アメリカは何を望み、日本は何を選ぶのか
──台湾有事・日米同盟・エネルギーから読み解く国家安全保障戦略
はじめに この時代に「国家安全保障」を自分の言葉で考えるということ
国家安全保障という言葉を目にしたとき、多くの人は自分とは距離のある世界の話だと感じるかもしれない。そこには、軍事、外交、防衛費、条約、国際政治といった専門的で難解な語が並び、日々の生活とは直接結びつかない抽象的な議論が展開されてきた歴史がある。その結果、安全保障は「専門家が考えるもの」「政治家が決めるもの」として扱われ、一般国民が主体的に向き合う対象とはなりにくかった。
しかし、現代において国家安全保障は、もはや遠い世界の話ではない。エネルギー価格の高騰、物流の混乱、半導体不足、為替の急変、感染症の拡大、サイバー攻撃や情報操作といった現象は、すべて国家安全保障と直結している。それらは、静かに、しかし確実に私たちの日常生活を規定している。安全保障とは、銃声が響く戦場の話ではなく、電気が点き、物が届き、仕事が続き、家族が安心して暮らせるかどうかという、ごく基本的な条件の問題なのである。
本稿が扱うテーマは、2025年11月に公表された「National Security Strategy of the United States of America(アメリカ合衆国国家安全保障戦略)」(リンクはこちら)、とりわけ第II章「What Should the United States Want?」である。この章は、アメリカが何を守り、何を優先し、何を引き受けないのかを、極めて率直に示している。その内容は賛否を呼ぶものであるが、一点において疑いようのない価値を持っている。それは、国家としての優先順位を国民に明示し、選択の責任を正面から引き受けているという点である。注:関連ブログはこちらへ
この戦略を読むとき、日本の読者は強い違和感、あるいは不安を覚えるかもしれない。そこには、これまで日本社会が暗黙の前提としてきた「アメリカは最後には助けてくれる」「同盟国である限り安全は保証される」という安心感が、必ずしも共有されていないからである。しかし、その違和感こそが、今まさに日本が向き合うべき出発点である。
本稿の目的は、アメリカの戦略を称賛することでも、批判することでもない。重要なのは、その戦略が突き付けている現実を、日本自身の問題として引き受け、考え直すことである。アメリカが何を望んでいるのかを理解することは、日本が何を望むべきかを考えるための鏡となる。
台湾有事、日米同盟の将来、エネルギー地政学、日本の国家安全保障戦略、安全保障産業戦略──これらは個別のテーマに見えるが、実際には一つの連続した問いである。それは、日本がどのような国家として生き続けたいのか、そしてそのために何を引き受け、何を手放す覚悟があるのかという問いである。
本稿では、恐怖や煽動に訴えることはしない。また、特定の政治的立場を押し付けることもしない。その代わりに、構造を示し、選択肢を整理し、読者自身が考えるための材料を提示することを目指す。安全保障を「誰かの議論」から「自分の判断」へと引き戻すことが、本稿の最大の目的である。
この「はじめに」は、結論を急ぐためのものではない。むしろ、立ち止まり、問いを共有するための入り口である。国家安全保障は、専門家だけのものではない。それは、私たち一人ひとりが、どのような社会を次の世代に残したいのかという、極めて個人的で倫理的な問いと結びついている。
この問いに正解はない。しかし、考えないままでいることだけは、すでに許されない段階に来ている。本稿が、その第一歩となることを願い、ここに「はじめに」を置く。序章 なぜ今、アメリカの国家安全保障戦略から日本を考えるのか
国家安全保障という言葉は、日本社会においていまだに十分に咀嚼されているとは言い難い。多くの場合、それは防衛費の多寡や自衛隊の装備、あるいは有事の際にアメリカがどこまで助けてくれるのか、といった断片的な議論に矮小化されてきた。しかし、国家安全保障とは本来、そのような部分最適の集合体ではない。それは、国家がどのような姿で存続し続けたいのか、どのような価値と生活を次世代に引き継ぐのかという、極めて根源的な問いに対する総合的な設計思想である。
2025年11月に公表された「National Security Strategy of the United States of America」は、その点において極めて示唆に富む文書である。本戦略は、単なる軍事戦略や外交方針の羅列ではない。アメリカ合衆国という国家が、21世紀後半を見据え、何を守り、何を諦め、誰とどのような条件で手を組むのかを、驚くほど率直に言語化した国家意思の表明である。
特に本戦略の第II章「What Should the United States Want?」は、これまでの国家安全保障戦略と決定的に異なる性格を持つ。そこでは、世界秩序や普遍的価値といった抽象概念よりも、「アメリカ国民の安全と繁栄」という一点が、徹底して優先されている。そして、その目的に資さない負担、幻想、自己満足的な国際貢献は、明確に切り捨てられている。
この変化は、日本にとって決して他人事ではない。なぜなら、日本の安全保障は、戦後一貫してアメリカの戦略的意思に深く依存してきたからである。日米安全保障条約は、日本の平和と繁栄を支えてきた基盤である一方で、日本自身が「自国は何を守り、何を賭けるのか」を主体的に問い続ける機会を奪ってきた側面も否定できない。
