般若心経の「無所得」とは何か──執着を手放し、求めすぎない心をつくる

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般若心経の「無所得」とは何か──執着を手放し、求めすぎない心をつくる

本記事は、全12回シリーズ「般若心経とメンタルヘルス──『空』『無所得』『心無罣礙』から学ぶ、苦しみに囚われない心のつくり方」の第8回である。

前回は、

遠離一切顛倒夢想

という言葉から、私たちが自分の頭の中につくられた物語を現実そのものとして握りしめてしまう問題を考えた。

「私はダメな人間だ」

「あの人は自分を嫌っている」

「周囲はみんな幸せなのに、自分だけが取り残されている」

「一度失敗したから、これからもうまくいかない」

そう考えていることと、それが客観的な事実であることは同じではない。

そして今回、般若心経のもう一つの重要な言葉へ進む。

無智亦無得
以無所得故

特に注目したいのが、

無所得

である。

「所得がない」と聞くと、

何も得るな。

何も求めるな。

成功してはいけない。

お金を求めてはいけない。

出世してはいけない。

夢や目標を持ってはいけない。

そのような教えのように聞こえるかもしれない。

しかし、本シリーズでは「無所得」をそのようには考えない。

人間は目標を持つ。

努力する。

成功を目指す。

仕事で成果を出そうとする。

愛されたいと願う。

より良い生活を求める。

そこに問題があるわけではない。

重要なのは、

目標を持つことと、その結果だけに自分の価値を預けることは違う

という点である。

成功を目指すことと、

「成功しなければ自分には価値がない」

と考えることは違う。

人を愛することと、

「この人は絶対に自分から離れてはいけない」

と握りしめることも違う。

評価されたいと願うことと、

「他人から評価されなければ、自分の人生には意味がない」

と考えることも違う。

第8回では、この違いを、

「無所得」

「非執着」

「目標」

「結果」

そして、

仕事、成功、地位、お金、評価

という現代人にとって極めて身近な問題から考えていく。

第31章 「無所得」とは何か──「何も求めるな」という教えではない

般若心経には、

無智亦無得 以無所得故

とある。

文字だけを見ると、

「智慧もなく、得るものもない」

という非常に大胆な表現に見える。

ここを日常語だけで理解すると、

「結局、何も得るなということなのか」

と戸惑うかもしれない。

しかし、般若心経の「無所得」を、単純な欲望否定や努力否定として読むと、多くの矛盾が生じる。

もし何も求めてはいけないのなら、

学ぶこと。

働くこと。

成長すること。

人を助けること。

より良い社会を目指すこと。

それらまで否定されることになる。

本シリーズでは、そのようには考えない。

「得ること」と「得なければならない」は違う

例えば、資格試験を受けるとする。

合格したい。

だから勉強する。

これは自然である。

しかし、そこへ、

「絶対に合格しなければならない」

が加わる。

さらに、

「合格できなければ、自分は無能だ」

「落ちたら人生が終わる」

「周囲から価値のない人間だと思われる」

となる。

すると、試験は単なる一つの目標ではなくなる。

合否が、

自分という人間の価値を決定する裁判

のようになる。

同じことは仕事でも起きる。

昇進したい。

それ自体は問題ではない。

しかし、

「昇進できなければ、自分には価値がない」

となると、昇進という結果に自己価値が全面的に結びつく。

「得たい」

と、

「得なければ自分には価値がない」

は同じではない。

この違いは非常に大きい。

「欲しい」という気持ちを否定しない

仏教の「執着」という言葉を聞くと、

「欲を持ってはいけない」

と思う人もいる。

しかし、人間には欲求がある。

安心したい。

