
事業成長アクセラレーター

【専門領域】
・レジリエンス(精神的回復力) ・グリーフケア ・異文化理解 ・グローバル人財育成 
・東洋哲学・思想(人間学、経営哲学、経営戦略) ・組織文化・風土改革  ・人材・組織開発、キャリア開発
・イノベーション・グローバル・エコシステム形成支援

【主な著書/論文/プレス発表】
「グローバルビジネスパーソンのためのメンタルヘルスガイド」kindle版
「喪失の先にある共感: 異文化と紡ぐ癒しの物語」kindle版
「実践!情報・メディアリテラシー: Essential Skills for the Global Era」kindle版
「こころと共感の力: つながる時代を前向きに生きる知恵」kindle版
「未来を拓く英語習得革命: AIと異文化理解の新たな挑戦」kindle版
「グローバルビジネス成功の第一歩: 基礎から実践まで」Kindle版
「仕事と脳力開発-挫折また挫折そして希望へ-」(城野経済研究所)
「英語教育と脳力開発-受験直前一ヶ月前の戦略・戦術」(城野経済研究所)
「国際派就職ガイド」(三修社)
「セミナーニュース(私立幼稚園を支援する)」(日本経営教育研究所)

【主な研修実績】
・グローバルビジネスコミュニケーションスキルアップ ・リーダーシップ ・コーチング
・ファシリテーション ・ディベート ・プレゼンテーション ・問題解決
・グローバルキャリアモデル構築と実践 ・キャリア・デザインセミナー
・創造性開発 ・情報収集分析 ・プロジェクトマネジメント研修他
※上記、いずれもファシリテーション型ワークショップを基本に実施

【主なコンサルティング実績】
年次経営計画の作成。コスト削減計画作成・実施。適正在庫水準のコントロール・指導を遂行。人事総務部門では、インセンティブプログラムの開発・実施、人事評価システムの考案。リストラクチャリングの実施。サプライチェーン部門では、そのプロセス及びコスト構造の改善。ERPの導入に際しては、プロジェクトリーダーを務め、導入期限内にその導入。組織全般の企業風土・文化の改革を行う。

【主な講演実績】
産業構造変革時代に求められる人材
外資系企業で働くということ
外資系企業へのアプローチ
異文化理解力
経営の志
商いは感動だ!
品質は、タダで手に入る
利益は、タダで手に入る
共生の時代を創る-点から面へ、そして主流へ
幸せのコミュニケーション
古典に学ぶ人生
古典に学ぶ経営
論語と経営
論語と人生
安岡正篤先生から学んだこと
素読のすすめ
経営の突破口は儒学にあり
実践行動学として儒学に学ぶ!~今ここに美しく生きるために~
何のためにいきるのか~一人の女性の死を見つめて~
縁により縁に生きる
縁に生かされて~人は生きているのではなく生かされているのだ!~
看取ることによって手渡されるいのちのバトン
など
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