本戦略が突き付けているのは、同盟国に対する拒絶ではない。むしろそれは、同盟の再定義である。すなわち、価値観を共有するという理由だけで守られる時代は終わり、能力と意志を持ち、地域の安定に具体的に貢献できる国家のみが、戦略的パートナーとして扱われる時代に入ったという現実である。
この文脈において、日本は極めて重要な位置に置かれている。日本は、アジア太平洋地域における最大級の経済力を有し、先進的な技術基盤を持ち、地政学的にも第一列島線の中核を占める国家である。同時に、日本はエネルギーを海外に依存し、海上交通路に国家存立を委ね、台湾有事や朝鮮半島情勢、中国の台頭といった複合的リスクの直撃圏内にある。
にもかかわらず、日本国内ではいまだに「台湾有事は日本有事なのか」「防衛費はどこまで必要なのか」「日米同盟は将来も安泰なのか」といった問いが、感情論や政争の具として消費されがちである。その結果、国民全体としての理解と覚悟が形成されないまま、時間だけが過ぎている。
本稿は、このような現状に対する問題提起である。本稿では、2025年版アメリカ国家安全保障戦略、とりわけ第II章の思想を丁寧に読み解きながら、日本が直面している現実と選択肢を、できる限り平易な言葉で整理することを目的とする。
具体的には、台湾有事がなぜ日本にとって避けて通れない問題なのか、日米同盟は今後どのような姿に変質していくのか、エネルギー地政学が日本の安全保障をいかに規定しているのか、そして日本自身がどのような安全保障戦略と安全保障産業戦略を構築しなければならないのかを、段階的に論じていく。
本稿は、専門家や政策関係者だけに向けたものではない。むしろ、これまで安全保障を「難しい話」「自分には関係のない話」と感じてきた一般国民にこそ読んでほしい内容である。国家安全保障は、決して遠い世界の話ではない。それは、私たちの日常生活、仕事、エネルギー価格、物流、雇用、そして子どもたちの未来と直結している。
アメリカが何を望んでいるのかを正しく理解することは、日本が何を望むべきかを考える出発点である。序章ではまず、その問題意識と全体構造を共有することから始めたい。
第1章 アメリカは「何を守りたい国家」なのか
──2025年国家安全保障戦略における国家観の転換
2025年11月に公表されたアメリカ合衆国国家安全保障戦略の第II章「What Should the United States Want?」を読み解く際、最初に理解しなければならないのは、この章が単なる政策目標の列挙ではなく、国家観そのものの再定義であるという点である。ここで語られているのは、アメリカがどのような国でありたいのか、そしてそのために何を絶対に守り、何を犠牲にしないのかという、極めて根源的な問いへの答えである。
本戦略において、アメリカは自らを「独立した主権国家」と明確に位置づけている。主権国家とは、外部からの強制や依存によって意思決定を歪められることなく、自国民の利益を最優先に政策を選択できる国家を指す。この定義は一見すると当然のように思えるが、冷戦後のアメリカ外交は、必ずしもこの原則に忠実ではなかった。
冷戦終結以降、アメリカは自国の安全と繁栄が、世界全体の民主化や市場化と不可分であるという前提に立って行動してきた。その結果、アメリカは世界各地の紛争、国家建設、秩序維持に深く関与し続け、多大な人的・財政的コストを負担してきた。しかし、本戦略は、その路線を明確に否定している。アメリカの目的は、世界を理想の形に変えることではなく、アメリカ自身が安全であり続けることであると断言している。
この転換を象徴しているのが、「アメリカ国民の生命、安全、繁栄を最優先する」という繰り返しの強調である。本戦略では、軍事攻撃だけでなく、経済的搾取、産業空洞化、エネルギー依存、文化的侵食、情報操作までもが国家安全保障上の脅威として位置づけられている。つまり、国家安全保障とは戦争に勝つための準備ではなく、国家として弱体化しないための総合戦略である。
特に注目すべきは、産業基盤と経済力が国家安全保障の中心に据えられている点である。本戦略は、強固な産業基盤なくして軍事力は成立しないと明言している。これは、日本にとって極めて示唆的である。日本では、防衛と経済は別領域として扱われがちであり、防衛産業は政治的にも社会的にも周縁化されてきた。しかし、アメリカは防衛産業のみならず、エネルギー、半導体、先端技術、物流基盤までもを国家安全保障の中核に位置づけている。
また、本戦略における国家観の転換は、「守る範囲の限定」という形でも現れている。アメリカは、もはや全世界の安定に無条件で責任を持つ国家ではない。守るべきは、アメリカ本土、国民、経済基盤、そしてこれらに直結する戦略的利益である。この考え方は、同盟国に対する姿勢にも直結している。
同盟とは、価値観を共有しているから自動的に守られる関係ではない。本戦略が示しているのは、同盟国であっても、その国が自らの地域で責任を果たさない限り、アメリカが無制限に関与することはないという現実である。ここで言う責任とは、防衛費の増額にとどまらない。それは、制度、産業、国民の理解を含む総合的な安全保障能力を意味する。
この国家観の転換は、日本に対して静かだが重い問いを投げかけている。日本は、アメリカにとって「守る価値のある国」であり続けるのか、それとも「守るコストが高すぎる国」になりつつあるのか、という問いである。これは感情的な問題ではなく、極めて冷徹な戦略判断の問題である。