認められたい。

愛されたい。

生活を良くしたい。

成長したい。

良い仕事をしたい。

家族を幸せにしたい。

それらの願いをすべて消すことが、本当に心の健康なのだろうか。

本シリーズではそう考えない。

むしろ問題になるのは、

願いを持つことそのものではなく、願いが実現しなければ生きていけないほど、その結果に自己を縛りつけてしまうこと

である。

「成功したい」から「成功しなければならない」へ

人間の心の中では、

「できれば成功したい」

という願いが、

いつの間にか、

「成功しなければならない」

へ変わることがある。

さらに、

「成功しなければ、私は失敗者だ」

となる。

ここで、目標は人生を導くものではなく、人生を脅迫するものになる。

目標を達成できれば一時的に安心する。

しかし、すぐに次の目標が現れる。

もっと上へ。

もっと評価を。

もっと成果を。

もっとお金を。

もっと承認を。

手に入れた瞬間には安心する。

しかし、やがて、

「これを失いたくない」

という恐怖が始まる。

得る前には、

「手に入らなかったらどうしよう」

と苦しむ。

得た後には、

「失ったらどうしよう」

と苦しむ。

この構造を見ると、「無所得」という言葉が別の角度から見えてくる。

得ることそのものよりも、「得ることで自分は完成する」という心の構造を問い直す。

そのように読むことができるのである。

第32章 非執着とは「無関心」ではない

「執着を手放す」という言葉は、しばしば誤解される。

執着しない。

つまり、

何にも興味を持たない。

人を愛さない。

仕事に情熱を持たない。

成功にも失敗にも無関心でいる。

そのような意味に聞こえることがある。

しかし、

非執着と無関心は同じではない。

愛することと、握りしめることは違う

例えば、人を愛する。

大切にする。

一緒にいたいと思う。

その気持ちは自然である。

しかし、

「この人は絶対に自分の思いどおりでなければならない」

「絶対に自分から離れてはいけない」

「自分だけを見ていなければならない」

となれば、愛は相手を握りしめる方向へ変わることがある。

愛することと、所有することは違う。

大切にすることと、相手を固定することも違う。

相手は一人の人間である。

自分とは別の人生を持っている。

考えも変わる。

気持ちも変わる。

関係も変化する。

第3回・第4回で扱った「空」や「無常」という視点から考えれば、人間関係も固定されたものではない。

だからといって、愛さないのではない。

むしろ、

変化する存在だからこそ、いま目の前にいる人を大切にする。

非執着とは、そのような愛し方ともつながり得る。

仕事に情熱を持つことと、仕事だけが自分になることは違う

仕事に全力を注ぐ。

高い目標を掲げる。

組織を成長させる。

優れた成果を目指す。

それらは「執着」だからやめるべきなのだろうか。

そうではない。

問題になるのは、

仕事の成果だけが、自分の存在価値のすべてになったとき

である。

業績が上がれば、自分には価値がある。

業績が下がれば、自分には価値がない。

昇進すれば、自分は成功者である。

降格すれば、自分は失敗者である。

こうなると、自分の価値が外的な結果に完全に依存する。

仕事を大切にすることと、

「仕事がなくなったら自分には何も残らない」

となることは違う。

非執着とは、

仕事を投げ出すことではなく、

仕事に全力を尽くしながら、仕事だけを自分の存在そのものにしないこと

と考えることもできる。

非執着を心理学はどう研究しているのか

近年、心理学でも、仏教思想に由来する nonattachment、すなわち「非執着」が研究対象となっている。

総合案内で参照している2022年のメタ分析では、41の独立したデータセット、合計24,704人を対象に、非執着、マインドフルネス、ウェルビーイング、心理的苦痛の関係が検討された。

