安岡正篤の天皇論・国家論──日本皇統と経世済民から考える国家の役割
本記事は、全8回シリーズ「経世済民の源流を訪ねて──安岡正篤の経世思想・日本精神から読み解く現代社会への指南【全8回】」の第4回である。
第1回では、経世済民の源流を中国古典から日本の思想史へとたどり、政治と経済の本来の目的を考察した。第2回では、安岡正篤『経世瑣言』を中心に、政治の責任、指導者の人物学、人格の修養について論じた。第3回では、『日本精神の研究』『日本精神通義』を手がかりに、日本精神の歴史的な形成、人格と公共心、異文化受容、和の思想を考察した。
第4回では、これらの問題意識を国家そのものへと広げ、安岡正篤の天皇論・国家論、日本皇統の歴史、天皇と国民の関係、宮中祭祀、象徴天皇制、靖國神社と慰霊の問題を取り上げる。
国家とは何か。国家は誰のために存在するのか。長い歴史を持つ皇統は、日本社会にとってどのような意味を持つのか。そして、歴史的な継承と現代の民主主義、国民の自由や尊厳を、どのように結びつけることができるのであろうか。
本稿では、安岡正篤の著作と水野隆徳『安岡正篤先生の天皇論・国家論』を重要な思想的手がかりとする。ただし、安岡自身の著作、水野による安岡思想の解釈、史実、現行法制度、そして筆者の現代的考察を混同しない。安岡の原文を逐語的に引用する場合には使用版とページの照合が必要であり、未確認の言葉を安岡の直接の主張として掲げることは避ける。
本稿の目的は、国家の歴史を論じることだけではない。歴史を受け継ぐ国家が、現在を生きる国民の生活と、これから生まれる世代の未来に対して、どのような責任を負うべきかを考えることである。
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「経世済民の源流を訪ねて──安岡正篤の経世思想・日本精神から読み解く現代社会への指南【全8回・総合案内】」
第18章 国家とは何か──安岡正篤の国家観と経世済民
18-1.国家の存在を私たちは何によって理解するのか
現代の私たちは、国家という存在を日常的に意識しながら生活している。税金を納め、法律に従い、教育や医療を受け、公共交通機関を利用し、選挙に参加する。国境を越える際には旅券を必要とし、海外で危機が生じれば外交的な保護を求めることがある。企業は国家の法制度や経済政策のもとで活動し、地域社会は国と地方自治体の制度的な支援を受けている。
しかし、国家とは何かと問われたとき、その意味を簡潔に説明することは必ずしも容易ではない。国家を領土、国民、政府、主権などによって説明することはできる。しかし、それだけでは、人々が国家に対して抱く歴史的な記憶、文化的な帰属意識、社会的な連帯感、将来への責任などを十分に説明できない。
国家は、単なる行政機構でも経済的な組織でもない。人々が長い時間をかけて形成してきた制度、文化、歴史、共同生活の秩序などが重なり合う政治的共同体である。
ただし、国家を歴史や文化だけによって理解することも適切ではない。国家は、法律を制定し、行政を執行し、公的な権力を行使する存在でもある。その権力は、人々の生命、財産、自由に重大な影響を与える。
したがって、国家を考えるためには、歴史的な連続性と制度的な正統性、文化的な継承と国民の権利、国家の安全保障と人々の生活を、総合的に検討する必要がある。
18-2.経世済民から見た国家の目的
経世済民とは、世の中をよく治め、人々の苦難を救うことである。この思想を国家論へ結びつけるとき、最も重要な問いは、国家が何のために権力を行使するのかという問題である。
国家は、国民の生命と財産を守り、社会秩序を維持し、外交と安全保障を担い、教育、医療、社会保障、公共インフラなどの制度を整える必要がある。これらの機能を果たすためには、財政基盤、行政能力、専門知識、法制度、国際社会との関係が不可欠である。
しかし、国家の規模が大きくなり、経済力や軍事力が高まれば、それだけで国家の目的が達成されたと言えるのであろうか。
国民の生活が不安定で、教育や医療へのアクセスが十分でなく、将来への希望を持ちにくい社会であれば、国家の発展を単に経済指標や軍事力だけで評価することはできない。一方、国民の幸福を重視するという理念だけを掲げ、財政や安全保障の現実から目をそらすことも適切ではない。
経世済民は、国家の力を否定する思想ではない。国家の力が、人々の生活を支えるために適切に用いられているかを問い続ける思想として、現代的に理解できる。
18-3.安岡正篤の国家論を読むための思想的背景
安岡正篤は、東洋思想、儒学、陽明学、日本精神論、政治哲学などを研究し、国家や政治を担う人物のあり方を考察した。
『経世瑣言』では政治と責任、人物学、修養などの問題が扱われ、『日本精神の研究』では日本民族の自覚、人格の涵養、国体、政治倫理、歴史上の人物などが研究対象とされている。また、『日本精神通義』では、日本の精神文化の歴史的な形成と、外来思想との関係、東西文化の比較などが扱われている。
水野隆徳『安岡正篤先生の天皇論・国家論』は、これらの著作を天皇論・国家論という視点から読み解く研究書である。同書には、終戦詔書と安岡の天皇像、安岡の戦争史観と国家論、『日本精神の研究』『日本精神通義』に関する論考、さらに『東洋政治哲学』『東洋倫理概論』に関する考察が収録されている。
ここで注意すべきことは、安岡自身の思想と、水野による解釈を区別することである。水野の著作を通じて安岡の思想を理解することには重要な意義があるが、水野が行った分析や評価を、そのまま安岡自身の発言として扱うことはできない。
また、安岡の国家論は、近代日本の政治的・社会的な条件の中で形成された。現在の憲法制度や国際法、人権思想と同一の前提に立つものではないため、歴史的な背景を踏まえた読解が欠かせない。
18-4.国家の歴史的連続性と政治的正統性
国家の歴史的連続性とは、その社会が長い時間の中で制度、文化、歴史的記憶、象徴などを受け継いできたことに関係する。
日本の場合、皇室の歴史、古代からの文献、祭祀、伝統文化、言語、地域社会などが、歴史的な連続性を考える重要な要素となる。
しかし、歴史的な連続性が存在することと、現在の政治権力がどのような根拠によって正統性を持つかという問題は、区別して考える必要がある。