本戦略が示すアメリカの国家観を理解することは、日本自身の国家観を問い直すことと不可分である。日本は、これまで「経済国家」としての成功に依拠し、安全保障の多くを外部に委ねてきた。しかし、アメリカが主権と自立を前面に押し出す以上、日本もまた、自国は何を守りたい国家なのかを明確にしなければならない。
第1章では、アメリカの国家安全保障戦略における国家観の転換を整理した。この理解を踏まえた上で、次章では、なぜ台湾有事がアメリカと日本の双方にとって避けて通れない問題なのかを、地政学と経済の観点から具体的に論じていく。
第2章 台湾有事とは何か
──地政学・半導体・海上交通路から見た「日本が当事者である理由」
台湾有事という言葉は、日本のメディアや政治の場で頻繁に使われるようになった。しかし、その多くは感情的な危機煽動か、あるいは抽象的な安全保障論にとどまり、なぜそれが日本自身の問題であるのかを構造的に説明する議論は決して多くない。本章では、台湾有事を「善悪」や「価値観」の問題としてではなく、地政学、経済、安全保障の現実として整理する。
まず定義を明確にしておく必要がある。台湾有事とは、単に中国と台湾の間で軍事衝突が起きる可能性を指す言葉ではない。それは、東アジア全体の安全保障環境、世界経済の動脈、日本の国家存立条件が同時に揺さぶられる事態を意味する総称である。したがって、台湾有事は台湾だけの問題ではなく、日本を含む地域全体の問題である。
地政学とは、地理的条件が国家の安全保障や行動をどのように制約するかを分析する学問である。この視点から台湾を見ると、その重要性は一目瞭然である。台湾は第一列島線のほぼ中央に位置し、東シナ海と南シナ海を分断する要衝にある。第一列島線とは、日本列島、台湾、フィリピンを結ぶ弧状の地理的ラインであり、海洋国家であるアメリカと大陸国家である中国の勢力圏を分ける戦略的境界線である。
この第一列島線が意味するのは、軍事的な防衛線であると同時に、経済的な交通路でもあるという点である。台湾がどの勢力の影響下に置かれるかによって、東アジアの海上交通の自由度は根本的に変わる。これは、抽象的な軍事バランスの問題ではなく、日々の物流、エネルギー輸送、食料供給に直結する現実の問題である。
日本はエネルギー資源の大半を海外に依存しており、その多くは中東から輸入されている。これらのエネルギーは、南シナ海、台湾海峡周辺、東シナ海を通過して日本に届く。仮に台湾周辺が軍事的緊張状態に陥り、航行の自由が制限されれば、日本のエネルギー供給は即座に不安定化する。これは、戦争が起きるか否かに関わらず、日本経済と国民生活に重大な影響を及ぼす。
次に、半導体の問題である。台湾が世界的に注目される理由として、台湾積体電路製造、いわゆるTSMCの存在が挙げられることが多い。確かに、先端半導体の製造能力が台湾に集中していることは事実である。しかし、台湾有事の本質は、特定企業の問題ではない。半導体は、現代の経済と軍事の双方にとって不可欠な基盤技術であり、その供給網が断たれることは、国家の機能そのものを麻痺させる。
アメリカが台湾を重視する理由は、民主主義の象徴だからではない。むしろ、台湾が失われることで、先端技術供給網、軍事技術優位、経済競争力が同時に損なわれる現実的リスクを認識しているからである。これは、2025年国家安全保障戦略において、技術と経済を国家安全保障の中核に据えている姿勢と完全に一致している。
では、日本にとって台湾有事はどのような意味を持つのか。日本は、第一列島線の北端を担う国家であり、台湾と地理的にも戦略的にも連続している。沖縄諸島、先島諸島は台湾に極めて近く、台湾有事が発生すれば、日本の領域が直接的な影響圏に入ることは避けられない。
この点で重要なのは、台湾有事が「日本が参戦するかどうか」という二者択一の問題ではないということである。仮に日本が軍事的に関与しない選択をしたとしても、日本の領域、基地、港湾、空域は、地理的条件から完全に無関係ではあり得ない。つまり、日本は意思に関わらず、すでに当事者である。
2025年版アメリカ国家安全保障戦略は、台湾をめぐる軍事衝突の抑止を重要課題としているが、その前提には「同盟国がどれだけ地域防衛に貢献できるか」という視点がある。アメリカは、単独で第一列島線全体を防衛することを前提としていない。むしろ、日本、オーストラリア、フィリピンといった同盟国・パートナー国が、どれだけ主体的に役割を果たすかを重視している。
ここで、日本国内に広く見られる誤解を一つ指摘しておく必要がある。それは、「台湾有事に関わることは、日本が危険になることだ」という単純化である。実際には、台湾有事への関与を避けることが、日本の安全を保証するわけではない。むしろ、地域秩序が不安定化し、航行の自由が損なわれ、エネルギーと物資の流れが脅かされること自体が、日本の安全保障上の重大な脅威となる。
台湾有事とは、日本が戦争を望むか否かの問題ではない。それは、日本が現実の地理と経済構造の中で、どのような国家として存在し続けるのかという選択の問題である。アメリカが台湾を戦略的要衝として位置づける以上、日本はその延長線上で自らの立場を明確にしなければならない。
第2章では、台湾有事をめぐる構造的現実を整理した。次章では、この現実を踏まえた上で、日米同盟がどのように変質しつつあるのか、そして日本に求められている役割とは何かを具体的に論じていく。
第3章 日米同盟はどこへ向かうのか
──「守る同盟」から「責任を分担する同盟」への転換
