ジョン・コルトレーンの音楽とメンタルヘルス 第2回──苦悩から祈りへ向かった音楽家

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ジョン・コルトレーンの音楽とメンタルヘルス
──混沌、祈り、再生を聴くジャズの深層心理学

第2回 苦悩から祈りへ向かった音楽家

連載導入の言葉
本稿は、「ジョン・コルトレーンの音楽とメンタルヘルス──混沌、祈り、再生を聴くジャズの深層心理学」全8回シリーズの第2回である。本連載では、ジョン・コルトレーンの音楽を、単なるジャズ鑑賞や名盤紹介としてではなく、不安、喪失、怒り、孤独、抑うつ、祈り、再生と向き合うための音楽的実践として読み解いていく。第1回では、コルトレーンの音楽をメンタルヘルスの視点から聴く意味を確認した。そこでは、彼の音楽が「心をただ穏やかにする音楽」ではなく、混沌、悲嘆、怒り、孤独、祈りを否定せず、それらを通過するための音楽であることを述べた。第2回では、その土台として、ジョン・コルトレーンという人物そのものに迫る。彼はなぜ、あれほど切実に吹いたのか。なぜ、彼の音は単なる技巧を超えて、祈りのように聴こえるのか。なぜ、《A Love Supreme》は、ジャズ史上の名盤であるだけでなく、ひとりの人間の精神的再生の記録として聴かれ続けているのか。本稿では、コルトレーンの人生、音楽的特徴、そしてメンタルヘルスという視点を結びながら、彼の音楽が現代人の心に何をもたらしうるのかを考察する。

全8回シリーズの流れ
第1回 なぜ今、混沌と祈りのジャズを聴くのか
第2回 苦悩から祈りへ向かった音楽家
第3回 《Giant Steps》《Naima》《My Favorite Things》の聴き方
第4回 《Alabama》《A Love Supreme》《Crescent》に聴く悲嘆と再生
第5回 不安・怒り・抑うつ・喪失へのセルフケア
第6回 欧米・アジア・日本に広がる癒しのジャズ
第7回 7日間のコルトレーン鑑賞プログラム
第8回 心の闇に道を開く音楽

はじめに
ジョン・コルトレーンの音楽を深く聴くためには、まず彼を「偉大なジャズ・サックス奏者」としてだけでなく、「苦悩を音に変え、音を祈りへと高めようとした人間」として理解する必要がある。コルトレーンの演奏には、驚異的な技巧がある。音の密度、速度、構成力、即興の持続力、和声への探究、旋律の拡張、リズムへの集中、そのすべてが並外れている。しかし、彼の音楽を本当に特別なものにしているのは、単なる技巧ではない。彼の音には、人生をどう生き直すかという切実な問いがある。自分の弱さ、依存、孤独、怒り、喪失、罪責感、希望、感謝、祈りを、音楽という形で引き受けようとする姿勢がある。だからこそ、コルトレーンの音楽は、音楽史の対象であると同時に、メンタルヘルスの深い教材にもなりうるのである。

人は苦しみを抱えたとき、しばしば二つの方向に揺れる。一つは、苦しみから逃げる方向である。考えないようにする、感じないようにする、忙しさで埋める、何かに依存する、怒りとして外にぶつける。もう一つは、苦しみに飲み込まれる方向である。自分はもう駄目だ、自分には価値がない、人生には意味がない、と苦しみそのものと自己を一体化させてしまう。メンタルヘルスの実践において大切なのは、この二つの極端から少しずつ離れ、苦しみを「自分を破壊するもの」としてではなく、「自分が向き合い、意味を見出し、変容させうるもの」として扱うことである。コルトレーンの音楽には、この変容のプロセスが刻まれている。彼は苦しみを否定しなかった。混乱を隠さなかった。怒りや切迫感を美しく取り繕わなかった。むしろ、それらを音へと変え、音の中で格闘し、その先に祈りを見出そうとしたのである。