そこでは、非執着とマインドフルネスがウェルビーイングと正の関連を持ち、心理的苦痛とは負の関連を持つことが示されている。

ただし、ここは慎重に読む必要がある。

分析に含まれる研究の多くは横断研究である。

したがって、

「非執着になれば、必ず心が健康になる」

という因果関係が証明されたわけではない。

さらに、

心理学研究における nonattachment と、般若心経の「無所得」を同じ概念とすることもできない。

歴史も理論体系も異なる。

本シリーズでは、心理学研究を「般若心経の科学的証明」として使用しない。

異なる領域で、

「何かを握りしめすぎない心」

がどのように考えられているかを比較する材料として扱う。

「どうでもよい」は非執着ではない

失敗してもどうでもよい。

人が傷ついてもどうでもよい。

結果がどうなってもどうでもよい。

これは非執着というより、無関心や責任放棄になる場合がある。

例えばリーダーが、

「結果に執着してはいけないから、業績はどうでもよい」

と言えば、組織運営は成り立たない。

責任ある立場なら、結果を見る必要がある。

目標を設定する。

進捗を見る。

問題を修正する。

決断する。

責任を取る。

それらは必要である。

ただ、

結果が悪かったことと、自分や部下の人格価値を同じにしない。

結果を冷静に見ながら、必要以上に自己を結果と一体化しない。

その違いが重要なのである。

第33章 目標を持つことと、結果に執着することの違い

現代社会では、目標を持つことが強く勧められる。

売上目標。

キャリア目標。

貯蓄目標。

健康目標。

学習目標。

人生目標。

目標には大きな力がある。

方向を示す。

努力を集中させる。

進歩を確認できる。

達成感も生まれる。

だから、

「無所得なのだから目標を持たない」

という理解は、本シリーズの立場ではない。

重要なのは、

目標を持つこと

と、

目標の結果に自分の心を縛りつけること

を区別することである。

自分がコントロールできることと、できないこと

例えば、営業目標を考えてみる。

売上を伸ばしたい。

そのために、

顧客を研究する。

提案を改善する。

訪問する。

チームを育てる。

商品知識を高める。

これは自分たちが働きかけることのできる領域である。

しかし、最終的な結果には、

景気。

競合。

顧客の予算。

市場環境。

為替。

社会情勢。

偶然。

など、自分だけでは支配できない要素もある。

努力は必要である。

しかし、

努力したから必ず結果を支配できるわけではない。

ここを混同すると、

「これだけ努力したのだから、必ず成功するはずだ」

となる。

しかし現実は、そうとは限らない。

結果を軽視するのではなく、結果だけに縛られない

これは、

「結果を気にするな」

という話ではない。

仕事では結果が重要である。

試験なら合否がある。

事業なら利益が必要である。

スポーツなら勝敗がある。

結果を測り、分析し、改善する。

それは必要である。

しかし、

「結果を大切にする」

から、

「望んだ結果以外には意味がない」

へ進むと、心は硬くなる。

例えば、

100点でなければ失敗。

1位でなければ意味がない。

昇進できなければ価値がない。

目標売上を達成できなければ、すべての努力が無駄。

というようになる。

現実には、

失敗の中にも学習がある。

途中の成果もある。

別の可能性が見えることもある。

目標そのものを修正する必要が生じる場合もある。

目標は方向を示すものであって、自分の価値を判定する裁判官ではない。

「絶対に」を見つける

執着を見つける一つの方法は、自分の言葉の中の、

「絶対に」

を探すことである。

絶対に成功しなければならない。

絶対に昇進しなければならない。

絶対に嫌われてはいけない。

絶対に失敗してはいけない。

絶対にこの会社にいなければならない。

絶対にこの人と一緒でなければならない。

「絶対に」がすべて悪いわけではない。

倫理や安全など、譲れない原則が必要な場合もある。

しかし、

自分では完全に支配できない結果に対して、

「絶対にこうでなければならない」

と心が握りしめているときには、注意が必要である。

結果と行動を分ける

目標に向かうとき、次の二つを分けると分かりやすい。

一つは、

結果。

もう一つは、

自分が選べる行動。

「昇進する」は結果である。

「必要な能力を学ぶ」「周囲と協働する」「質の高い仕事をする」は行動である。

「愛される」は結果である。

「相手を尊重する」「誠実に話す」「自分の気持ちを伝える」は行動である。