日米同盟は、日本の戦後安全保障の中核であり続けてきた。その存在は、日本の復興と高度経済成長、そして冷戦後の安定を支える基盤であったことは疑いない。しかし、日米同盟は不変の制度ではない。同盟とは、国際環境と両国の国益に応じて、その性格と役割を変化させる動的な枠組みである。2025年版アメリカ国家安全保障戦略は、その変化がすでに不可逆的な段階に入ったことを示している。
日本国内ではしばしば、「日米同盟は弱体化しているのではないか」「アメリカは日本を見捨てるのではないか」という不安が語られる。しかし、こうした問いの立て方自体が、すでに現実と乖離している。同盟が弱体化しているのではなく、その前提条件が変わっているのである。アメリカは、同盟国を無条件に守る保護者ではなく、共通の利益を守るために責任を分担するパートナーを求めている。
2025年国家安全保障戦略に一貫して流れている思想は、「集中と選択」である。アメリカは、自国の国益に直結しない負担を引き受けないと明確にしている。その一方で、自国の戦略目標に合致し、具体的に貢献する同盟国との協力は、これまで以上に重視する姿勢を示している。これは、同盟の否定ではなく、同盟の条件の明確化である。
日米同盟において、この変化はすでに具体的な形を取って現れている。防衛費の増額要求、装備品の相互運用性の強化、基地や港湾の使用に関する柔軟性の確保などは、その象徴である。しかし、これらを単なる「アメリカの要求」と捉えるのは誤りである。これらは、アメリカが日本に対して「地域防衛の主体」としての役割を期待していることの裏返しである。
ここで重要なのは、「守る同盟」という言葉がもはや現実を説明していないという点である。冷戦期の日米同盟は、アメリカが圧倒的な軍事力を背景に、日本を防衛する非対称的な構造を持っていた。しかし、現在の東アジアにおいて、その前提は崩れている。中国の軍事力と経済力の増大、技術の拡散、グレーゾーン事態の常態化により、単一国家が地域の安定を保証することは不可能になっている。
この状況下で求められているのは、「責任を分担する同盟」である。責任分担とは、防衛費を増やすことだけを意味しない。それは、どの地域で、どの領域において、どのような役割を担うのかを、日本自身が主体的に定義し、実行する能力を持つことを意味する。制度、組織、産業、そして国民の理解が、その基盤となる。
アメリカが日本に対して特に重視しているのは、第一列島線の安定である。台湾有事の文脈においても、アメリカは日本の地理的優位性と基盤能力を不可欠な要素として見ている。日本が自国周辺の海空域、インフラ、後方支援を確実に担えるかどうかは、抑止の成否を左右する要因となる。
この点で、日本国内に根強い誤解がある。それは、「役割を拡大すれば、日本が戦争に巻き込まれる」という単純な恐怖である。実際には、役割が曖昧であればあるほど、危機時の判断は他国に委ねられ、結果として不利益を被る可能性が高まる。責任分担とは、戦争を望むことではなく、戦争を回避するための抑止力を共有することである。
日米同盟の将来を考える上で、もう一つ重要なのは、日本が同盟に何を提供できるのかという視点である。提供とは、軍事力だけを指すのではない。高度な技術力、安定した産業基盤、信頼できる制度、法の支配、そして持続可能なエネルギー供給体制もまた、同盟の価値を構成する要素である。
2025年国家安全保障戦略が産業基盤とエネルギーを重視していることは、日本にとって警鐘である。日本が防衛装備を輸入に依存し、エネルギー供給を外部に委ね続ける限り、同盟における発言力と選択肢は制限される。日米同盟は、軍事協力であると同時に、産業と経済の同盟へと変質しつつある。
日米同盟の未来は、日本が受動的に決められるものではない。それは、日本自身がどのような国家でありたいのか、どのような責任を引き受ける覚悟があるのかによって形作られる。本章で整理したのは、同盟の終わりではなく、同盟の再設計の始まりである。
次章では、この再設計を制約する最大の要因であるエネルギー問題に焦点を当てる。エネルギー地政学は、日本の安全保障を静かに、しかし決定的に規定している。
第4章 エネルギー地政学が日本を縛る
──中東・ロシア・シーレーンと国家存立
国家安全保障を語る際、日本では長らくエネルギー問題が周辺的に扱われてきた。防衛、外交、経済は別々の分野として議論され、エネルギーは主として経済政策や環境政策の枠内で語られる傾向が強かった。しかし、2025年版アメリカ国家安全保障戦略が明確に示しているように、エネルギーは国家安全保障の中核であり、軍事力や外交力と同等、あるいはそれ以上に国家の行動を規定する要因である。
まず、日本の現実を直視する必要がある。日本は主要先進国の中でも突出してエネルギー自給率が低く、化石燃料の大半を海外からの輸入に依存している。この事実は、平時においては見過ごされがちであるが、有事や国際緊張の高まりの中では、国家存立そのものを左右する制約条件となる。エネルギーが届かなければ、産業は止まり、物流は停滞し、国民生活は維持できない。
エネルギー地政学とは、エネルギー資源の分布、生産、輸送経路が国際政治と安全保障に与える影響を分析する視点である。この視点から見ると、日本の安全保障は、中東、ロシア、南シナ海という三つの地域に同時に縛られていることが分かる。これらは一見すると別々の問題に見えるが、実際には一つの連続した構造を成している。
日本が輸入する原油や液化天然ガスの多くは中東に由来している。中東は長年にわたり、地政学的緊張と紛争が常態化してきた地域であり、ホルムズ海峡という極めて脆弱なチョークポイントを抱えている。仮にこの海峡が封鎖、あるいは実質的に機能不全に陥れば、日本へのエネルギー供給は即座に深刻な影響を受ける。