第1章 ジョン・コルトレーンの人生──苦悩から祈りへ向かった音楽家
ジョン・ウィリアム・コルトレーンは、1926年、アメリカ南部ノースカロライナ州に生まれた。彼の人生を語るとき、まず見落としてはならないのは、少年期に深い喪失を経験していることである。家族の死、生活環境の変化、南部社会に根を張る人種差別、アフリカ系アメリカ人として生きることの緊張は、彼の内面形成に少なからぬ影を落としたと考えられる。もちろん、彼の音楽をすべて幼少期の喪失だけに還元することはできない。しかし、人間の心は、人生の早い時期に経験した喪失や不安を、長い時間をかけて別の形に変えていくことがある。ある人は言葉に変え、ある人は沈黙に変え、ある人は仕事に変え、ある人は宗教に変える。コルトレーンの場合、それは音であった。彼にとってサックスは、単なる楽器ではなく、自分の内面を探るための道具であり、言葉にならない感情を外へ出すための通路であり、人生の痛みを別の次元へ移し替えるための器であった。

コルトレーンが歩んだ音楽の道は、決して平坦ではない。若き日の彼は、ビバップ、ハードバップというジャズの激しい変革期の中で、チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピー、セロニアス・モンク、マイルス・デイヴィスらが切り開いた音楽的地平を吸収しながら、自分の音を探し続けた。ビバップとは、単にテンポが速く、複雑な音楽という意味ではない。それは、既成の娯楽音楽としてのジャズから離れ、演奏者の知性、反射神経、感性、個性を極限まで問う音楽であった。ビバップの世界では、演奏者は瞬時に和声を理解し、旋律を変形し、リズムの隙間に入り込み、自分自身の声を出さなければならない。これは、心理的に見れば、非常に高度な自己表現の訓練である。自分の感情をそのままぶつけるだけでは音楽にならない。かといって、理論だけでも生きた音にならない。感情、身体、知性、記憶、瞬間判断が一体となったとき、即興は初めて「その人自身の声」になるのである。

マイルス・デイヴィスとの共演は、コルトレーンの名前を広く知らしめる重要な転機であった。マイルスの音楽は、音数の少なさ、余白、冷静さ、緊張感を特徴としていた。一方、コルトレーンの音は、次第に音数を増し、思考と感情が一気に噴出するような密度を帯びていく。この対比は興味深い。マイルスが沈黙によって語る音楽家だとすれば、コルトレーンは沈黙を破り、その奥にあるものを掘り出そうとする音楽家であった。だが、両者に共通していたのは、音を単なる装飾として使わない姿勢である。音の一つひとつに意味があり、間にも意味があり、緊張にも意味がある。コルトレーンはこの時期、多くの現場で演奏しながら、自分の音を鍛え上げていった。しかし同時に、彼の人生には薬物依存という深刻な問題も存在していた。依存は、しばしば弱さや意志の問題として誤解されるが、実際には苦痛、孤独、自己否定、不安、環境要因、身体的反応が複雑に絡み合う。コルトレーンの回復を考えるとき、重要なのは、彼が単に悪習慣をやめたということではなく、人生の方向そのものを変えようとした点である。

1957年前後、コルトレーンは依存からの離脱と精神的覚醒を経験したとされる。この出来事は、彼の音楽を理解するうえで極めて重要である。回復とは、ただ症状が消えることではない。回復とは、自分が何に苦しんできたのかを認め、その苦しみをどう生き直すかを選び直すことである。コルトレーンにとって、その選び直しは音楽と切り離せなかった。彼は、より深く練習し、より厳しく自分を鍛え、より高い精神的次元を音楽に求めるようになった。これは単なる禁欲や努力ではない。彼にとって音楽は、自己浄化の道であり、祈りの形式であり、人生を再構成する行為であった。メンタルヘルスの観点からいえば、これは「意味形成」のプロセスである。人は苦しみを経験したとき、その苦しみが無意味なままであると、深い絶望に沈みやすい。しかし、その苦しみを何らかの形で意味へと変換できたとき、苦しみは人生を破壊するだけのものではなく、自己変容の契機にもなりうる。コルトレーンの音楽は、この意味形成の一つの巨大な実例である。

この時期以降のコルトレーンは、急速に音楽的探究を深めていく。《Giant Steps》に代表される高度な和声探究は、単なる技巧的挑戦ではなかった。それは、音楽の構造を極限まで押し広げ、変化の中に秩序を見出そうとする試みであった。複雑なコード進行の中を高速で進む《Giant Steps》は、まるで人生の難局を次々と通過していく精神の運動のように聴こえる。そこには、圧倒的な変化に翻弄されながらも、その中に道筋を見出そうとする意志がある。現代人が仕事、人間関係、社会不安、情報過多の中で自分を見失いそうになるとき、《Giant Steps》は、混乱を避けるのではなく、混乱の内部に構造を見つける音楽として響く。コルトレーンは、音楽的混沌の中で自分を失わないための知性と集中力を鍛えていたのである。