「事業が必ず成功する」は結果である。

「市場を調べる」「顧客の声を聞く」「意思決定を改善する」は行動である。

結果には、自分以外の条件が入る。

しかし行動には、自分が選べる部分が多い。

無所得という言葉を現代の生活へつなぐなら、

結果を捨てるのではなく、結果を完全に所有しようとしない。

その一方で、自分が選べる行動には責任を持つ。

そのように考えることができる。

失敗しても、次の一手は残っている

結果への執着が強いと、失敗した瞬間にすべてが終わる。

しかし、結果と自己を分ければ、

「今回は失敗した」

という事実から、

「では次に何をするか」

へ進むことができる。

これは単なるポジティブ思考ではない。

失敗は失敗として認める。

損失があれば認める。

責任があれば取る。

しかし、

失敗した結果を、永久に固定された自己へ変換しない。

第3回以来の「空」の視点が、ここでもつながってくる。

第34章 仕事・成功・地位・お金・評価を「無所得」から考える

「無所得」は、現代社会と相性が悪い言葉のように見える。

現代社会は、

成果。

成長。

競争。

収入。

評価。

地位。

成功。

を重視するからである。

しかし、だからこそ「無所得」という問いには意味がある。

何かを得ることが問題なのではない。

得ることによってしか、自分の価値を感じられなくなったとき、何が起きるのか。

そこを考えてみたい。

仕事──成果を追うが、成果だけを自分にしない

仕事では成果が必要である。

売上。

利益。

品質。

顧客満足。

生産性。

組織運営。

責任ある立場ほど、結果から逃げることはできない。

したがって、

「無所得だから数字はどうでもよい」

とはならない。

数字を見る。

結果を見る。

厳しい現実にも向き合う。

しかし、

業績が悪い。

だから、

「自分には価値がない」

とはしない。

業績が良い。

だから、

「自分は絶対に優れた人間だ」

とも決めない。

結果は重要な情報である。

しかし、

結果=人間の全価値

ではない。

この区別ができれば、成功したときにも傲慢になりにくく、失敗したときにも自己崩壊しにくくなる。

成功──「成功した人」であり続けなければならない苦しみ

成功には喜びがある。

努力が実る。

人から評価される。

経済的にも豊かになる。

成功そのものを否定する必要はない。

しかし、一度成功すると、新しい恐怖が生まれる場合がある。

「次も成功しなければならない」

「以前より大きな結果を出さなければならない」

「失敗したら、これまでの評価まで失う」

成功を得る前には、

「成功したい」

と苦しむ。

成功を得た後には、

「成功を失いたくない」

と苦しむ。

手に入れたものを固定しようとすれば、成功さえ新しい「罣礙」になり得る。

「無所得」は、

成功を拒否する言葉ではない。

成功を経験しながら、成功という肩書きに自分を閉じ込めない。

そういう自由を考える言葉にもなり得る。

地位──役職は役割であって、自己の全体ではない

社長。

役員。

部長。

管理職。

専門家。

肩書きは重要である。

役割があるから、権限も責任も生まれる。

しかし、人間は肩書きに慣れると、

「その役職にいる自分」

が「自分そのもの」になりやすい。

すると退任、異動、降格、定年などが、

役割の変化ではなく、

自己の消滅

のように感じられる。

だが、役職は変化する。

それは第4回で扱った「空」ともつながる。

役職を軽く扱う必要はない。

責任を果たす。

しかし、

「この地位を失ったら自分には何もない」

としない。

地位を持ちながら、地位だけにはならない。

そこに「無所得」から考えられる一つのリーダーシップの姿がある。

お金──必要だからこそ、「いくらあれば十分か」を問う

お金は重要である。

生活に必要である。

家族を守る。

教育を受ける。

医療を受ける。

住居を得る。

将来へ備える。

したがって、

「お金に執着するな。貧しくても構わない」

という単純な精神論にはしてはいけない。

経済的不安は現実の問題である。

一方で、

「もっとあれば安心できる」

という感覚には、終点が見えなくなることがある。

100あれば200。

200あれば500。

500あれば1000。

増えれば増えるほど、

今度は失うことが怖くなる。

そこで一つの問いが生まれる。

「自分にとって、何が『十分』なのか。」

この問いは、お金を否定するためではない。

「得ること」そのものが人生の無限の目的になっていないかを見るためである。

評価──他人の評価は重要だが、自分の価値の全てではない

仕事では評価を受ける。