さらに、そのエネルギーは中東から直接日本に届くわけではない。タンカーはインド洋を経由し、マラッカ海峡、南シナ海、台湾周辺、東シナ海という一連の海上交通路を通過する。このシーレーンの安全が確保されなければ、日本のエネルギー輸入は成立しない。台湾有事が日本にとって深刻な問題である理由の一つが、まさにこの点にある。
ロシアの存在も、日本のエネルギー地政学を複雑にしている。ロシアはエネルギー大国であり、日本にとっても重要な供給源となり得る地理的位置にある。しかし、ウクライナ戦争以降、ロシア産エネルギーは国際政治の制裁と対立の文脈に組み込まれ、安定供給の前提が崩れている。エネルギーを外交カードとして用いる国家が存在する以上、日本がエネルギーを全面的に外部に依存する構造は、重大な戦略的弱点となる。
2025年版アメリカ国家安全保障戦略が「エネルギー・ドミナンス」を強調しているのは偶然ではない。アメリカは、エネルギーを単なる経済資源ではなく、国家戦略の基盤として位置づけている。自国でエネルギーを生産し、同盟国に供給できる能力は、軍事力や外交力と同等の影響力を持つ。この点で、日本とアメリカの非対称性は極めて大きい。
日本国内では、エネルギー政策がしばしば環境問題やコストの観点のみで語られる。しかし、安全保障の視点を欠いたエネルギー政策は、国家戦略としては不完全である。エネルギー価格の変動や供給不安は、企業活動や家計に直接影響し、社会全体の安定を揺るがす。これは、軍事的脅威と同様に、国家の持続性を損なう要因である。
ここで重要なのは、日本がエネルギー自立を完全に達成することが現実的でないとしても、依存度を下げ、供給源と輸送経路を多様化する努力は可能であるという点である。再生可能エネルギー、原子力、次世代燃料といった選択肢は、単なる環境政策ではなく、安全保障政策として再評価される必要がある。
エネルギー地政学の視点から見れば、日米同盟の意味も新たに浮かび上がる。アメリカはエネルギー供給国としての地位を強める一方、日本は消費国としての立場にとどまっている。この構造のままでは、同盟における役割分担は不均衡にならざるを得ない。日本がエネルギー安全保障を強化することは、単に自国のためだけでなく、同盟全体の安定性を高めることにつながる。
エネルギーは、静かな制約であるが、最も強力な制約でもある。戦車や戦闘機がなくても国家は存続できるかもしれないが、エネルギーなくして現代国家は一日たりとも機能しない。本章で示したのは、日本の安全保障が軍事だけで完結しないという現実である。
次章では、このエネルギー制約を踏まえた上で、日本自身がどのような国家安全保障戦略を構築すべきなのかを正面から論じる。制度、政策、国民理解という三つの断層に焦点を当て、日本の選択肢を整理していく。
第5章 日本の国家安全保障戦略は成立しているのか
──政策・制度・国民理解という三つの断層
ここまで見てきたように、アメリカの国家安全保障戦略は、国家観、同盟観、地政学、エネルギー、産業を一つの体系として統合している。それに対して、日本の安全保障政策はどうであろうか。本章では、日本に「国家安全保障戦略」と呼べるものがどの程度成立しているのかを、政策、制度、国民理解という三つの層に分けて検証する。
まず、「戦略」という言葉の定義を明確にしておく必要がある。戦略とは、単なる目標や方針の集合ではない。それは、何を最優先とし、何を後回しにし、どの資源をどこに集中させるのかという選択の体系である。すなわち、戦略とは選択であり、同時に放棄の意思表示でもある。
この定義に照らすと、日本の安全保障は「政策」は存在するが、「戦略」としては未完成であると言わざるを得ない。防衛大綱、国家安全保障戦略、防衛力整備計画といった文書は整備されているものの、それらはしばしば妥協の産物として並列的に存在し、明確な優先順位と資源配分の論理が見えにくい。
第一の断層は、政策レベルにおける断片化である。日本の安全保障政策は、防衛、外交、経済、エネルギー、産業がそれぞれ別個の政策領域として扱われ、相互の整合性が十分に確保されていない。例えば、防衛力強化が叫ばれる一方で、エネルギー政策や産業政策がその前提条件として十分に議論されることは少ない。この断片化は、戦略的思考を困難にしている。
第二の断層は、制度レベルにおける縦割り構造である。日本の行政制度は高度に専門化されているが、その反面、部門間の調整が極めて困難である。安全保障のように、複数分野にまたがる課題に対しては、縦割り構造が大きな制約となる。国家安全保障会議の設置によって一定の改善は見られたものの、依然として実質的な統合は不十分である。
特に問題となるのは、平時と有事の間に存在する制度的断絶である。日本では、有事対応が特別な状況として扱われ、平時の政策設計と連続していないことが多い。しかし、現代の安全保障環境では、平時と有事の境界は曖昧であり、グレーゾーン事態が常態化している。この現実に対して、制度が十分に適応できているとは言い難い。
第三の断層は、国民理解の不足である。これは、最も深刻であり、かつ最も見過ごされがちな問題である。国家安全保障は、専門家や政府だけで完結するものではない。最終的にそのコストとリスクを負担するのは国民であり、国民の理解と支持なしに持続可能な戦略は成立しない。
