心の荒海にショパン《大洋》が響くとき──不安、喪失、抑うつを越えて生きる力を取り戻す音楽の実践 第6部

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心の荒海にショパン《大洋》が響くとき
──不安、喪失、抑うつを越えて生きる力を取り戻す音楽の実践 第6部

本ブログは、8部構成で展開する。今回は、第6部である。

第18章 演奏によって《大洋》の心理的作用はどう変わるか

《大洋》という作品の力は、楽譜そのものに深く刻まれている。しかし同時に、その力は演奏によって大きく姿を変える。これはクラシック音楽一般に言えることであるが、《大洋》のように推進力、波動、緊張、陰影の幅が大きい作品では、演奏解釈の違いが聴き手の心理反応に直接的な差を生みやすい。実際、IMSLPで公開されている版でも Op.25-12 は《Ocean》として扱われ、広い分散和音の連続と大きな弧を描くフレージングが視覚的にも確認できるが、その同じ楽譜から、切迫感の強い演奏、構造の明晰な演奏、祈りに近い陰影を持つ演奏まで、多様な解釈が立ち上がりうる。つまり《大洋》は、固定された一つの感情を伝える作品ではなく、演奏者のテンポ観、ダイナミクス、レガートの質、全体構成の捉え方によって、聴き手に与える心理的意味がかなり変わる作品なのである。 

まず、テンポの違いがもたらす心理作用は非常に大きい。ショパンのエチュードは一般に技巧作品として速さが強調されやすいが、《大洋》において重要なのは単なる速度ではなく、「波がどう進むか」である。速めのテンポで演奏されると、聴き手は切迫感、避けがたさ、圧力、内面の焦燥を強く感じやすい。これは不安や追い詰められた心理状態にある人にとって、自分の内側の止まらなさをそのまま映し出す鏡となりうる。一方で、やや重心を置いたテンポでは、単なる焦燥よりも、巨大な海のうねり、宿命性、悲劇性、そして持続する耐久の感覚が前景化しやすい。この場合、聴き手は「追われる」よりも「大きな波の中にいる」と感じやすくなり、グリーフや深い疲弊との共鳴が強まることがある。つまりテンポは、同じ《大洋》を「焦燥の音楽」にも「持続の音楽」にも変えうるのである。楽譜上でもこの曲は分散和音の流れを広い弧で保つよう書かれており、どこまで前へ急ぐか、どこまで大きな波として呼吸させるかで、心理的印象は大きく変化する。 

次に、ダイナミクス、すなわち強弱の設計も、心理的作用を大きく左右する。《大洋》の楽譜には、単に大音量で押し切るのではなく、cresc.、poco、forte、possibile など、波の膨張と収縮を示唆する指示が視認できる。もし演奏者が全体を均質に強く押し続ければ、聴き手は圧倒や興奮は感じても、内面の陰影や呼吸の余地を感じにくくなる。反対に、ダイナミクスの起伏が丁寧に設計された演奏では、波が押し寄せるだけでなく、引く瞬間、たわむ瞬間、再び高まる瞬間が明確になり、聴き手は感情の動きをより立体的に体験できる。メンタルヘルスの観点から言えば、これは非常に重要である。なぜなら、感情の苦しさはしばしば「ずっと同じ強さで続く」と感じられるが、実際には微細な濃淡があるからである。強弱を豊かに設計した演奏は、聴き手に「波には満ち引きがある」という感覚を与えやすい。これは感情調整やグリーフの理解において、大きな意味を持つ。 