鑑賞リンク:John Coltrane《Giant Steps》
https://www.youtube.com/watch?v=KwIC6B_dvW4
この曲を聴くときは、最初から全体を理解しようとしなくてよい。まず冒頭の一分間だけ、音の速度、密度、変化の多さに対して、自分の身体がどう反応するかを観察してほしい。呼吸が速くなるのか、胸が少し緊張するのか、逆に集中が高まるのか。どの反応も間違いではない。《Giant Steps》は、混乱に飲み込まれるのではなく、混乱の中に構造を見出すための音楽体験として聴くことができる。

一方で、コルトレーンの音楽には、《Naima》のような深い静けさもある。《Naima》は、彼の抒情性、愛情、沈黙への感受性を示す作品である。激しい演奏だけを聴いていると、コルトレーンは常に何かを突破しようとする音楽家に見えるかもしれない。しかし、《Naima》には、突破ではなく滞在がある。何かを乗り越えるのではなく、ある感情のそばに静かにとどまる力がある。メンタルヘルスにおいて、この「とどまる力」は非常に重要である。人は悲しみや不安に出会うと、すぐにそれを解決しようとする。しかし、心の深い領域では、解決よりも先に「そこにいてよい」と感じられることが必要である。《Naima》は、心に対して「急がなくてよい」「言葉にしなくてよい」「ただここにいてよい」と語りかけるような音楽である。コルトレーンの音楽には、嵐のような即興と、祈るような静けさの両方がある。この両極を理解することが、彼をメンタルヘルスの文脈で聴く第一歩である。

やがてコルトレーンは、《My Favorite Things》において、よく知られた旋律をまったく新しい精神空間へと変容させた。この作品では、ソプラノ・サックスの響き、反復する旋律、モード的な展開が、聴き手を通常の歌の世界から、瞑想的でありながら高揚感のある音楽空間へ連れていく。ここで重要なのは、反復である。人間の心は、反復によって安心を得ることがある。呼吸法、読経、祈り、マントラ、歩行、茶道の所作、瞑想における注意の戻し方、その多くは反復を含んでいる。反復は単調さではない。反復は、心が戻る場所をつくる営みである。《My Favorite Things》では、同じ旋律が何度も戻ってくる。しかし、戻ってくるたびに、その意味は少しずつ変わっている。これは、人生の悩みにも似ている。同じ問題に何度も戻っているように見えても、私たちはまったく同じ場所に戻っているわけではない。経験が増え、視点が変わり、痛みの意味が変わる。コルトレーンの反復は、心が同じ場所に戻りながら、少しずつ別の次元へ移っていくことを教えてくれる。

鑑賞リンク:John Coltrane《My Favorite Things》
https://www.youtube.com/watch?v=kMCp20EcbLw
この曲を聴くときは、旋律が戻ってくるたびに、自分の心がどう変化しているかを観察してほしい。最初は親しみやすく聴こえるかもしれない。途中で長く感じるかもしれない。次第に、同じ旋律が祈りや瞑想のように響き始めるかもしれない。反復は、心を閉じ込めるものではなく、心が安心して変化するための足場にもなりうるのである。

そして、コルトレーンの精神的探求が最も強く結晶した作品が《A Love Supreme》である。この作品は、ジャズ史上の名盤であるだけでなく、ひとりの人間が自らの弱さ、回復、感謝、祈りを音楽として形にした記録である。ここで大切なのは、《A Love Supreme》を宗教的作品としてだけ見るのではなく、メンタルヘルスにおける「自己受容」と「自己超越」の作品として聴くことである。自己受容とは、自分の弱さや過去を否定せずに認めることである。自己超越とは、自分の苦しみを自分だけの閉じた問題として抱え込むのではなく、何かより大きな意味、他者、世界、祈り、使命へと開いていくことである。コルトレーンの音楽は、自己を掘り下げると同時に、自己を超えようとする。この二つが同時に存在するからこそ、彼の音楽は深いのである。内面へ深く潜る音楽でありながら、閉じた内省に終わらない。苦しみの底から、祈りが立ち上がるのである。