日本では、安全保障がしばしばタブー視されるか、あるいは感情的対立の材料として扱われてきた。その結果、冷静で構造的な議論が育たず、国民は「よく分からないが重要らしい」という曖昧な認識にとどまっている。この状況は、政治の側が明確な選択と説明を避けてきたこととも無関係ではない。
2025年版アメリカ国家安全保障戦略が示しているのは、国民に対して国家の優先順位を率直に説明し、支持を求める姿勢である。賛否はあれど、その明確さは、日本にとって大きな対照となる。日本が自立した安全保障戦略を構築するためには、国民に対して何を守り、何を引き受けるのかを正直に語る必要がある。
本章で明らかにした三つの断層は、日本の安全保障戦略が未完成である理由である。しかし、それは同時に、改善の余地が存在することを意味している。政策の統合、制度の柔軟化、国民理解の深化は、いずれも時間はかかるが不可能ではない。
次章では、これらの課題を踏まえ、日本がどのような安全保障産業戦略を構築すべきかを論じる。産業は、国家安全保障を現実の力に変える装置であり、日本が主体性を取り戻すための鍵となる。
第6章 日本の安全保障産業戦略
──防衛・半導体・エネルギーを統合する国家設計
国家安全保障を現実の力として機能させるためには、理念や政策だけでは不十分である。それを支え、持続させ、危機の際に実際に動かす装置が必要となる。その中核を担うのが安全保障産業である。2025年版アメリカ国家安全保障戦略が繰り返し強調しているように、強固な防衛力は強固な産業基盤なくして存在しない。この原則は、軍事大国だけでなく、日本のような高度に工業化された国家においても例外ではない。
しかし、日本では長年にわたり、防衛産業という言葉自体が忌避されてきた。戦後の平和主義の下で、防衛は「必要悪」として扱われ、産業として育成・統合する発想は意図的に抑制されてきた。その結果、日本は高度な技術力を有しながらも、それを安全保障に戦略的に結び付ける能力を十分に発揮できていない。
まず確認すべきは、防衛産業とは単に武器を製造する産業ではないという点である。防衛産業とは、平時においては民生技術と融合し、非常時には国家の安全を支える技術・生産・供給の総体である。素材、電子部品、ソフトウェア、エネルギー、物流、修理・保全能力までを含む広範なエコシステムが、防衛産業の実態である。
日本の課題の一つは、このエコシステムが断片化していることである。防衛装備は特定の企業に限定され、量産性や持続性が確保されにくい。一方で、半導体や精密機械、電池、エネルギーといった分野では、世界的に高い競争力を持つ企業が存在するにもかかわらず、それらが国家安全保障戦略と体系的に結び付けられていない。
半導体は、その象徴的な例である。現代の軍事システムは、情報処理、通信、誘導、監視のすべてに半導体を必要とする。先端半導体だけでなく、成熟プロセスの半導体も含め、安定した供給能力を国内または信頼できる同盟圏内で確保できるかどうかは、抑止力の基盤となる。台湾有事が半導体問題と不可分である理由も、ここにある。
エネルギーもまた、安全保障産業戦略の不可欠な要素である。兵器、輸送、通信、工場稼働のすべてはエネルギーに依存している。エネルギー供給が不安定であれば、どれほど優れた装備を持っていても機能しない。したがって、エネルギー政策は環境政策や経済政策にとどまらず、安全保障産業戦略の一部として再設計される必要がある。
アメリカが防衛産業基盤の再構築を国家的優先課題として掲げているのは、近年の紛争において、安価な無人機やミサイルに対抗するための弾薬や部品の生産能力が不足したという現実的教訓に基づいている。量産性、補給能力、迅速な技術更新は、もはや戦場の勝敗を左右する要因である。
日本にとって重要なのは、アメリカの下請けとして部品を供給することではなく、同盟全体の抑止力を高める独自の役割を見出すことである。そのためには、防衛、半導体、エネルギー、造船、宇宙、サイバーといった分野を個別に扱うのではなく、相互に連関した戦略産業として統合する視点が不可欠である。
この統合は、単なる産業振興策ではない。それは、日本が同盟においてどのような価値を提供できる国家であるのかを示す手段である。産業的貢献は、軍事的負担とは異なる形で同盟を支え、日本の発言力と選択肢を広げる。
防衛産業に対する社会的抵抗感を乗り越えるためには、透明性と説明責任が不可欠である。防衛産業を無批判に拡大するのではなく、何のために、どの分野に、どの程度の資源を投入するのかを国民に示す必要がある。これは、第5章で指摘した国民理解の断層を埋める重要な試金石でもある。
安全保障産業戦略は、一朝一夕に成果が出るものではない。しかし、時間がかかるからこそ、着手を先送りすればするほど、選択肢は狭まる。日本が主体的な安全保障国家として生き残るためには、産業を国家戦略の中核に据える覚悟が求められている。
次章では、これまでの議論を総括し、日本は何を選び、何を賭けるのかという最終的な問いに向き合う。安全保障とは、恐怖への反応ではなく、未来への設計である。
終章 日本は何を選び、何を賭けるのか
──同盟国として生きる覚悟、主権国家としての責任
本稿では、2025年版アメリカ国家安全保障戦略、とりわけ第II章「What Should the United States Want?」を起点として、日本が直面している安全保障上の現実と選択肢を段階的に整理してきた。そこで浮かび上がったのは、危機の切迫ではなく、選択の不可逆性である。日本は、もはや現状維持という選択肢を持たない段階に入っている。