現行の日本国憲法では、主権は国民にあり、国会議員は選挙を通じて選ばれ、内閣は国会に対して責任を負う。天皇は日本国と日本国民統合の象徴であり、国政に関する権能を有しない。
したがって、日本の歴史的な連続性を重視することは、現代の国民主権を否定することを意味しない。
筆者は、国家の歴史的な継承と、現代の政治的な正統性を区別して理解することが、日本の国家論を深めるための重要な条件であると考える。
18-5.国家の権威と権力
国家論を考えるうえで、権威と権力の違いも重要である。
権力とは、法律や制度に基づいて意思決定を行い、必要な場合には強制力を伴って社会を統治する能力である。
一方、権威とは、人々が歴史、制度、人格、専門知識、社会的な信頼などを通じて、ある存在や判断に正当性を認めることと関係する。
権威と権力は、必ずしも同じものではない。
政治家は法律上の権限を持っていても、国民から十分な信頼を得られない場合がある。反対に、直接的な政治権力を持たない人物や制度が、文化的・道徳的な影響力を持つ場合もある。
日本の象徴天皇制を考える際にも、国政に関する権能と、歴史的・文化的な象徴としての役割を区別する必要がある。
ただし、権威は批判や検証から完全に免れるという意味ではない。現代の国家では、法律と制度に基づく権限の区別、説明責任、国民の自由が不可欠である。
18-6.経世済民から考える国家の責任
国家の存在意義を考えるとき、国民の生活を守るという課題は中心的な位置を占める。
しかし、生活を守ることは、現在の困窮だけを救済することに限定されない。
社会保障を持続可能なものとすること、教育機会を確保すること、産業競争力を高めること、災害や感染症に備えること、外交や安全保障を通じて平和を維持すること、将来世代に過度な負担を残さないことも重要である。
ここには、経世と済民の相互関係が存在する。
国家を適切に運営する能力が不足すれば、人々の生活を持続的に支えることは難しい。反対に、国家の強化だけを目的化すれば、国家の存在理由である人々の生活や尊厳を見失う危険がある。
国家の歴史的な連続性を尊重することと、現在の国民の生活を守ることは、本来、対立するものとして扱う必要はない。
国家の歴史を受け継ぐということは、その国家を未来へ引き継ぐ責任を負うことでもある。
第19章 日本皇統の歴史と国家の連続性──神話・歴史・制度をどう理解するか
19-1.皇統を論じる前に区別すべき三つの領域
日本皇統を考える際には、神話、歴史、法制度という三つの領域を区別する必要がある。
第一は、神話的・宗教的な領域である。『古事記』『日本書紀』には、天地の形成、神々の系譜、天孫降臨、神武天皇などに関する物語が記されている。これらは、日本の古代思想や国家意識、宗教文化を理解するための重要な史料である。
第二は、歴史学的な領域である。古代の王権や皇統の成立については、文献史料、考古学、東アジアの国際関係などから研究が進められている。神話に記されている出来事のすべてが、そのまま歴史的な事実として確認されているわけではない。
第三は、現代の法制度である。現在の皇位継承は日本国憲法と皇室典範によって定められており、古代の伝承や歴史上の慣行だけによって決定されるものではない。
これらを区別することは、神話や伝統の文化的価値を否定することではない。むしろ、それぞれの領域にふさわしい方法によって理解を深めるために必要である。
19-2.『古事記』『日本書紀』と国家の記憶
『古事記』は712年、『日本書紀』は720年に成立したとされる、古代日本を理解するうえで重要な文献である。
これらの史料には、神々の物語、歴代天皇の系譜、古代の政治、外交、祭祀などが記されている。
ただし、その成立には古代国家による編纂という政治的・文化的背景が存在する。そのため、神話的叙述、伝承、歴史的な記事などを、すべて同じ性格の記録として扱うことはできない。
歴史学では、文献の成立事情、記述の年代、考古学的な資料、他地域の史料などを比較しながら、古代の国家形成を研究している。
一方、神話には、単なる年代記とは異なる文化的な意味が存在する。
神話は、ある社会が自らの起源、秩序、自然、人間と神々の関係をどのように理解してきたかを示す重要な資料となる。
筆者は、日本の皇統を考える際、神話を歴史学的な事実に置き換えることなく、文化的な記憶としての意味を理解することが重要であると考える。
19-3.皇統の歴史的連続性
日本の皇室は、世界的に見ても長い歴史を持つ王室の一つである。
古代から現代まで天皇という地位が継承されてきたことは、日本の国家と文化の歴史を考えるうえで重要な特徴である。
しかし、天皇の政治的な役割は、歴史を通じて一定していたわけではない。
古代の王権、中世の朝廷と武家政権、江戸時代の天皇と幕府、明治憲法下の天皇、現行憲法における象徴天皇では、政治制度上の位置づけが異なる。
また、日本の皇統には、南北朝時代のように継承と正統性をめぐる対立が生じた時期もあった。
したがって、皇統の歴史的連続性を考える際には、政治制度が変化してきたことも理解する必要がある。
歴史的な連続性とは、何も変わらなかったという意味ではない。
変化する社会の中で、一定の制度や文化的な象徴が継承されてきたという意味で理解することが適切である。
19-4.男系皇統とは何か
皇統の継承を論じる際、男系と女系、男性天皇と女性天皇の違いを正確に理解する必要がある。
男系とは、父方をたどって皇統につながる系統を意味する。
女性天皇とは、女性が天皇として即位することであり、女系天皇とは、母方を通じて皇統につながり、父方では皇統につながらない天皇を意味する。
したがって、女性天皇と女系天皇は同じ概念ではない。
歴史上、日本には推古天皇、持統天皇、元明天皇、元正天皇、孝謙天皇・称徳天皇、明正天皇、後桜町天皇など、女性の天皇が存在した。
一方、伝統的な皇位継承については、男系による継承が重視されてきたという理解がある。ただし、古代の系譜や制度については、史料上の限界や歴史学的な論点も考慮する必要がある。
現在の皇室典範第1条では、皇位継承資格は皇統に属する男系の男子に限定されている。
これは現行法の規定であり、皇位継承制度の将来をどうするかという政策的な議論とは区別して理解する必要がある。
19-5.2026年の皇室典範改正と皇位継承の課題
皇位継承制度は、現在の日本において重要な課題となっている。