顧客から評価される。

上司から評価される。

部下からも見られている。

社会からの評判もある。

評価を無視する必要はない。

むしろ、自分では気づけない問題を教えてくれることもある。

しかし、

一人から批判された。

だから自分には価値がない。

SNSで反応が少ない。

だから自分は認められていない。

昇進できなかった。

だから自分の人生は失敗だ。

となると、他人の評価が自己の全体を決定する。

第7回で扱った承認欲求と、ここで「無所得」がつながる。

評価は受け取る。

必要なら学ぶ。

しかし、

評価を自己価値の唯一の根拠にはしない。

これは、評価を無視することとは違う。

評価に耳を傾けながら、評価に自己のすべてを渡さないのである。

「無所得」のリーダーシップ──成果を求めながら、成果に人間を潰させない

仕事とリーダーシップという観点から、「無所得」をもう少し考えてみたい。

組織には目標が必要である。

リーダーには成果責任がある。

したがって、

「結果に執着しないから、未達でも気にしない」

では困る。

本当に重要なのは、

高い成果を求めることと、成果によって人間の価値を決めることを分ける

ことである。

部下が失敗した。

失敗の原因は検証する。

責任も明確にする。

再発防止も行う。

しかし、

「失敗した部下=価値のない人間」

とはしない。

自分が失敗した場合も同じである。

失敗を直視する。

責任を取る。

しかし、

「失敗した自分=人間として失敗」

にはしない。

この違いは、組織文化を大きく変える。

失敗を隠す組織になるのか。

失敗から学べる組織になるのか。

その分岐点にもなり得る。

「成果を出す」と「成果に囚われる」は違う

成果を出すために全力を尽くす。

しかし、望んだ結果が出なかったときには、

現実を見る。

修正する。

学ぶ。

次へ進む。

このとき、

結果を軽視しているわけではない。

むしろ、結果を冷静に扱っている。

執着が強すぎると、失敗を認められなくなる。

数字を隠す。

責任を他人へ転嫁する。

過去の成功モデルに固執する。

撤退すべき事業から撤退できない。

つまり、

結果への執着は、かえって現実を見る力を弱めることがある。

「無所得」をリーダーシップから読むなら、

何も求めないリーダーではなく、

成果を求めながらも、その成果に自己や組織を縛りつけすぎないリーダー

という姿が見えてくる。

「握っているもの」を一つ見つける

今回の小さな実践として、自分がいま強く求めているものを一つ考えてみたい。

昇進。

収入。

資格。

成功。

愛情。

評価。

健康。

人間関係。

何でもよい。

まず、

「私は何を得たいのか」

と考える。

次に、

「それを得られなかったら、自分はどうなると思っているか」

と問う。

残念だ。

悔しい。

生活が苦しくなる。

それなら現実的な問題である。

しかし、

「価値のない人間になる」

「人生が無意味になる」

「誰にも認められない」

「もう幸せになれない」

まで進んでいるなら、

目標と自己価値が強く結びついている可能性がある。

さらに、

「私は目標を持っているのか。それとも目標に持たれているのか」

と問いかけてみる。

少し妙な表現だが、重要な問いである。

自分が目標を使って人生を導いているのか。

それとも目標によって、毎日自分の価値を判定されているのか。

その違いを見る。

目標・行動・結果を三つに分ける

もう一つ、実践として使える方法がある。

一つの目標について、

目標

自分が選べる行動

自分だけでは決められない結果

の三つに分ける。

例えば、

「昇進したい」

という目標がある。

目標

次の管理職に昇進する。

自分が選べる行動

必要な能力を学ぶ。

成果を出す。

チームを支援する。

上司とキャリアについて話す。

責任ある仕事を引き受ける。

自分だけでは決められない結果

最終的な人事判断。

組織再編。

競争相手。

会社の状況。

ポストの有無。

こうして分けると、

自分が努力すべき領域と、

完全には支配できない領域が見えてくる。

後者まで完全に握ろうとすると、心は苦しくなる。

だから、

行動には責任を持つ。
結果は大切にする。
しかし、結果を完全に所有できるとは考えない。

この姿勢が、「無所得」を現代の生活へつなぐ一つの方法である。

手放すとは、捨てることではない

「手放す」という言葉も誤解されやすい。

仕事を手放す。

夢を手放す。

人を手放す。

そのような「捨てる」意味だけではない。

本シリーズでいう手放すとは、

握る力を少し緩める

というイメージに近い。