アメリカは、国家安全保障を国家存続の問題として再定義し、国民の安全と繁栄に直結しない負担を引き受けないと明確にした。同盟は否定されていないが、その前提条件は変わった。価値観を共有しているという理由だけで守られる時代は終わり、能力と意志を持ち、地域の安定に具体的に貢献できる国家のみが、戦略的パートナーとして位置づけられる。
台湾有事は、その試金石である。台湾有事とは、戦争を望むか否かの問題ではなく、地理と経済構造が突き付ける現実である。日本は、第一列島線の一部として、意思に関わらず当事者である。関与しないという姿勢は、現実からの離脱ではなく、判断を他者に委ねる選択にすぎない。
日米同盟は、終わりを迎えているのではない。再設計の段階に入っている。守られる同盟から、責任を分担する同盟への転換は、日本にとって負担であると同時に、主体性を取り戻す機会でもある。同盟の中で役割を持つことは、従属を意味しない。それは、選択肢と発言力を持つことを意味する。
エネルギー地政学は、日本の選択肢を静かに制約している。エネルギーなくして産業は成り立たず、産業なくして防衛は機能しない。この連鎖を直視しない安全保障論は、いかに理念的であっても現実に耐えない。安全保障とは、軍事だけの問題ではなく、生活と経済の設計である。
日本の安全保障戦略が未完成である理由は、政策の欠如ではなく、統合の欠如にあった。政策、制度、国民理解という三つの断層を埋める作業は困難であるが、不可能ではない。その中でも最も重要なのは、国民理解である。国家安全保障は、専門家や政府だけで完結しない。最終的にコストとリスクを引き受けるのは国民であり、国民の理解と納得なしに持続可能な戦略は成立しない。
安全保障産業戦略は、日本が主体性を取り戻すための現実的な手段である。防衛、半導体、エネルギーを統合し、同盟に対して産業的価値を提供することは、日本の役割を質的に変える。これは、軍事的緊張を高めるためではなく、抑止力を高め、選択肢を広げるための戦略である。
最終的に問われているのは、日本がどのような国家でありたいのかという一点である。安全保障とは、恐怖への反応ではない。それは、未来への設計であり、次世代にどのような社会を引き継ぐのかという意思表示である。
同盟国として生きるとは、誰かに守られることではない。主権国家として生きるとは、すべてを一国で抱え込むことでもない。それは、自らの立場と責任を理解し、共有する相手と対等に役割を果たすことである。
日本は、何を選び、何を賭けるのか。その答えは、すでに外部から与えられている。残されているのは、それを直視し、引き受ける覚悟があるかどうかだけである。
おわりに 考え続けるという責任
本稿をここまで読み進めてくださった読者は、すでにお気づきのはずである。国家安全保障とは、決して特別な人々だけが関わる非日常の問題ではなく、私たち一人ひとりの日常と深く結びついた現実の問題であるということにである。エネルギーの価格、物の届き方、仕事の継続性、社会の安定、それらはすべて国家安全保障の結果として現れている。
本稿では、2025年版アメリカ国家安全保障戦略を起点に、日本が置かれている現実と選択肢を見てきた。そこに描かれていたのは、誰かを脅かすための戦略でも、恐怖を煽るための言説でもない。むしろ、国家が存続するために、何を優先し、何を引き受け、何を引き受けないのかを、正面から語ろうとする姿勢であった。
この姿勢に対して、日本の読者は複雑な感情を抱くかもしれない。冷たい、自己中心的だと感じる人もいるだろう。しかし同時に、そこには国家としての誠実さも存在している。国家が万能でない以上、すべてを守ることはできない。だからこそ、選択を明らかにし、国民と共有する必要がある。その現実は、日本にとっても避けて通れない。
台湾有事、日米同盟、エネルギー、産業戦略といったテーマは、どれも重く、答えの出にくい問題である。しかし、それらを難しいからといって思考の外に置くことは、結果として判断を他者に委ねることにつながる。考えないという選択は、決して中立ではない。それは、誰かの決断に従うという選択に他ならない。
本稿は、特定の結論や行動を読者に求めるものではない。むしろ、ここで提示したのは問いである。日本はどのような国家でありたいのか。そのために、どのような負担を引き受け、どのようなリスクを共有するのか。そして、それを次の世代にどのような言葉で伝えるのか。
国家安全保障は、専門家や政治家だけが語るものではない。それは、家庭で、職場で、地域で、静かに語られるべきテーマでもある。意見が一致する必要はない。むしろ、異なる考えが存在すること自体が、健全な社会の証である。重要なのは、無関心ではなく、対話が存在することである。
本稿が、読者にとって一つの答えを与えることができなくても構わない。ただ、これまでより少しだけ、自分の生活と国家の選択を結びつけて考えるきっかけとなるならば、その役割は果たされたと言えるだろう。
考え続けることは、時に不安を伴う。しかし、考えることを放棄した社会は、静かに選択肢を失っていく。だからこそ、完全な答えが見えなくても、問いを持ち続けること自体が、私たちに残された責任である。
この文章を読み終えた後、すぐに何かを決める必要はない。ただ、ニュースの見方が少し変わり、誰かとの会話の中で立ち止まる瞬間が生まれるなら、それで十分である。国家安全保障とは、そうした小さな思考の積み重ねの上に、静かに形づくられていくものである。
参考文献一覧(読者向けセレクト)
※専門知識がなくても読み進められ、本稿の理解を深めるための入門〜中級向け文献です。
・『アメリカ合衆国 国家安全保障戦略(2025年版)』