2026年の皇室典範等の改正では、一定の条件のもとで、旧皇族の男系男子の子孫を皇族の養子として迎える制度などが整えられた。
ただし、養子となった皇族男子自身には皇位継承資格が認められていない。また、皇室典範第1条の男系男子による皇位継承の規定は維持されている。
したがって、皇族の数を確保するための制度と、皇位継承資格を定める制度を混同してはならない。
皇位継承をめぐっては、歴史的な皇統の継承を重視する立場、女性天皇や女系天皇の制度的な可能性を検討する立場、皇族の人数や公務の持続可能性を重視する立場など、さまざまな議論が存在する。
これらの議論では、歴史的な正統性、国民の理解、憲法との関係、制度の安定性、将来の継承可能性など、複数の論点を丁寧に検討する必要がある。
筆者は、皇位継承という問題を、短期的な政治的対立や感情的な二項対立の中だけで扱うべきではないと考える。
国家の歴史的な連続性に関わる制度であるからこそ、正確な史実と法制度を共有し、将来への責任を持って議論することが重要である。
19-6.皇統と国家の安定
国家の安定には、法制度、政治的な正統性、国民の信頼、行政能力、経済的な基盤など、多くの条件が必要である。
日本の皇統は、政治制度が変化する中でも継承されてきたという特徴を持つ。
このことは、日本の歴史や文化的な連続性を考えるうえで重要な意味を持つ。
しかし、皇統が存在することだけで政治や経済の問題が解決するわけではない。
国家の安全保障、財政、教育、医療、社会保障、産業政策などは、現在の政府、国会、行政機関、地方自治体、企業、市民社会が担う責任である。
皇統の歴史的な価値を理解することと、現代の政策について政府に説明責任を求めることは、両立する。
国家の文化的な連続性を尊重しながら、政治権力を法律と民主的な制度によって統制することが重要なのである。
19-7.経世済民と皇統の継承
経世済民の視点から皇統の問題を考えるならば、重要なのは、歴史的な制度を現在と未来の社会の中でどのように位置づけるかということである。
皇統を大切にするという立場に立つ場合にも、その継承を安定的に実現するための制度的な課題を検討する必要がある。
また、皇統の歴史的な意味について異なる見解を持つ国民が存在することも、現代の社会では尊重されなければならない。
国民統合という理念は、国民がすべて同じ歴史観や政治的な意見を持つことを意味するものではない。
むしろ、異なる意見を持つ人々が、共通の法制度と社会生活の中で、相互の尊厳を尊重しながら暮らすことが重要である。
皇統の歴史を理解することは、日本社会の過去を学ぶことであると同時に、未来へ何を継承するかを考えることでもある。
第20章 安岡正篤の天皇論と象徴天皇制──歴史的継承と現代憲法
20-1.安岡正篤の天皇論をどう読み解くか
安岡正篤の天皇論を考える際、重要な参考文献となるのが水野隆徳『安岡正篤先生の天皇論・国家論』である。
水野は同書で、安岡の終戦詔書に関する問題、戦争史観、国家論、『日本精神の研究』『日本精神通義』、さらに『東洋政治哲学』『東洋倫理概論』を取り上げている。
これらの構成から、安岡の天皇論を理解するためには、単一の文章だけでなく、その思想的な背景と歴史的な文脈を考察する必要があることが分かる。
しかし、安岡の天皇論を現在の象徴天皇制と直接同一視することはできない。
安岡が生きた時代には、明治憲法下の天皇制度から戦後の日本国憲法に基づく象徴天皇制への大きな制度的な転換があった。
そのため、安岡が何を論じたのかを理解する際には、発言や著作の時期、当時の政治制度、国家観との関係を確認する必要がある。
また、水野による安岡思想の解釈は、研究者による一つの思想的な読解として尊重すべきものであるが、それ自体を安岡の原文と混同してはならない。
20-2.明治憲法と現行憲法の天皇の位置づけ
明治憲法と現行憲法では、天皇の位置づけが大きく異なる。
大日本帝国憲法では、天皇は国家統治の中心に位置づけられ、統治権の総攬や軍の統帥に関する規定が設けられていた。
一方、現在の日本国憲法では、天皇は日本国および日本国民統合の象徴とされ、その地位は主権の存する日本国民の総意に基づく。
日本国憲法第4条は、天皇が国政に関する権能を有しないことを定めている。
また、天皇の国事行為には、内閣の助言と承認が必要とされ、内閣がその責任を負う。
この違いは、日本の国家論を考えるうえで極めて重要である。
歴史上の天皇に関する思想と、現在の天皇の憲法上の地位を区別することによって、歴史的な継承と現代の国民主権の関係を適切に考えることができる。
20-3.象徴天皇制の意味
象徴とは何か。
象徴は、それ自体が直接的な政治権力を持たなくても、歴史、文化、共同体の記憶などを表す存在となり得る。
現行憲法のもとで、天皇は日本国と日本国民統合の象徴として位置づけられている。
この制度の重要な特徴は、天皇の地位と政治的な権力の行使が区別されていることである。
天皇は国政に関する権能を持たず、政府の政策を決定する立場にはない。
一方、国事行為やその他の公的な活動を通じて、国家の儀礼、歴史、国民との関係に関わる役割を担っている。
ただし、象徴天皇制の意味や社会的な評価については、多様な議論が存在する。
国民統合の象徴としての役割を重視する立場がある一方、その制度のあり方や公的活動の範囲を憲法の観点から検討する立場もある。
現代の天皇論では、こうした異なる立場を理解しながら、制度の法的な位置づけを明確にすることが重要である。
20-4.宮中祭祀と祈りの歴史
日本の皇室には、長い歴史の中で継承されてきた祭祀が存在する。
宮内庁が公表する主要祭儀には、四方拝、歳旦祭、元始祭、神嘗祭、新嘗祭などが含まれる。
新嘗祭は、天皇が新穀を神々に供え、収穫への感謝を表す祭典であり、宮中の重要な年中行事として継承されている。
こうした祭祀には、自然、農耕、祖先、国家や人々の安寧への祈りなど、歴史的な文化の要素が含まれる。
ただし、宮中祭祀を現在の国家政策と直接結びつけることは適切ではない。
また、歴史的・宗教的な行為としての祭祀と、憲法上の国事行為は区別される。
筆者は、宮中祭祀の歴史を考える際、祈りという行為が日本の文化や歴史的な記憶の中でどのような役割を果たしてきたのかを理解することが重要であると考える。
祈りは、現実の政策や制度を代替するものではない。