大切なものは持っていてよい。

夢も持ってよい。

目標も持ってよい。

人を愛してよい。

ただ、

「これがなければ自分は生きる価値がない」

というほど握りしめない。

握りしめる手を少し緩めれば、失う可能性が消えるわけではない。

不確実性も残る。

しかし、その分だけ別の選択肢が見えることがある。

「この道しかない」

から、

「別の道もあるかもしれない」

へ。

「この結果でなければ失敗」

から、

「この結果を受けて、次に何をするか」

へ。

そこで心の自由が少し生まれる。

「無所得」を努力しない理由にしてはいけない

最後に、重要な注意点を確認しておきたい。

「無所得」を、

努力しない。

責任を取らない。

結果を見ない。

失敗から学ばない。

という言い訳にしてはいけない。

「執着しないから、勉強しない」

「無所得だから、仕事の数字は気にしない」

「結果を求めないから、約束を守らなくてもよい」

ということではない。

むしろ、

結果に自己価値を預けないからこそ、結果を冷静に見ることができる

場合がある。

失敗を隠す必要がない。

批判を人格否定として受け取らず、必要な情報として検討できる。

過去の成功に固執せず、方針を変えることもできる。

つまり非執着は、

無責任さではなく、

より柔軟に現実へ応答するための条件

として考えることもできるのである。

第8回のまとめ

第8回では、

無智亦無得
以無所得故

という般若心経の言葉から、「無所得」を考えた。

無所得とは、

何も求めるな。

成功するな。

努力するな。

お金を求めるな。

目標を持つな。

という単純な教えとして読むべきではない。

本シリーズで重要なのは、

目標を持つことと、その結果に自分の価値を全面的に預けてしまうことは違う

という点である。

成功したい。

努力する。

しかし、

「成功できなければ、自分には価値がない」

とはしない。

人を愛する。

大切にする。

しかし、

「絶対に自分から離れてはいけない」

と相手を所有しようとはしない。

評価を受ける。

必要なら改善する。

しかし、

他人の評価だけに自己価値を預けない。

お金を得る。

生活を豊かにする。

しかし、

「もっと、もっと」という終わりのない獲得だけを人生の目的にしない。

非執着は、無関心ではない。

目標を捨てることでもない。

大切にしながら、握りしめすぎない。
努力しながら、結果だけに自分を縛らない。
成功を喜びながら、成功だけを自分にしない。

そのような心のあり方として考えることができる。

心理学でも nonattachment は研究対象となっている。

しかし、心理学研究における非執着と般若心経の「無所得」を同じものとすることはできない。

科学的エビデンスと、仏教思想としての解釈は区別する必要がある。

ここまで本シリーズは、

観自在。

五蘊。

空。

色即是空・空即是色。

考えと事実。

心無罣礙。

無有恐怖。

遠離一切顛倒夢想。

無所得。

と進んできた。

ここから、より具体的な人間の感情へ戻っていく。

不安。

怒り。

悲しみ。

孤独。

喪失。

特に重要なのは、

「空」や「無所得」を理由に、人間の悲しみまで否定してはいけない

ということである。

大切な人を失えば悲しい。

その悲しみは、

「執着しているから悪い」

と切り捨てるものではない。

次回は、不安、怒り、悲しみ、孤独、喪失、そしてグリーフという、人間の最も切実な感情へ入っていく。

次回予告

第9回 般若心経と不安・怒り・悲しみ・喪失──感情を否定せず心を整える方法

不安は、

まだ起きていない未来を握りしめようとする心

と関係することがある。

怒りには、

「相手はこうするべきだった」

「こんなことは起きるべきではなかった」

という「こうあるべき」が関係することがある。

そして悲しみはどうだろうか。

大切な人を失ったとき、

「すべては空だから悲しむ必要はない」

と言えるのだろうか。

本シリーズの答えは明確である。

そうではない。

愛していたから悲しいのである。

大切だったから、喪失は痛い。

次回は、

不安。

怒り。

悲しみ。

孤独。

喪失。

グリーフ。

死への恐怖。

を般若心経から読み直す。

特に、

「大切な人を忘れること」

と、

「執着から自由になること」

を混同しないよう、慎重に考えていく。

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「般若心経とメンタルヘルス──『空』『無所得』『心無罣礙』から学ぶ、苦しみに囚われない心のつくり方【全12回・総合案内】」