第2章 コルトレーンの音楽的特徴──シーツ・オブ・サウンド、モード、祈りの即興
コルトレーンの音楽的特徴を語るうえで、まずよく取り上げられる言葉が「シーツ・オブ・サウンド」である。これは、音の粒が一つひとつはっきり存在しながらも、全体として滝のように連続して流れ、まるで音の布や音の壁が広がっていくように聴こえる演奏様式を指す。初心者には、音数が多く、速く、圧倒的に感じられるかもしれない。しかし、このシーツ・オブ・サウンドは、単なる速弾きではない。そこには、感情と思考が一気に噴出するような切迫感がある。人間の心は、ときに一つの感情だけでは語れない。悲しみの中に怒りがあり、怒りの中に恐れがあり、恐れの中に希望があり、希望の中に罪責感がある。コルトレーンの高速で密度の高いフレーズは、この複雑な内面の重なりを音として表しているように聴こえる。メンタルヘルスの観点から見ると、それは「心の中で同時に起きている多層的な感情」を外在化する音楽である。

《Countdown》は、その極限的な集中を感じるうえで重要な作品である。《Giant Steps》と同じく高度な和声構造を持ち、短い時間の中に驚くほど多くの音楽的情報が詰め込まれている。この曲を聴くと、最初は心が追いつかないように感じるかもしれない。しかし、聴き方を変えると、この圧倒感は、現代人の思考の過密さを映す鏡にもなる。仕事の締切、家庭の責任、社会の変化、情報の洪水、人間関係の緊張、それらが一度に押し寄せるとき、心は《Countdown》のように高速で動き続ける。重要なのは、その速さを単に悪いものとして否定することではない。速さの中にある秩序を感じることである。コルトレーンは混乱しているのではない。極度に集中しているのである。この違いは大きい。メンタルヘルスにおいても、私たちはしばしば、心の忙しさをすべて不調と見なしてしまう。しかし、ときにはその忙しさの中に、自分が何を恐れ、何を求め、何を解決しようとしているのかが現れている。音楽を聴くことは、その内的速度を観察する手がかりになる。

鑑賞リンク:John Coltrane《Countdown》
https://www.youtube.com/watch?v=HKRbZSxkmJM
この曲を聴くときは、全体を追いかけようとせず、音の流れに対して自分の心がどう反応するかを見てほしい。圧倒されるなら、圧倒されてよい。途中で少し息苦しくなるなら、それも重要な反応である。音楽を止めてもよい。メンタルヘルスの実践として大切なのは、音楽に耐えることではなく、音楽を通して自分の状態を知ることである。

次に重要なのが、モード・ジャズである。モードとは、簡単に言えば、複雑に動き続けるコード進行よりも、特定の音階や響きの場を重視する考え方である。コードが次々と変わる音楽では、演奏者は常に次の和音へ対応しなければならない。一方、モード的な音楽では、比較的広い響きの場の中で、音の色、反復、間、方向性を深めることができる。これは、心理的には非常に興味深い。複雑な状況に次々と反応するのではなく、一つの場にとどまり、その場の中で自分の内面を深く探っていく。これは瞑想に近い態度である。呼吸に戻る、身体感覚に戻る、音に戻る、今ここに戻る。コルトレーンのモード的な演奏には、この「戻る場所」がある。だからこそ、《My Favorite Things》や《Impressions》は、長く展開しても、単なる長尺演奏ではなく、精神の探索として聴こえるのである。

《Impressions》は、コルトレーンのモード的探究を理解するうえで欠かせない作品である。この曲には推進力があり、反復性があり、広い空間がある。コード進行の複雑さよりも、響きの場の中でどれだけ自由に、深く、強く語れるかが問われている。メンタルヘルスの観点から見ると、《Impressions》は「自由」と「枠組み」の関係を教えてくれる。完全な自由は、しばしば人を不安にする。何をしてもよいと言われると、かえって何をすればよいかわからなくなる。一方、枠組みが強すぎると、人は息苦しくなる。コルトレーンの即興には、枠組みと自由の絶妙な緊張がある。一定の音楽的場があり、その中で彼はどこまでも飛翔する。これは、心の健康にも通じる。人間には、安全な枠組みが必要である。しかし、その枠組みの中で自分らしく動ける自由も必要である。コルトレーンの即興は、その両方を音楽として示している。