しかし、人間が自らの力だけでは制御できない自然、災害、生命、死、未来について考える際、祈りが文化的・精神的な意味を持つ場合がある。
その意味を理解することは、歴史的な制度や文化を考察するうえで有益である。
20-5.昭和天皇と戦争・終戦の問題
安岡正篤の天皇論を考える際、昭和天皇と戦争、終戦の問題を避けることはできない。
日本は1930年代から1945年にかけて、アジア太平洋地域での戦争を経験し、国内外に甚大な被害をもたらした。
戦争の経緯と責任を考える際には、政治指導者、軍部、官僚、国家制度、社会状況、天皇の役割などを、史料に基づいて検討する必要がある。
水野隆徳の著作には、「終戦詔書に込められた安岡正篤先生の天皇像」という章が設けられている。
しかし、終戦詔書の作成過程において安岡がどのような役割を果たしたのかを論じる場合には、関係者の記録、詔書の草稿、研究史料などを照合しなければならない。
終戦詔書の文言や安岡の関与について、後世に広まった逸話を史実として無条件に採用することは避ける必要がある。
また、終戦をめぐる歴史的な評価では、戦争によって亡くなった人々への追悼と、戦争に至った政策や判断の検証を、両立させる必要がある。
歴史を学ぶ目的は、過去の責任を曖昧にすることでも、現在の人々を一律に非難することでもない。
何が起き、なぜ起き、どのような選択が可能であったのかを考え、将来の悲劇を防ぐための判断力を育てることである。
20-6.天皇の公的活動と国民との関係
現代の皇室の活動には、国事行為のほか、国内各地への訪問、災害被災地へのお見舞い、文化や福祉に関わる行事への出席、国際親善などがある。
こうした活動については、憲法上の国事行為と、その他の公的な活動を区別する必要がある。
災害に遭った人々へのお見舞いや、社会的に困難な状況に置かれた人々への関心は、多くの人々にとって精神的な意味を持つ場合がある。
しかし、災害からの復興や社会保障の充実は、政府、地方自治体、企業、市民社会が制度的に担う責任である。
象徴としての活動と政策を実施する責任は異なる。
筆者は、この区別を明確にすることが、象徴天皇制を理解するうえで重要であると考える。
20-7.天皇論と経世済民の接点
経世済民は、社会をよく治め、人々の生活を支える思想である。
この視点から天皇論を考える場合、国家の文化的な継承と、現在の政治的な責任を区別しながら結びつける必要がある。
天皇は、現行憲法のもとで政治権力を行使する存在ではない。
一方、政府と国会は、国民の生活、社会保障、教育、経済、安全保障などの政策に対して責任を負う。
国家の歴史を大切にすることは、現在の政府の政策を無条件に支持することではない。
むしろ、歴史を受け継ぐ国家が、現在と未来の国民に対してどのような責任を果たすべきかを問い続けることが重要なのである。
第21章 靖國神社と国家の記憶──慰霊・歴史認識・平和への責任
21-1.なぜ靖國神社を経世済民の中で考えるのか
国家の歴史を論じる際、戦争によって亡くなった人々をどのように追悼し、その記憶を次世代へ継承するのかという問題は重要である。
国家の歴史には、政治や経済の発展だけでなく、戦争、災害、社会的な対立、人々の犠牲が存在する。
その歴史を理解するためには、国家のために働いた人々の記憶だけでなく、戦争によって命を失った人々、家族を失った人々、生活を破壊された人々にも目を向ける必要がある。
靖國神社は、日本の近現代史における戦没者の慰霊と顕彰に関わる重要な宗教施設である。
一方で、戦争責任、合祀、国家と宗教、首相や閣僚の参拝、近隣諸国との歴史認識など、複数の問題が交差する場所でもある。
したがって、靖國神社について考える際には、慰霊の意味、歴史的な成立、宗教法人としての位置づけ、国家と宗教の関係、戦争の歴史を区別しながら論じる必要がある。
21-2.靖國神社の創建と歴史
靖國神社の起源は、1869年に創建された東京招魂社にさかのぼる。
1879年には靖國神社へと改称された。
創建当初は、明治維新期の戦乱における死者の慰霊が重要な目的であり、その後、日本が経験した戦争や事変で亡くなった人々などが合祀されてきた。
ただし、靖國神社に祀られている人々の範囲は、すべての戦争犠牲者を含むものではない。
その合祀の基準や歴史的な経緯は、国家の戦争政策や当時の制度と関係している。
靖國神社は、現在、宗教法人として活動している。
したがって、靖國神社の宗教的な性格と、国や地方自治体の公的な活動との関係を考える際には、現在の憲法制度を踏まえる必要がある。
21-3.慰霊と顕彰の違い
靖國神社を考える際、慰霊と顕彰を区別することが重要である。
慰霊とは、亡くなった人々を悼み、その魂の安らぎを祈ることなどに関係する。
顕彰とは、その人物の行為や功績を称え、その記憶を社会的に伝えることと関係する。
両者は重なる場合もあるが、同じ意味ではない。
戦争によって亡くなった人々を追悼することは、その戦争を引き起こした政策や判断のすべてを正当化することを意味しない。
一方、歴史的な政策や戦争責任を批判的に検討することは、戦没者やその遺族の悲しみを軽視することを意味しない。
重要なのは、亡くなった人々への追悼と、歴史的な事実や政策への評価を区別することである。
筆者は、国家の歴史を学ぶうえで、悲しみへの共感と歴史的な検証を両立させることが必要であると考える。
21-4.戦没者だけではない戦争犠牲者への視点
戦争の被害を考える際、軍人や軍属だけでなく、空襲、原子爆弾、地上戦、強制的な移動、飢餓、疾病などによって亡くなった多くの民間人の存在にも目を向ける必要がある。
また、日本国内の犠牲者だけではなく、アジア太平洋地域を含む諸外国の人々が受けた被害についても、歴史的な事実に基づいて理解する必要がある。
国家が戦争の歴史を継承するということは、自国の人々の犠牲だけを記憶することではない。
戦争がどのような政策や判断によって生じ、どのような被害をもたらしたのかを、多面的に理解することである。
追悼の形が異なる人々の存在も尊重されなければならない。
宗教的な儀礼を通じて追悼する人もいれば、宗教的な儀礼によらずに追悼する人もいる。
信教の自由と良心の自由を尊重することは、現代社会の慰霊を考えるうえで重要な原則である。
21-5.合祀をめぐる歴史認識