レガートの質もまた、《大洋》の心理的意味を変える重要な要素である。分散和音が単に粒立っているだけなのか、それとも一つの大きなうねりとしてつながって聴こえるのかによって、作品の印象は大きく変わる。レガートが深く保たれた演奏では、音と音の間が切れず、聴き手は海の連続したうねりや感情の持続を強く感じやすい。これは、悲しみや喪失感、不安の持続性と共鳴しやすい。一方で、音の輪郭が立ち、分散和音の各音が比較的明晰に響く演奏では、構造感、意志、突破力、身体運動の明快さが際立つ。その場合、《大洋》は「感情に呑まれる音楽」ではなく、「感情を駆動力へ変える音楽」として聴こえやすくなる。私はこの違いが、聴き手のその日の心身状態によって非常に大きな意味を持つと考える。たとえば深い悲しみの中では、連続するレガートの波が自分の感情を代弁してくれるかもしれないし、停滞や無力感が強いときには、輪郭の立つ演奏のほうが前進するエネルギーを感じさせるかもしれない。楽譜に見える長いスラーや持続的なアーチは、このレガート設計の解釈余地を大きく支えている。 

演奏者がどの程度「海」として弾くか、どの程度「構築物」として弾くかによっても、聴き手の受ける心理作用は変わる。《大洋》の通称は後世のものであり、IMSLPでも第12番が “Ocean” と記載されているが、だからといって必ずしも描写的に弾く必要はない。ある演奏者はこの作品を自然現象のような巨大な波として扱い、ある演奏者はむしろ和声と形式の明晰さを前面に出して、構造の壮大さを聴かせる。前者では聴き手は感情の海に包まれる感覚を得やすく、後者では感情を抱えながらも秩序の中にある安心感を受け取りやすい。メンタルヘルスの実践という観点では、この両方に価値がある。自分の中の荒海をそのまま感じたい日には、海的・波動的解釈が深く響くだろう。逆に、自分の感情を整理しきれず困っている日には、構築性の高い演奏のほうが「ここには形がある」という救いになることがある。 

演奏解釈の違いを体感するには、少なくとも二つの録音を並べて聴くのが有効である。ひとつは構造感と均衡の見えやすい公式音源、もうひとつは舞台上の緊張感と身体性が強く伝わるライブ映像である。両者を続けて聴くと、同じ《大洋》が「持続の音楽」にも「切迫の音楽」にもなりうることがよく分かる。
比較鑑賞リンクA:Maurizio Pollini – Chopin: Études, Op. 25, No. 12 in C Minor “Ocean”
比較鑑賞リンクB:Szymon Nehring – Etude in C minor, Op. 25 No. 12

中間部や陰影の扱い方も重要である。《大洋》は、全編が同じ熱量で突き進む作品ではない。楽譜上にも poco や cresc. などの表情変化があり、和声的にも色合いの変化が現れる。ここを単なる通過点として処理する演奏では、《大洋》は一枚岩の激情として聴こえやすい。しかし中間の陰影を丁寧に描く演奏では、聴き手は単なる激しさではなく、その背後にある揺らぎ、ためらい、暗い反射、あるいは祈りのような質感を感じることができる。こうした演奏は、特にグリーフや抑うつに関わる聴き方に向いている場合がある。なぜなら、苦しみはいつも同じ質ではなく、その奥には沈黙や空白や名づけがたい影があるからである。《大洋》の中間部をどう扱うかは、その作品を「怒涛の技巧曲」として終わらせるか、「複雑な心の海」として開くかの分かれ目になりうる。 

終結部の扱いもまた、聴き手の心理的着地を左右する。終わりに向かうエネルギーを一気に収束させ、勝ち取るように閉じる演奏では、《大洋》は突破や勝利や意志の音楽として聴こえやすい。これは、停滞感の中にある人、燃え尽きから再起の感覚を求める人にとって、強い自己効力感のきっかけになる場合がある。反対に、終結の中になお陰りや重みを残す演奏では、この作品は「乗り越えた」というより「抱えたまま閉じる」音楽として響きやすい。その場合、聴き手は安易な解決ではなく、痛みを含んだ成熟や、完全には消えない感情との共存を感じやすい。私は、どちらが優れているというより、その日の聴き手にとってどちらの終わり方が必要かが重要だと考える。完全なカタルシスがほしい日もあれば、消えない喪失とともに静かに終わりたい日もある。《大洋》は演奏によって、その両方を生みうる作品なのである。 