鑑賞リンク:John Coltrane《Impressions》
https://www.youtube.com/watch?v=NACtkYkOHOA
この曲を聴くときは、細部の音をすべて追う必要はない。むしろ、全体の推進力、反復する感覚、広がっていく空間を感じてほしい。自分の心が前へ押し出されるのか、身体がリズムに乗るのか、あるいは少し緊張するのかを観察する。《Impressions》は、自由とは無秩序ではなく、一定の場の中で深まる運動であることを教えてくれる。

コルトレーンの即興は、単なる技巧の誇示ではない。即興とは、その場で思いつきの音を出すことではなく、長年の訓練、記憶、身体化された技術、感情、集中、応答力が一瞬に凝縮される行為である。即興には、過去と現在が同時に存在する。過去に練習したフレーズ、聴いてきた音楽、経験してきた痛み、身体に染み込んだリズムが、現在の一瞬の判断の中で音になる。これは、心理療法における自己表現にも似ている。人は語りながら、自分が何を感じていたのかに気づくことがある。話す前からすべてわかっているのではない。語ることで、初めて自分の内面が形をとる。コルトレーンもまた、吹くことで自分の内面を発見していたのではないか。彼の即興は、完成された答えの提示ではなく、問いながら進む音楽である。だからこそ、聴き手もまた、彼の音を通して自分自身に問い始めるのである。

さらに、コルトレーンの音楽には「祈りの即興」と呼びたくなる性質がある。祈りとは、必ずしも特定の宗教形式だけを意味しない。ここでいう祈りとは、自分の力だけでは抱えきれないものを前にして、それでも何かに向かって心を開く行為である。悲しみが深すぎるとき、人は言葉を失う。怒りが強すぎるとき、人は破壊的になりやすい。孤独が深すぎるとき、人は自分の存在そのものを疑う。祈りとは、そのような限界の場所で生まれる。コルトレーンの音楽は、しばしばこの限界の場所から鳴っているように聴こえる。彼は音楽によって、答えを出そうとしているのではない。むしろ、答えの出ない問いを、音の中で持ちこたえようとしている。これは、メンタルヘルスにおいて非常に重要な態度である。すべての苦しみに即答はない。すぐに解決できない痛みもある。そのとき必要なのは、答えではなく、問いを抱え続ける力である。コルトレーンの音楽は、その力を聴き手に伝えてくる。

第3章 メンタルヘルスとは何か──「心を病まないこと」から「心を生き直す力」へ
ここで改めて、本連載におけるメンタルヘルスの意味を整理しておきたい。メンタルヘルスとは、単に精神疾患がない状態を意味するのではない。もちろん、うつ病、不安障害、依存症、トラウマ関連症状、睡眠障害などの予防や治療は重要である。しかし、それだけではメンタルヘルスの全体像を捉えることはできない。人間の心の健康とは、悲しまないことではなく、悲しみを感じながらも生きていけることである。不安がないことではなく、不安に飲み込まれずに自分を支えられることである。怒りがないことではなく、怒りの意味を理解し、破壊ではなく表現へと変えられることである。孤独がないことではなく、孤独の中で自分自身の声を聴き、必要なつながりを求められることである。つまり、メンタルヘルスとは、心を「問題のない状態」に固定することではなく、人生の揺れの中で自分を見失わず、何度でも生き直していく力なのである。

この観点から見ると、コルトレーンの音楽は、快適なリラクゼーション音楽とは異なる意味を持つ。もちろん、リラクゼーション音楽には価値がある。心拍を落ち着かせ、呼吸を深め、安心感をもたらす音楽は、多くの人にとって有益である。しかし、コルトレーンの音楽は、常に穏やかで心地よいわけではない。むしろ、ときに不安を呼び起こし、ときに胸をざわつかせ、ときに心の奥にある未整理の感情を表面化させる。では、それはメンタルヘルスに悪いのか。必ずしもそうではない。心の回復には、落ち着くことだけでなく、感じること、気づくこと、表現すること、意味づけることが必要である。コルトレーンの音楽は、この「感じる」「気づく」「表現する」「意味づける」というプロセスを促す可能性がある。だからこそ、彼の音楽は、単なる癒しではなく、心の再編成を支える音楽として聴くことができる。