靖國神社には、1978年に東京裁判でA級戦犯として裁かれた人々のうち14人が合祀され、そのことが国内外の議論を引き起こした歴史がある。
この問題を考える際には、戦争に関する法的な判断、歴史的な責任、宗教法人による合祀、政治家の参拝、外交的な影響などを区別する必要がある。
合祀をめぐっては、宗教法人の信教の自由を重視する立場がある一方、遺族の意思や歴史認識、政治的な意味を問題とする立場も存在する。
また、日本の近隣諸国には、日本の戦争や植民地支配の歴史に関して異なる記憶や評価が存在する。
そのため、靖國神社をめぐる問題を単純な賛否だけで整理することは難しい。
重要なのは、立場の違いを認識し、正確な史実と法制度に基づいて議論することである。
21-6.靖國神社と政教分離
日本国憲法は、信教の自由を保障するとともに、国家と宗教の関係について規定している。
憲法第20条は信教の自由と国の宗教的活動に関する原則を定め、第89条は公金その他の公の財産と宗教上の組織・団体との関係について規定している。
靖國神社との関係では、1997年4月2日の最高裁判所大法廷判決、いわゆる愛媛玉串料訴訟が重要である。
この判決では、愛媛県が靖國神社などの宗教的な行事に際して公金から玉串料等を支出したことについて、憲法上の政教分離の原則に反すると判断された。
ただし、この判決を、政治家の参拝や慰霊行為のすべてについて同じ結論を示したものとして扱うことは適切ではない。
それぞれの行為の性格、目的、方法、国家との関係について、個別に法的な検討が必要である。
国家による慰霊のあり方を考えるためには、宗教的な自由を尊重するとともに、公的な権限の行使に対する憲法上の制約を理解する必要がある。
21-7.国際比較から考える戦没者追悼
戦没者を追悼し、その記憶を社会へ継承することは、日本だけの課題ではない。
米国にはアーリントン国立墓地があり、英国やフランスなどにも、戦争による死者を追悼する施設や儀礼が存在する。
ドイツでは、戦争の犠牲者を追悼することと、ナチズムによる犯罪を記憶し、歴史的な責任を検証することが、重要な社会的課題となってきた。
ただし、各国の追悼施設は、宗教的な性格、国家との関係、埋葬の有無、歴史的な背景などが異なるため、単純に同一視することはできない。
国際比較から学ぶべきことは、特定の国の形式をそのまま採用することではない。
それぞれの社会が、死者への追悼、歴史的な責任、国民の多様な価値観、平和への願いを、どのように制度や文化へ結びつけているかを考えることである。
21-8.経世済民から考える慰霊と平和
経世済民は、政治と経済を人々の生活に結びつける思想である。
この視点から慰霊を考える場合、過去に亡くなった人々への追悼だけでなく、同じ悲劇を未来に繰り返さないための責任が重要となる。
戦争の歴史から学ぶためには、外交、安全保障、国際法、経済、情報、教育など、多面的な理解が必要である。
平和を願うという理念だけで、国家の安全が自動的に守られるわけではない。
同時に、安全保障の名のもとに、あらゆる政策が正当化されるわけでもない。
国家には、国民の生命を守るために現実的な安全保障政策を整える責任がある。一方、外交や国際協調を通じて紛争を防止し、戦争の被害を最小化する努力も必要である。
筆者は、靖國神社を含む慰霊の問題を考える際、過去の記憶を未来の平和と国民の安全へどう結びつけるかという視点が重要であると考える。
第22章 経世済民から考える国家の役割──皇統・日本精神・国民の幸福をどう結びつけるか
22-1.国家の歴史と現在の責任
ここまで、安岡正篤の国家論・天皇論、日本皇統の歴史、象徴天皇制、宮中祭祀、靖國神社と慰霊の問題を考察してきた。
これらの問題は、すべて国家の歴史と深く関係している。
しかし、国家の歴史を理解することは、それだけで現代の政策課題を解決することを意味しない。
人口減少、経済成長、財政、社会保障、教育、安全保障、エネルギー、AIなど、現代日本は多くの課題に直面している。
これらの問題には、歴史的な知識だけでなく、科学的な分析、制度設計、行政能力、企業活動、市民社会の協力が必要である。
そのため、国家の歴史的な連続性を重視することと、現実の政策課題を科学的に検討することは、対立するものとして扱う必要はない。
むしろ、長い歴史を受け継ぐ国家であるからこそ、現在の国民と将来世代の生活を守る責任があると考えることができる。
22-2.経世済民型国家の条件
経世済民を現代の国家論へ応用するならば、国家の運営には少なくとも五つの条件が必要である。
第一は、国民の生命と安全を守ることである。外交、安全保障、治安、災害対策、感染症対策などは、国家の基本的な責任である。
第二は、経済的な基盤を維持することである。産業、雇用、財政、金融、技術革新などが健全に機能しなければ、社会の持続的な発展は難しい。
第三は、人間の尊厳と権利を守ることである。法の支配、基本的人権、教育、医療、社会保障などは、国民が安心して生活するための重要な条件となる。
第四は、文化と歴史を継承することである。言語、伝統、歴史的な記憶、文化財、地域社会などを次世代へ引き継ぐことも、国家と社会の重要な課題である。
第五は、未来世代への責任を果たすことである。財政、人口、教育、環境、産業、安全保障などの政策を、現在の利益だけでなく長期的な視点から考える必要がある。
これらの条件は、安岡の著作から直接引用した分類ではない。
経世済民という思想を現代の国家運営へ応用するために、本稿で整理したものである。
22-3.国家の繁栄と国民の幸福
国家の繁栄は、何によって測られるのであろうか。
GDP、所得、技術力、産業競争力、安全保障能力などは、重要な指標である。
しかし、国家の繁栄をそれだけで評価することはできない。
教育を受ける機会があるか、医療へアクセスできるか、安心して暮らせるか、働きがいを持てるか、社会に参加できるか、将来に希望を持てるかという点も重要となる。
国家の経済力を高めることは、それ自体に重要な意味がある。
しかし、その経済力が、国民の生活や社会の安定へ結びつかなければ、経世済民の目的を十分に実現しているとは言えない。
一方、国民の生活を支える政策を持続するためには、経済成長、財政規律、技術革新、行政能力が必要である。
したがって、国家の繁栄と国民の幸福は、対立する概念ではない。