──本稿の出発点。全文に目を通すことで、国家が何を優先するのかが見えてくる。
・ロバート・D・カプラン
『地理の復讐』
──台湾、日本、シーレーンの意味を「地図」から理解できる一冊。
・ダニエル・ヤーギン
『新しい世界地図』
──エネルギーと国家戦略がなぜ不可分なのかを、物語として理解できる。
・グレアム・アリソン
『米中戦争前夜』
──米中対立を感情ではなく構造で捉えるための必読書。
・ジョン・J・ミアシャイマー
『大国政治の悲劇』
──なぜ「善意」だけでは国際秩序が保てないのかを理解するために。
・エドワード・ルトワック
『戦略──戦争と平和の論理』
──安全保障を「感情」ではなく「論理」で考えるための古典。
・内閣官房
『国家安全保障戦略(日本)』
──日本政府が何を公式に位置づけているのかを知るための基礎資料。
ご感想、お問い合せ、ご要望等ありましたら下記フォームでお願いいたします。
投稿者プロフィール

- 市村 修一
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【略 歴】
茨城県生まれ。
明治大学政治経済学部卒業。日米欧の企業、主に外資系企業でCFO、代表取締役社長を経験し、経営全般、経営戦略策定、人事、組織開発に深く関わる。その経験を活かし、激動の時代に卓越した人財の育成、組織開発の必要性が急務と痛感し独立。「挑戦・創造・変革」をキーワードに、日本企業、外資系企業と、幅広く人財・組織開発コンサルタントとして、特に、上級管理職育成、経営戦略策定、組織開発などの分野で研修、コンサルティング、講演活動等で活躍を経て、世界の人々のこころの支援を多言語多文化で行うグローバルスタートアップとして事業展開を目指す決意をする。
【背景】
2005年11月、 約10年連れ添った最愛の妻をがんで5年間の闘病の後亡くす。
翌年、伴侶との死別自助グループ「Good Grief Network」を共同設立。個別・グループ・グリーフカウンセリングを行う。映像を使用した自助カウンセリングを取り入れる。大きな成果を残し、それぞれの死別体験者は、新たな人生を歩み出す。
長年実践研究を妻とともにしてきた「いきるとは?」「人間学」「メンタルレジリエンス」「メンタルヘルス」「グリーフケア」をさらに学際的に実践研究を推し進め、多数の素晴らしい成果が生まれてきた。私自身がグローバルビジネスの世界で様々な体験をする中で思いを強くした社会課題解決の人生を賭ける決意をする。
株式会社レジクスレイ(Resixley Incorporated)を設立、創業者兼CEO
事業成長アクセラレーター
広島県公立大学法人叡啓大学キャリアメンター
【専門領域】
・レジリエンス(精神的回復力) ・グリーフケア ・異文化理解 ・グローバル人財育成
・東洋哲学・思想(人間学、経営哲学、経営戦略) ・組織文化・風土改革 ・人材・組織開発、キャリア開発
・イノベーション・グローバル・エコシステム形成支援
【主な著書/論文/プレス発表】
「グローバルビジネスパーソンのためのメンタルヘルスガイド」kindle版
「喪失の先にある共感: 異文化と紡ぐ癒しの物語」kindle版
「実践!情報・メディアリテラシー: Essential Skills for the Global Era」kindle版
「こころと共感の力: つながる時代を前向きに生きる知恵」kindle版
「未来を拓く英語習得革命: AIと異文化理解の新たな挑戦」kindle版
「グローバルビジネス成功の第一歩: 基礎から実践まで」Kindle版
「仕事と脳力開発-挫折また挫折そして希望へ-」(城野経済研究所)
「英語教育と脳力開発-受験直前一ヶ月前の戦略・戦術」(城野経済研究所)
「国際派就職ガイド」(三修社)
「セミナーニュース(私立幼稚園を支援する)」(日本経営教育研究所)
【主な研修実績】
・グローバルビジネスコミュニケーションスキルアップ ・リーダーシップ ・コーチング
・ファシリテーション ・ディベート ・プレゼンテーション ・問題解決
・グローバルキャリアモデル構築と実践 ・キャリア・デザインセミナー
・創造性開発 ・情報収集分析 ・プロジェクトマネジメント研修他
※上記、いずれもファシリテーション型ワークショップを基本に実施
【主なコンサルティング実績】
年次経営計画の作成。コスト削減計画作成・実施。適正在庫水準のコントロール・指導を遂行。人事総務部門では、インセンティブプログラムの開発・実施、人事評価システムの考案。リストラクチャリングの実施。サプライチェーン部門では、そのプロセス及びコスト構造の改善。ERPの導入に際しては、プロジェクトリーダーを務め、導入期限内にその導入。組織全般の企業風土・文化の改革を行う。
【主な講演実績】
産業構造変革時代に求められる人材
外資系企業で働くということ
外資系企業へのアプローチ
異文化理解力
経営の志
商いは感動だ!
品質は、タダで手に入る
利益は、タダで手に入る
共生の時代を創る-点から面へ、そして主流へ
幸せのコミュニケーション
古典に学ぶ人生
古典に学ぶ経営
論語と経営
論語と人生
安岡正篤先生から学んだこと
素読のすすめ
経営の突破口は儒学にあり
実践行動学として儒学に学ぶ!~今ここに美しく生きるために~
何のためにいきるのか~一人の女性の死を見つめて~
縁により縁に生きる
縁に生かされて~人は生きているのではなく生かされているのだ!~
看取ることによって手渡されるいのちのバトン
など