メンタルヘルス実践において、最初に重要なのは「気づき」である。自分はいま何を感じているのか。悲しいのか、怒っているのか、不安なのか、疲れているのか、何も感じないのか。多くの人は、自分の感情を十分に感じる前に、行動してしまう。怒りを言葉でぶつける。不安を仕事で埋める。寂しさをスマートフォンで紛らわせる。疲労を無視して頑張り続ける。しかし、感情は無視されると消えるのではなく、形を変えて戻ってくる。身体症状、睡眠不調、人間関係の摩擦、集中力低下、慢性的な空虚感として現れることもある。音楽鑑賞は、この感情への気づきを助ける。ある曲を聴いて涙が出るなら、そこにはまだ語られていない悲しみがあるのかもしれない。ある音に苛立つなら、自分の中に抑え込んだ怒りがあるのかもしれない。ある沈黙に安心するなら、日常に余白が足りていないのかもしれない。コルトレーンの音楽は、このような内面の反応を引き出す力を持っている。

次に重要なのは「感情調整」である。感情調整とは、感情を消すことではない。感情に飲み込まれすぎず、かといって押し殺しすぎず、自分の中で扱える形にしていくことである。音楽は、感情調整に深く関与する。リズムは身体を動かし、呼吸に影響を与える。旋律は記憶を呼び起こす。音色は安心感や緊張感を生む。反復は心に足場を与え、即興は感情の流れを外に出す。コルトレーンの音楽には、これらの要素が濃密に含まれている。《Naima》の静けさは、過敏になった心を落ち着かせる可能性がある。《My Favorite Things》の反復は、不安の中に戻る場所をつくる。《Giant Steps》の構造は、混乱の中にも秩序があることを感じさせる。《A Love Supreme》は、自分の限界を認め、そこから祈りへ向かう道を示す。こうした聴き方をすると、コルトレーンの音楽は、単なる鑑賞対象ではなく、感情調整のための豊かな素材となる。

さらに重要なのは「意味形成」である。人間は、苦しみそのものだけでなく、苦しみに意味を見出せないことによって深く傷つく。なぜ自分がこんな経験をしなければならないのか。なぜ大切な人を失ったのか。なぜ努力が報われなかったのか。なぜ自分は同じ失敗を繰り返すのか。このような問いには、簡単な答えはない。しかし、人はその問いを抱えながら、少しずつ自分なりの意味をつくっていくことができる。コルトレーンの人生は、その意味形成の物語でもある。彼は依存や苦悩を単なる失敗として終わらせなかった。それを音楽的探求、精神的覚醒、祈りの表現へと変えていった。もちろん、誰もがコルトレーンのように音楽を生み出せるわけではない。しかし、誰もが自分の苦しみに何らかの意味を見出し、それを人生の一部として組み直すことはできる。音楽を聴くことは、そのための静かな入口になりうる。

ここで注意すべきことは、音楽を万能薬のように扱わないことである。コルトレーンの音楽は深い力を持つが、医療や心理療法の代替ではない。重い抑うつ、強い不安、トラウマ反応、依存症、自傷リスク、希死念慮がある場合には、専門家の支援が必要である。音楽は、適切な支援と組み合わせることで大きな助けとなるが、すべてを音楽だけで解決しようとするのは危険である。また、音楽には相性がある。ある人にとって救いになる曲が、別の人にとっては負担になることもある。特にコルトレーンの後期作品のように強度の高い音楽は、聴く人の状態によっては不安や混乱を強める可能性がある。したがって、本連載で提案する聴き方の基本は、「自分の心を観察しながら、無理をしないこと」である。途中で止めてもよい。音量を下げてもよい。短く聴いてもよい。今の自分には合わないと感じたら、別の曲を選べばよい。メンタルヘルスにおける音楽活用は、音楽に従うことではなく、自分の心に誠実であることから始まる。

コルトレーンの音楽が現代人に示しているのは、心の健康とは「整っていること」だけではないという真実である。心は乱れる。人生は揺れる。悲しみは来る。怒りも生まれる。不安も消えない。だが、それらをすべて排除しようとするのではなく、その揺れの中で自分を見失わない力を育てることが、メンタルヘルスの本質である。コルトレーンの音楽は、混沌から始まり、構造を探し、反復の中で深まり、沈黙に触れ、祈りへ向かう。この運動は、心の回復の運動と重なる。人は混乱から出発してよい。言葉にならないところから始めてよい。祈れないところから祈りへ向かってよい。コルトレーンのサックスは、その道を音で示しているのである。