重要なのは、国家の発展を国民の生活へつなげる制度と政策を整えることである。
22-4.伝統と改革をどう両立させるか
国家の歴史を大切にすることと、社会を改革することは、必ずしも対立するものではない。
伝統を守るという理由だけで、現在の社会問題への対応を拒めば、その伝統を支える社会の基盤が弱くなる可能性がある。
一方、改革を進めるという理由だけで、歴史的な制度や文化を軽視すれば、社会の信頼や連続性が損なわれる場合がある。
したがって、何を守り、何を変えるべきかを検討する必要がある。
その際には、歴史的な意義、現在の制度、国民の生活、将来への影響などを総合的に考慮することが重要である。
例えば、皇位継承制度を考える際には、皇統の歴史的な意味を理解するとともに、現在の法制度や将来の継承可能性を検討する必要がある。
教育制度を考える際には、日本の文化や歴史を学ぶことと、科学的な知識、批判的思考、異文化理解を育てることを両立させる必要がある。
国家の歴史を継承することは、変化を拒むことではない。
継承すべき価値を理解しながら、社会の変化に対応する能力を育てることである。
22-5.国家と個人の関係
国家と個人の関係は、政治哲学における重要な問題である。
国家は、社会秩序を維持し、公共的な課題を解決するために必要な制度である。
しかし、国家の利益という名目で、個人の自由や権利が無制限に制約されてよいわけではない。
現代の立憲主義では、国家権力は憲法と法律によって制約され、個人の基本的人権が保障される。
この考え方は、国家の歴史や文化を軽視するものではない。
むしろ、国家の制度が国民の生活を支えるために、権力の行使を適切に制約するものである。
経世済民を現代に生かすならば、国家の発展と個人の尊厳を、単純な対立として扱う必要はない。
国家が人々の生活を守り、自由と権利を保障することによって、社会の安定と信頼が高まる可能性がある。
また、国民一人ひとりが社会的な責任を果たし、公共的な問題に関心を持つことも、健全な国家運営を支える。
国家と個人は、一方が他方を無条件に支配する関係ではなく、法制度と社会的な責任を通じて関わり合う存在として考える必要がある。
22-6.国際社会における日本の責任
日本の国家論を考える際、国際社会との関係を避けることはできない。
日本は、貿易、金融、エネルギー、食料、技術、外交、安全保障など、多くの領域で国際社会と深く結びついている。
自国の利益を守ることは国家の重要な責任である。
しかし、自国の利益を追求することが、常に他国の利益と対立するわけではない。
国際的な法秩序、自由で公正な経済関係、環境問題への協力、災害支援、感染症対策などは、国境を越えた協調を必要とする。
経世済民を世界的な視野で考えるならば、自国の国民の生活を守る責任と、国際社会の安定に貢献する責任を、どのように調整するかという問題が生じる。
この問題は、第5回の世界比較で詳しく考察する。
22-7.国家の指導者に求められる人物学
国家の制度がどれほど整っていても、それを運営するのは人間である。
政治家には、政策を構想する能力、専門的な知識を理解する能力、異なる意見を調整する能力、困難な決断を下す能力が必要である。
しかし、それらの能力を何のために用いるのかという問いも重要である。
第2回で考察した安岡正篤の人物学は、この問題を考える手がかりとなる。
指導者には、自らの能力を過大評価しない謙虚さ、異なる意見に耳を傾ける姿勢、私的な利益と公共的な責任を区別する倫理観、判断の結果に責任を持つ覚悟が必要である。
同時に、優れた人物だけに国家の運命を委ねてはならない。
政治権力を監視し、誤りを発見し、必要に応じて政策や指導者を変更できる制度が不可欠である。
人格と制度、倫理と専門能力をともに重視することが、現代の経世済民型国家の重要な条件となる。
22-8.皇統・日本精神・経世済民の関係
ここまでの考察を踏まえると、皇統、日本精神、経世済民は、それぞれ異なる次元の問題であることが分かる。
皇統は、日本の歴史的な継承と国家の文化的な連続性に関係する。
日本精神は、日本の歴史の中で形成されてきた思想、倫理、文化、人格形成、公共心などに関係する。
経世済民は、政治と経済を人々の生活へ結びつけ、社会を適切に運営しようとする思想である。
これらを同一視することは適切ではない。
しかし、それぞれを区別したうえで関係を考えることには重要な意義がある。
国家の歴史を理解することは、現在の社会が過去から何を受け継いできたのかを考えることである。
日本精神を学ぶことは、その社会がどのような倫理や価値観を形成してきたのかを考えることである。
経世済民を考えることは、それらの歴史や思想を、現在と未来の人々の生活へどのように生かすかを問うことである。
つまり、歴史を学ぶことと、現在の政治経済を考えることを切り離さないことが重要なのである。
22-9.現代日本が経世済民から学ぶべきこと
現代日本は、人口減少、少子高齢化、地域社会の衰退、財政、社会保障、教育、技術革新、安全保障など、複数の課題に直面している。
これらの課題は、一つの思想や政策だけで解決できるものではない。
しかし、経世済民という視点は、政策の目的を見失わないための重要な問いを提示する。
その政策は、誰の生活を支えるのか。
その制度は、現在と未来の社会にどのような影響を与えるのか。
その改革は、人々の自由や尊厳を守っているのか。
その政治的な決定は、十分な根拠と説明責任に基づいているのか。
国家の歴史を大切にすることは、こうした問いから目をそらすことではない。
むしろ、長い歴史を受け継ぐ社会であるからこそ、現在の判断が未来へ与える影響について責任を持つ必要がある。
22-10.国家の繁栄を人々の幸福へ
本章の結論として、国家の存在意義を改めて考えたい。
国家の歴史は重要である。文化の継承も重要である。経済力、安全保障、行政能力も不可欠である。
しかし、それらが何のために存在するのかという問いを失ってはならない。
国家の発展は、人々の生活を守り、自由と尊厳を保障し、次世代が希望を持って生きられる社会を築くことへ結びつくべきである。
これは、経済成長や安全保障を軽視する主張ではない。
むしろ、それらの現実的な基盤を整えることによって、人々の生活を持続的に支えようとする考え方である。