参考文献・関連資料

般若心経・仏教思想

中村元・紀野一義(訳註)(1982)『般若心経・金剛般若経』岩波書店(岩波文庫)。

般若心経の「空」「無所得」「心無罣礙」「無有恐怖」などの主要概念を確認するための基本文献である。

佐々木閑(2014)『NHK「100分de名著」ブックス 般若心経』NHK出版。

般若心経の成立背景、大乗仏教における位置づけ、「空」などの思想を一般読者が理解する際の参考資料である。

Thich Nhat Hanh. (2017). The other shore: A new translation of the Heart Sutra with commentaries. Parallax Press.

ティク・ナット・ハンによる般若心経の現代的英訳と解説である。「no attainment」を含む般若心経の主要概念を、現代生活との関係から考える際の参考となる。

84000: Translating the Words of the Buddha. The Heart of the Perfection of Wisdom, the Blessed Mother.

般若心経の英訳、序説、注釈、用語集を収録する学術的オンライン資料である。

非執着・マインドフルネス・心理療法

Ho, C. Y. Y., Yu, B. C. L., & Mak, W. W. S. (2022). Nonattachment mediates the associations between mindfulness, well-being, and psychological distress: A meta-analytic structural equation modeling approach. Clinical Psychology Review, 95, 102175.

仏教心理学に由来する非執着(nonattachment)と、マインドフルネス、ウェルビーイング、心理的苦痛との関係を検討したメタ分析である。41の独立したデータセット、計24,704人を対象としている。ただし、分析対象の多くが横断研究であるため、非執着がウェルビーイングを直接引き起こすという因果関係を証明するものではない。

Kabat-Zinn, J. (2013). Full catastrophe living: Using the wisdom of your body and mind to face stress, pain, and illness (Rev. ed.). Bantam Books.

Mindfulness-Based Stress Reduction(MBSR)の基礎となる代表的文献である。現在の経験を排除せず観察する現代的な実践を理解する際の参考資料となる。

Segal, Z. V., Williams, J. M. G., & Teasdale, J. D. (2012). Mindfulness-based cognitive therapy for depression (2nd ed.). Guilford Press.

Mindfulness-Based Cognitive Therapy(MBCT)の代表的文献である。思考や感情を固定的な自己として捉えない脱中心化を理解する際の参考となる。

Hayes, S. C., Strosahl, K. D., & Wilson, K. G. (2011). Acceptance and commitment therapy: The process and practice of mindful change (2nd ed.). Guilford Press.

Acceptance and Commitment Therapy(ACT)の代表的文献である。望ましくない心理的経験を完全に排除してから行動するのではなく、価値に沿った行動を選ぶという考えを理解するための参考資料である。

※本稿では、般若心経の「無所得」を心理学上の nonattachment と同一視していない。また、非執着に関する心理学研究を「般若心経の効果」の科学的証明として扱ってもいない。

本稿で「無所得」を、何も求めず何も努力しない生き方としてではなく、目標や成果を大切にしながらも、その結果だけに自己価値を全面的に預けない心のあり方として考えたのは、本シリーズ全体の思想的な読みである。

また、経済的困難、職場上の問題、人間関係上の問題など、現実的な対応が必要な状況を、「執着を手放せばよい」という精神論だけで処理するべきではない。必要な問題解決、支援、医療・心理的支援、社会的対応と、心のあり方の問題は区別して考える必要がある。

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投稿者プロフィール

市村 修一
市村 修一
【略 歴】
茨城県生まれ。
明治大学政治経済学部卒業。日米欧の企業、主に外資系企業でCFO、代表取締役社長を経験し、経営全般、経営戦略策定、人事、組織開発に深く関わる。その経験を活かし、激動の時代に卓越した人財の育成、組織開発の必要性が急務と痛感し独立。「挑戦・創造・変革」をキーワードに、日本企業、外資系企業と、幅広く人財・組織開発コンサルタントとして、特に、上級管理職育成、経営戦略策定、組織開発などの分野で研修、コンサルティング、講演活動等で活躍を経て、世界の人々のこころの支援を多言語多文化で行うグローバルスタートアップとして事業展開を目指す決意をする。