第2回のまとめ
第2回では、ジョン・コルトレーンを、単なるジャズの巨人としてではなく、苦悩を音へ、音を祈りへと変えた音楽家として捉えた。彼の人生には、喪失、依存、回復、精神的覚醒、音楽的探究がある。彼の音楽には、シーツ・オブ・サウンドのような圧倒的な音の奔流、モード・ジャズの広い精神空間、そして祈りとしての即興がある。さらに、メンタルヘルスとは、単に心を病まないことではなく、悲しみ、不安、怒り、孤独を抱えながらも、自分の人生を何度でも生き直していく力であることを確認した。コルトレーンの音楽は、この意味で、現代人の心に深く響く。彼の音楽は、苦しみを消し去る音楽ではない。苦しみを音に変え、その音を通して、心がもう一度自分自身と出会うための音楽なのである。

次回は、《Giant Steps》《Naima》《My Favorite Things》を中心に、コルトレーンの名演が私たちの心にどのように働きかけるのかを考察する。《Giant Steps》は混乱の中に構造を見出す音楽であり、《Naima》は静けさと余白によって心を包み込む音楽である。そして《My Favorite Things》は、反復によって不安を落ち着かせ、同じ旋律が異なる意味を帯びて戻ってくる体験を与える。第3回では、コルトレーンの代表曲を、心を整えるための具体的な鑑賞法として読み解いていく。

参考文献・関連資料 第2回読者向けセレクト
本稿の理解を深めるために、以下の文献を参考資料として挙げておく。第2回では、ジョン・コルトレーンの人生、音楽的変容、即興、そして苦悩から祈りへ向かう精神的プロセスを中心に扱ったため、コルトレーン研究とジャズ即興論を中心に選定した。

アシュリー・カーン『ジョン・コルトレーン「至上の愛」の真実[新装改訂版]──スピリチュアルな音楽の創作過程』川嶋文丸訳、DU BOOKS。
《A Love Supreme》を理解するための重要文献である。コルトレーンの精神性、録音背景、創作過程を知るうえで、本連載全体の中核となる一冊である。

Lewis Porter, John Coltrane: His Life and Music, University of Michigan Press.
コルトレーン研究の基本文献である。生涯、音楽的発展、演奏分析が体系的に整理されており、コルトレーンを深く理解したい読者にとって重要である。

Ben Ratliff, Coltrane: The Story of a Sound, Farrar, Straus and Giroux.
コルトレーンの「音」がどのように形成され、どのように受け止められてきたのかを考えるうえで示唆に富む文献である。

  1. C. Thomas, Chasin’ the Trane: The Music and Mystique of John Coltrane, Doubleday。
    コルトレーンの人間像、神秘性、周囲の証言を通して、彼がどのように「求道者」として受け止められてきたかを知ることができる。

Paul F. Berliner, Thinking in Jazz: The Infinite Art of Improvisation, University of Chicago Press。
ジャズ即興とは何かを深く理解するための代表的文献である。即興を単なる思いつきではなく、訓練、記憶、身体性、対話の総合として理解する助けになる。

Ingrid Monson, Saying Something: Jazz Improvisation and Interaction, University of Chicago Press。
ジャズにおける相互作用、応答、即興の意味を考えるうえで重要な文献である。コルトレーンの演奏を、個人の表現だけでなく、共演者との対話として聴く視点を与えてくれる。

ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧 新版』池田香代子訳、みすず書房。
苦難の中で意味を見出すという観点から、コルトレーンの音楽を「苦しみを祈りへ変える営み」として理解するうえで参考になる。

ジョン・カバットジン『マインドフルネスストレス低減法』春木豊訳、北大路書房。
音楽を聴きながら、身体感覚、呼吸、感情に気づく実践を考えるうえで参考になる。コルトレーンの音楽を音楽的マインドフルネスとして聴く際の基礎になる。

