ヴィクトール・フランクルが創始したロゴセラピーに関するブログ記事を10シリーズ展開する。今回は、その第1回である。
第1回:なぜ人は苦しみの中で“意味”を求めるのか──ロゴセラピーが教える希望のかたち
はじめに
なぜ人は苦しみの中で“意味”を求めるのか──ロゴセラピーが教える希望のかたち
「どうして自分だけが、こんな目に遭わなければならないのか?」
「この苦しみには、いったい何の意味があるのか?」
人生のどこかで、そんな問いに立ち尽くした経験はないだろうか。
悲しみや絶望の只中にいるとき、人は答えの見えない問いを胸に抱えながら、それでも前を向こうともがく。病の床で、別れの現場で、喪失の痛みに打ちひしがれた夜に──人間はただ耐えるのではなく、意味を求めて生きようとする。
この「意味を求める心」こそが、人間を人間たらしめていると語ったのが、オーストリアの精神科医・哲学者ヴィクトール・フランクルである。彼は第二次世界大戦中、ナチスの強制収容所に囚われるという極限の環境において、自らの家族をほとんど失い、飢えや暴力、死と隣り合わせの日々を生き延びた。
その壮絶な体験の中で彼が掴んだのは、「人間は、どのような状況に置かれても、自らの態度と意味のあり方を選ぶことができる」という真理であった。
彼の言葉には、こうある。
「人間からすべてを奪うことができても、たった一つだけ奪えないものがある。
それは、どんな状況にあっても、どのようにそれに対処するかという人間の最後の自由である。」
この考えに基づいて生まれたのが、**ロゴセラピー(Logotherapy)**である。「ロゴ(Logos)」とはギリシャ語で「意味」を意味し、「意味への意志(Will to Meaning)」こそが人間の根源的な生きる力であるという前提に立つ。
現代社会に生きる私たちは、情報に溢れ、選択肢に囲まれている一方で、「本当に自分はなぜ生きているのか」「どんな価値を大切にしたいのか」という問いに明確な答えを持たないことが多い。SNSで他者と比べては焦燥し、職場では役割をこなすだけの日々が続く。あるいは、親しい人との別れや病の発症、キャリアの挫折といった“人生のつまずき”に直面し、自分の存在意義を見失ってしまうこともある。
そんなとき、私たちに必要なのは、「どうすればこの状況を変えられるか」ではなく、**「この状況の中で、どんな意味を見出すことができるか」**という視点である。
フランクルのロゴセラピーは、心理療法という枠を超えて、人生の本質的な問いに寄り添い、再び心を立ち上がらせる力を与えてくれる。
本シリーズでは、ロゴセラピーの理論と哲学を出発点にしながら、欧米、アジア、日本における多文化的な実践例を交えて、「意味を求める心」がいかに人の回復力と希望を育むのかを丁寧に探っていく。
第1回目となる本稿では、「ロゴセラピーとは何か?」という基本的な問いに立ち返りながら、現代を生きる私たちがこの療法から学ぶべき“希望のかたち”を明らかにしていく。
1. ロゴセラピーとは──ヴィクトール・フランクルの生涯と思想
ロゴセラピーは、オーストリアの精神科医・哲学者であるヴィクトール・エミール・フランクル(1905–1997)によって提唱された心理療法である。「ロゴ」とはギリシャ語で「意味(Logos)」を意味し、人生の意味を探求し、それを自ら発見する過程に精神の癒しと成長を見出すという発想に基づいている。
フランクルの思想の核心は、彼自身の極限体験にある。第二次世界大戦中、彼はユダヤ人としてアウシュヴィッツをはじめとする強制収容所に収監され、家族の多くを失った。しかし彼は、生き延びるために「意味」を見出すことを諦めなかった。毎朝、霜の降りた鉄条網越しに昇る太陽を見つめ、「この一瞬にも意味がある」と自らに言い聞かせ、囚人仲間の痛みや苦しみに寄り添う行為に、人間の尊厳を見たのである。
彼の代表作『夜と霧(Man’s Search for Meaning)』は、そうした極限の中で「意味を見出す力」が人間をいかに生かすのかを証明する証言である。