【背景】
2005年11月、 約10年連れ添った最愛の妻をがんで5年間の闘病の後亡くす。
翌年、伴侶との死別自助グループ「Good Grief Network」を共同設立。個別・グループ・グリーフカウンセリングを行う。映像を使用した自助カウンセリングを取り入れる。大きな成果を残し、それぞれの死別体験者は、新たな人生を歩み出す。
長年実践研究を妻とともにしてきた「いきるとは?」「人間学」「メンタルレジリエンス」「メンタルヘルス」「グリーフケア」をさらに学際的に実践研究を推し進め、多数の素晴らしい成果が生まれてきた。私自身がグローバルビジネスの世界で様々な体験をする中で思いを強くした社会課題解決の人生を賭ける決意をする。

株式会社レジクスレイ(Resixley Incorporated)を設立、創業者兼CEO
事業成長アクセラレーター

【専門領域】
・レジリエンス(精神的回復力) ・グリーフケア ・異文化理解 ・グローバル人財育成 
・東洋哲学・思想(人間学、経営哲学、経営戦略) ・組織文化・風土改革  ・人材・組織開発、キャリア開発
・イノベーション・グローバル・エコシステム形成支援

【主な著書/論文/プレス発表】
「グローバルビジネスパーソンのためのメンタルヘルスガイド」kindle版
「喪失の先にある共感: 異文化と紡ぐ癒しの物語」kindle版
「実践!情報・メディアリテラシー: Essential Skills for the Global Era」kindle版
「こころと共感の力: つながる時代を前向きに生きる知恵」kindle版
「未来を拓く英語習得革命: AIと異文化理解の新たな挑戦」kindle版
「グローバルビジネス成功の第一歩: 基礎から実践まで」Kindle版
「仕事と脳力開発-挫折また挫折そして希望へ-」(城野経済研究所)
「英語教育と脳力開発-受験直前一ヶ月前の戦略・戦術」(城野経済研究所)
「国際派就職ガイド」(三修社)
「セミナーニュース(私立幼稚園を支援する)」(日本経営教育研究所)

【主な研修実績】
・グローバルビジネスコミュニケーションスキルアップ ・リーダーシップ ・コーチング
・ファシリテーション ・ディベート ・プレゼンテーション ・問題解決
・グローバルキャリアモデル構築と実践 ・キャリア・デザインセミナー
・創造性開発 ・情報収集分析 ・プロジェクトマネジメント研修他
※上記、いずれもファシリテーション型ワークショップを基本に実施

【主なコンサルティング実績】
年次経営計画の作成。コスト削減計画作成・実施。適正在庫水準のコントロール・指導を遂行。人事総務部門では、インセンティブプログラムの開発・実施、人事評価システムの考案。リストラクチャリングの実施。サプライチェーン部門では、そのプロセス及びコスト構造の改善。ERPの導入に際しては、プロジェクトリーダーを務め、導入期限内にその導入。組織全般の企業風土・文化の改革を行う。

【主な講演実績】
産業構造変革時代に求められる人材
外資系企業で働くということ
外資系企業へのアプローチ
異文化理解力
経営の志
商いは感動だ!
品質は、タダで手に入る
利益は、タダで手に入る
共生の時代を創る-点から面へ、そして主流へ
幸せのコミュニケーション
古典に学ぶ人生
古典に学ぶ経営
論語と経営
論語と人生
安岡正篤先生から学んだこと
素読のすすめ
経営の突破口は儒学にあり
実践行動学として儒学に学ぶ!~今ここに美しく生きるために~
何のためにいきるのか~一人の女性の死を見つめて~
縁により縁に生きる
縁に生かされて~人は生きているのではなく生かされているのだ!~
看取ることによって手渡されるいのちのバトン
など
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