日本皇統の歴史を学び、日本精神の思想的な意味を理解し、安岡正篤の経世思想を考察することは、日本という国家のあり方を深く考えるための重要な手がかりとなる。
そして、その考察を現代に生かすためには、国家の歴史的な継承と、人々の生活に対する具体的な責任を結びつける必要がある。
国家の繁栄を人々の幸福へ。
この命題こそ、経世済民を現代の国家論へ結びつけるための中心的な視点である。
第4回のまとめ──国家の歴史を受け継ぎ、人々の未来に責任を持つ
第4回では、安岡正篤の国家論・天皇論を思想的な手がかりとして、日本皇統の歴史、象徴天皇制、宮中祭祀、靖國神社と慰霊、そして経世済民から見た国家の役割を考察してきた。
ここまでの議論から、国家を考えるために重要な五つの命題が浮かび上がる。
第一に、国家の歴史的連続性と政治的正統性を区別することである。
国家には、長い歴史の中で形成されてきた文化、制度、象徴、社会的な記憶が存在する。しかし、歴史的な継承が存在することと、現在の政治権力がどのような根拠によって正統性を持つかという問題は異なる。現代日本では、国民主権と憲法に基づく政治制度が国家運営の基礎となっている。
第二に、皇統の歴史と現在の法制度を正確に理解することである。
日本皇統には長い歴史があり、その継承は日本の文化的な連続性を考えるうえで重要な問題である。しかし、神話、歴史、法制度を混同してはならない。現在の皇位継承は、日本国憲法と皇室典範に基づいて行われる。将来の制度について議論する場合にも、正確な史実と法制度を共有する必要がある。
第三に、象徴天皇制と政治権力を区別することである。
現行憲法のもとで、天皇は日本国と日本国民統合の象徴とされ、国政に関する権能を有しない。国家の歴史的な継承を尊重することと、現在の政府や国会に対して政策の説明責任を求めることは両立する。
第四に、慰霊と歴史的な検証を両立することである。
戦争によって亡くなった人々を追悼することは、その戦争を引き起こした政策や判断を無条件に正当化することではない。また、戦争責任を検証することは、戦没者や遺族の悲しみを否定することでもない。歴史的な記憶を未来の平和と安全へ結びつけるためには、追悼と検証の双方が必要である。
第五に、国家の繁栄を人々の生活へ結びつけることである。
国家の経済力、行政能力、安全保障能力は重要である。しかし、それらが人々の生活、安全、自由、尊厳、将来への希望と結びついていなければ、経世済民の目的を十分に実現しているとは言えない。
ここで、本連載を貫く基本的な問いに戻りたい。
国家は何のために存在するのか。
政治は何を実現するためにあるのか。
経済は誰の生活を豊かにするために発展するのか。
そして、私たちは何を未来の世代へ引き継ぐべきなのであろうか。
安岡正篤の国家論や日本精神論を現代に学ぶ意義は、過去の国家制度をそのまま復活させることではない。
歴史を通じて形成されてきた思想や倫理を理解し、現在の社会に求められる責任を考えることである。
国家の歴史を尊重することは、現在を生きる人々の生活を軽視することではない。むしろ、長い歴史を受け継ぐ社会であるからこそ、その社会を次の世代へよりよい形で引き継ぐ責任がある。
日本皇統の歴史、日本精神の思想的な蓄積、経世済民の理念を、それぞれの性格を区別しながら考察することによって、国家と人間の関係をより深く理解することができる。
国家は、過去から受け継いだ歴史の中に存在すると同時に、現在と未来の人々の生活の中に存在する。
歴史を受け継ぐことと、未来に責任を持つこと。
この二つを結びつけることが、現代の経世済民に求められる重要な課題なのである。
次回予告
世界の経世済民──欧米・アジア・中国の政治経済思想と国家運営を比較する
第5回では、経世済民の問題意識を世界の政治経済思想へ広げ、欧米、アジア、中国、日本における国家運営と社会的な幸福の関係を比較する。
古代ギリシャの政治思想、アダム・スミスの道徳哲学と経済思想、近代の自由主義、社会的市場経済、現代の正義論や人間開発思想などを取り上げる。
さらに、米国、英国、ドイツ、北欧諸国、シンガポール、韓国、台湾、インド、中国などの経験を比較し、経済成長、社会保障、教育、政治的自由、公共的な責任などの関係を検討する。
経世済民という言葉は東洋思想の歴史に根ざしている。しかし、政治と経済の目的を人々の生活へ結びつけるという問いは、特定の文明だけのものではない。
世界の多様な思想と制度を比較することによって、日本の経世思想が持つ可能性と限界を、さらに深く考察する。
▶︎ 連載全体の構成・総合案内はこちら
「経世済民の源流を訪ねて──安岡正篤の経世思想・日本精神から読み解く現代社会への指南【全8回・総合案内】」
参考文献・関連資料
Ⅰ.必須文献
- 安岡正篤(1940)『経世瑣言』刀江書院。参照版:『新編経世瑣言』明徳出版社、1988年。
- 安岡正篤(1924)『日本精神の研究』玄黄社。参照版:『日本精神の研究──人格を高めて生きる』致知出版社、2005年。
- 安岡正篤『日本精神通義』。参照版:『人生、道を求め徳を愛する生き方』致知出版社、2005年。
- 水野隆徳(2019)『安岡正篤先生の天皇論・国家論』明徳出版社。
本稿では、安岡正篤の思想を扱う際、確認できる著作・書誌情報と、研究者による解釈、筆者自身の現代的な考察を区別した。原文とページを照合できていない箇所については、安岡の直接引用として提示していない。
Ⅱ.日本の古典・皇統・国家思想
- 太安万侶編(712)『古事記』。
- 舎人親王ほか編(720)『日本書紀』。
- 『大日本帝国憲法』(1889年公布)。
- 『日本国憲法』(1946年公布、1947年施行)。
- 『皇室典範』(1947年施行。2026年改正を含む現行法)。
- 安岡正篤『東洋政治哲学』。
- 安岡正篤『東洋倫理概論』。
Ⅲ.政治哲学・国家論
- Anderson, B. (1983). Imagined communities: Reflections on the origin and spread of nationalism. Verso.
- Rawls, J. (1971). A theory of justice. Harvard University Press.
- Sen, A. (1999). Development as freedom. Alfred A. Knopf.