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投稿者プロフィール

市村 修一
市村 修一
【略 歴】
茨城県生まれ。
明治大学政治経済学部卒業。日米欧の企業、主に外資系企業でCFO、代表取締役社長を経験し、経営全般、経営戦略策定、人事、組織開発に深く関わる。その経験を活かし、激動の時代に卓越した人財の育成、組織開発の必要性が急務と痛感し独立。「挑戦・創造・変革」をキーワードに、日本企業、外資系企業と、幅広く人財・組織開発コンサルタントとして、特に、上級管理職育成、経営戦略策定、組織開発などの分野で研修、コンサルティング、講演活動等で活躍を経て、世界の人々のこころの支援を多言語多文化で行うグローバルスタートアップとして事業展開を目指す決意をする。

【背景】
2005年11月、 約10年連れ添った最愛の妻をがんで5年間の闘病の後亡くす。
翌年、伴侶との死別自助グループ「Good Grief Network」を共同設立。個別・グループ・グリーフカウンセリングを行う。映像を使用した自助カウンセリングを取り入れる。大きな成果を残し、それぞれの死別体験者は、新たな人生を歩み出す。
長年実践研究を妻とともにしてきた「いきるとは?」「人間学」「メンタルレジリエンス」「メンタルヘルス」「グリーフケア」をさらに学際的に実践研究を推し進め、多数の素晴らしい成果が生まれてきた。私自身がグローバルビジネスの世界で様々な体験をする中で思いを強くした社会課題解決の人生を賭ける決意をする。

株式会社レジクスレイ(Resixley Incorporated)を設立、創業者兼CEO
事業成長アクセラレーター

【専門領域】
・レジリエンス(精神的回復力) ・グリーフケア ・異文化理解 ・グローバル人財育成 
・東洋哲学・思想(人間学、経営哲学、経営戦略) ・組織文化・風土改革  ・人材・組織開発、キャリア開発
・イノベーション・グローバル・エコシステム形成支援

【主な著書/論文/プレス発表】
「グローバルビジネスパーソンのためのメンタルヘルスガイド」kindle版
「喪失の先にある共感: 異文化と紡ぐ癒しの物語」kindle版
「実践!情報・メディアリテラシー: Essential Skills for the Global Era」kindle版
「こころと共感の力: つながる時代を前向きに生きる知恵」kindle版
「未来を拓く英語習得革命: AIと異文化理解の新たな挑戦」kindle版
「グローバルビジネス成功の第一歩: 基礎から実践まで」Kindle版
「仕事と脳力開発-挫折また挫折そして希望へ-」(城野経済研究所)
「英語教育と脳力開発-受験直前一ヶ月前の戦略・戦術」(城野経済研究所)
「国際派就職ガイド」(三修社)
「セミナーニュース(私立幼稚園を支援する)」(日本経営教育研究所)

【主な研修実績】
・グローバルビジネスコミュニケーションスキルアップ ・リーダーシップ ・コーチング
・ファシリテーション ・ディベート ・プレゼンテーション ・問題解決
・グローバルキャリアモデル構築と実践 ・キャリア・デザインセミナー
・創造性開発 ・情報収集分析 ・プロジェクトマネジメント研修他
※上記、いずれもファシリテーション型ワークショップを基本に実施

【主なコンサルティング実績】
年次経営計画の作成。コスト削減計画作成・実施。適正在庫水準のコントロール・指導を遂行。人事総務部門では、インセンティブプログラムの開発・実施、人事評価システムの考案。リストラクチャリングの実施。サプライチェーン部門では、そのプロセス及びコスト構造の改善。ERPの導入に際しては、プロジェクトリーダーを務め、導入期限内にその導入。組織全般の企業風土・文化の改革を行う。

【主な講演実績】
産業構造変革時代に求められる人材
外資系企業で働くということ
外資系企業へのアプローチ
異文化理解力
経営の志
商いは感動だ!
品質は、タダで手に入る
利益は、タダで手に入る
共生の時代を創る-点から面へ、そして主流へ
幸せのコミュニケーション
古典に学ぶ人生
古典に学ぶ経営
論語と経営
論語と人生
安岡正篤先生から学んだこと
素読のすすめ
経営の突破口は儒学にあり
実践行動学として儒学に学ぶ!~今ここに美しく生きるために~
何のためにいきるのか~一人の女性の死を見つめて~
縁により縁に生きる
縁に生かされて~人は生きているのではなく生かされているのだ!~
看取ることによって手渡されるいのちのバトン
など
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