2. 「意味への意志」──ロゴセラピーの根本原理
ロゴセラピーにおける人間観は、以下の三つの主要な原理に基づいている。
(1)人生には常に意味がある
状況がどれほど悲惨で絶望的であっても、その中には必ず意味が潜んでいる。意味は“与えられるもの”ではなく、“見出すもの”である。
(2)人は状況に対して態度を選ぶ自由がある
人間はあらゆる状況において「いかなる態度をとるか」を選ぶ自由を持つ。この内的自由は、いかなる外的制限よりも強靭である。
(3)自由には責任が伴う
意味に向かって自由に生きるには、人生に対する責任、他者への責任、そして自己に対する責任が求められる。フランクルは「自由の女神に対して、責任の男神が必要だ」と説いた。
3. 現代社会における「意味の喪失」──空虚感と精神的飢餓
OECDの2023年調査では、先進国の若年層の37%が「人生に希望を見出せない」と回答し、特に20代前半でのうつ病や不安障害の発症率が過去20年で倍増している。これは「快楽」や「成功」への欲求が満たされても、人間の根本的欲求である「意味への意志」が満たされていないことを示唆している。
以下のような現象は、それぞれの文化圏で異なる形で現れている。
- アメリカ:成功至上主義のもとでの“空虚感”と薬物依存。
- 韓国:学歴競争の果てに燃え尽き症候群を抱える若者。
- 日本:非正規雇用や将来不安の中で自分の居場所を見失う若年層。
ロゴセラピーは、こうした「意味の喪失(existential vacuum)」という状態に対して、意味の再発見という処方箋を提示する。
4. 実践事例:文化を超えて広がるロゴセラピーの力
【ドイツ】終末期ケアにおける意味の再構築
ドイツのミュンヘンでは、ホスピス医療において「ロゴセラピー対話」が導入されている。余命が限られた患者に対し、「この瞬間、誰のために、何のために時間を使いたいか」と問うことで、死を恐れるのではなく「意味をもって生き抜く」支援が行われている。
【タイ】仏教とロゴセラピーの融合
タイのチェンマイ大学では、洪水災害後のPTSD対策として、仏教的瞑想とロゴセラピーのワークショップを組み合わせた実践が行われている。無常観と意味探求が融合し、宗教と心理学の架け橋となっている。
【日本】若者支援と意味の再発見
あるNPO法人では、引きこもりや就労困難な若者に対し、「小さな役割を担う」体験を通じて意味を見出す支援を実施している。ある青年は、高齢者施設でのお茶出しを通じて「ありがとう」と言われる体験から、「自分にも価値がある」と実感し、就労への意欲を取り戻した。
5. 意味を見出す3つの道──日常生活での実践法
フランクルは、人生の意味を見出す方法として以下の三つを提示した。
(1)創造的価値:何かを創り出すこと
例:仕事、芸術、育児、奉仕活動など。
(2)体験的価値:美や愛を感じること
例:自然との触れ合い、音楽や文学の鑑賞、他者との深い関わり。
(3)態度価値:変えられない運命に向き合う姿勢
例:病気や喪失という試練に対して誠実に立ち向かう。
🔹 実践ヒント:
- 「今日感謝できることを3つ書き出す」
- 「誰かに手紙やメールで感謝を伝える」
- 「“なぜ私はこの仕事をしているのか?”を1行で書く」
こうした小さな実践が、意味の“芽”を育てる土壌となる。
おわりに:意味こそが人を立ち直らせる
人間は、苦しみから解放された時に癒されるのではなく、苦しみの中に意味を見出したときに、真に立ち直る力を得る。ロゴセラピーは、「どんな人生にも意味がある」と信じることから始まる、根源的なヒューマニズムである。
次回は、現代人が直面する「意味喪失社会」の現実──SNS疲れやキャリア迷子、心の空洞といった問題と、それにどうロゴセラピーが応答できるのかを、さらに深く探求する。
問いかけ:
「あなたの今日という一日は、誰かの人生にとって、どんな意味をもたらすだろうか?」