- Weber, M. (1919). Politik als Beruf[職業としての政治].
- Ostrom, E. (1990). Governing the commons: The evolution of institutions for collective action. Cambridge University Press.
Ⅳ.天皇・皇室・皇位継承に関する公的資料
宮内庁「天皇」
https://www.kunaicho.go.jp/learn/institution/seido/seido01.html
宮内庁「皇位継承」
https://www.kunaicho.go.jp/learn/institution/seido/seido03.html
宮内庁「主要祭儀一覧」
https://www.kunaicho.go.jp/learn/gokomu-kyuchu/saishi/saishi01.html
e-Gov法令検索「日本国憲法」
https://laws.e-gov.go.jp/law/321CONSTITUTION
e-Gov法令検索「皇室典範」
https://laws.e-gov.go.jp/law/322AC0000000003
内閣官房「皇室典範等の改正」
https://www.cas.go.jp/jp/siryou/koshitsutempan/index.html
Ⅴ.靖國神社・慰霊・政教分離に関する資料
靖國神社公式ウェブサイト
衆議院「最高裁判所違憲判決一覧」所収・愛媛玉串料訴訟判決概要
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/chosa/supreme.pdf/%24File/supreme.pdf
最高裁判所大法廷判決(1997年4月2日)。民集51巻4号1673頁。愛媛玉串料訴訟。
Ⅵ.安岡正篤・水野隆徳に関する関連資料
明徳出版社『安岡正篤先生の天皇論・国家論』
https://www.meitoku.org/custom292.html
出版書誌データベース『安岡正篤先生の天皇論・国家論』
https://www.books.or.jp/book-details/9784896198461
公益財団法人郷学研修所・安岡正篤記念館
国立国会図書館サーチ
Ⅶ.国際比較・現代国家の関連資料
OECD
世界銀行
国連開発計画(UNDP)
International Institute for Democracy and Electoral Assistance(International IDEA)
World Justice Project
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投稿者プロフィール

- 市村 修一
-
【略 歴】
茨城県生まれ。
明治大学政治経済学部卒業。日米欧の企業、主に外資系企業でCFO、代表取締役社長を経験し、経営全般、経営戦略策定、人事、組織開発に深く関わる。その経験を活かし、激動の時代に卓越した人財の育成、組織開発の必要性が急務と痛感し独立。「挑戦・創造・変革」をキーワードに、日本企業、外資系企業と、幅広く人財・組織開発コンサルタントとして、特に、上級管理職育成、経営戦略策定、組織開発などの分野で研修、コンサルティング、講演活動等で活躍を経て、世界の人々のこころの支援を多言語多文化で行うグローバルスタートアップとして事業展開を目指す決意をする。
【背景】
2005年11月、 約10年連れ添った最愛の妻をがんで5年間の闘病の後亡くす。
翌年、伴侶との死別自助グループ「Good Grief Network」を共同設立。個別・グループ・グリーフカウンセリングを行う。映像を使用した自助カウンセリングを取り入れる。大きな成果を残し、それぞれの死別体験者は、新たな人生を歩み出す。
長年実践研究を妻とともにしてきた「いきるとは?」「人間学」「メンタルレジリエンス」「メンタルヘルス」「グリーフケア」をさらに学際的に実践研究を推し進め、多数の素晴らしい成果が生まれてきた。私自身がグローバルビジネスの世界で様々な体験をする中で思いを強くした社会課題解決の人生を賭ける決意をする。
株式会社レジクスレイ(Resixley Incorporated)を設立、創業者兼CEO
事業成長アクセラレーター
【専門領域】
・レジリエンス(精神的回復力) ・グリーフケア ・異文化理解 ・グローバル人財育成
・東洋哲学・思想(人間学、経営哲学、経営戦略) ・組織文化・風土改革 ・人材・組織開発、キャリア開発
・イノベーション・グローバル・エコシステム形成支援
【主な著書/論文/プレス発表】
「グローバルビジネスパーソンのためのメンタルヘルスガイド」kindle版
「喪失の先にある共感: 異文化と紡ぐ癒しの物語」kindle版
「実践!情報・メディアリテラシー: Essential Skills for the Global Era」kindle版
「こころと共感の力: つながる時代を前向きに生きる知恵」kindle版
「未来を拓く英語習得革命: AIと異文化理解の新たな挑戦」kindle版
「グローバルビジネス成功の第一歩: 基礎から実践まで」Kindle版
「仕事と脳力開発-挫折また挫折そして希望へ-」(城野経済研究所)
「英語教育と脳力開発-受験直前一ヶ月前の戦略・戦術」(城野経済研究所)
「国際派就職ガイド」(三修社)
「セミナーニュース(私立幼稚園を支援する)」(日本経営教育研究所)
【主な研修実績】
・グローバルビジネスコミュニケーションスキルアップ ・リーダーシップ ・コーチング
・ファシリテーション ・ディベート ・プレゼンテーション ・問題解決
・グローバルキャリアモデル構築と実践 ・キャリア・デザインセミナー
・創造性開発 ・情報収集分析 ・プロジェクトマネジメント研修他
※上記、いずれもファシリテーション型ワークショップを基本に実施
【主なコンサルティング実績】
年次経営計画の作成。コスト削減計画作成・実施。適正在庫水準のコントロール・指導を遂行。人事総務部門では、インセンティブプログラムの開発・実施、人事評価システムの考案。リストラクチャリングの実施。サプライチェーン部門では、そのプロセス及びコスト構造の改善。ERPの導入に際しては、プロジェクトリーダーを務め、導入期限内にその導入。組織全般の企業風土・文化の改革を行う。
【主な講演実績】
産業構造変革時代に求められる人材
外資系企業で働くということ
外資系企業へのアプローチ
異文化理解力
経営の志
商いは感動だ!
品質は、タダで手に入る
利益は、タダで手に入る
共生の時代を創る-点から面へ、そして主流へ
幸せのコミュニケーション
古典に学ぶ人生
古典に学ぶ経営
論語と経営
論語と人生
安岡正篤先生から学んだこと
素読のすすめ
経営の突破口は儒学にあり
実践行動学として儒学に学ぶ!~今ここに美しく生きるために~
何のためにいきるのか~一人の女性の死を見つめて~
縁により縁に生きる
縁に生かされて~人は生きているのではなく生かされているのだ!~
看取ることによって手渡されるいのちのバトン
など