演奏者の世界観そのものも、聴き手の反応に大きく影響する。ある演奏者は《大洋》の中に英雄性を見るかもしれない。別の演奏者は、自然の脅威を見るかもしれない。さらに別の演奏者は、孤独な抵抗や、痛みを抱えた意志を見るかもしれない。聴き手は、単に音符を聴いているのではなく、その演奏者がこの作品をどう生きているかをも聴いている。だからこそ、同じ《大洋》でも「奮い立たされた」と感じる演奏もあれば、「深く悲しくなった」と感じる演奏もありうる。ここには演奏解釈の多義性だけでなく、聴取体験の多義性もある。私はこの点を、メンタルヘルス実践において非常に大切だと考える。なぜなら、ある一つの録音だけで《大洋》を決めつけるのではなく、複数の解釈に触れることで、自分がいま何を必要としているのかが逆に見えやすくなるからである。

実践的には、「自分に合う演奏」を探すことがきわめて重要である。テンポが速すぎるとただ不安が高まる人もいれば、その速度感こそが自分の焦燥を代弁してくれる人もいる。構造が明晰な演奏でようやく安心できる人もいれば、もっと大きくうねる演奏のほうが感情に届く人もいる。これは好みの問題であると同時に、心身状態の問題でもある。同じ人でも、ある日は厳格で引き締まった演奏を必要とし、別の日にはより歌わせた演奏を必要とすることがある。したがって、《大洋》をメンタルヘルス実践に生かすなら、「この作品の正解演奏」を探すより、「いまの自分にとって、どの演奏がどのように作用するか」を見ていく姿勢のほうがはるかに有益である。これは楽曲理解としても、セルフケアとしても成熟した態度である。

ここで、楽譜に立ち返ることの意義もある。先に見たIMSLPの版では、長いスラー、大きな分散和音、強弱記号や cresc.、poco、possibile などの指示が、演奏者に対して「単なる超絶技巧」ではなく、「大きな弧を持つ運動」としてこの作品を考えるよう促しているように見える。もちろん版によって細部は異なり、校訂の問題もあるが、少なくとも《大洋》がただ乱暴に押し切る作品ではなく、広いフレーズの呼吸と大きな構成感を必要とすることは、視覚的にもかなり明確である。つまり、どの演奏解釈であっても、この作品の本質には「巨大な流れをどう保つか」という問題がある。そしてこの流れの質が、そのまま聴き手の心理作用へ転じるのである。 

第18章で確認したかった核心は明確である。《大洋》の心理的作用は、作品固有の構造に支えられながらも、演奏解釈によって大きく変化する。テンポは焦燥にも持続にもなり、ダイナミクスは圧倒にも呼吸にもなり、レガートの質は感情の連続にも意志の明晰さにもなりうる。中間部の陰影や終結の処理によっても、聴き手が受け取る《大洋》は、突破の音楽にも、悲しみを抱えた音楽にも変わる。だからこそ、この作品をメンタルヘルス実践に生かすためには、「どの演奏が一般に名演か」だけではなく、「いまの自分にとって、この演奏はどのような波を起こすのか」を丁寧に見ていくことが重要なのである。 

このように、《大洋》の心理的作用は、作品そのものの構造によって支えられながらも、演奏解釈によって大きく姿を変える。だからこそ、この作品を深く理解するためには、一つの録音だけで結論づけるのではなく、複数の演奏を聴き比べ、自分がどの波にどう反応するのかを見ていくことが重要になる。次章では、《大洋》を実際にどのように聴き比べればよいのか、比較鑑賞の視点から具体的に考えていく。

次章では、この演奏解釈の違いを踏まえ、実際に本文へどう演奏リンクを組み込み、比較鑑賞の視点をどのように置くと読者にとって有益かを整理していく。第19章では、演奏リンク挿入予定章として、比較鑑賞の設計とリンク配置の考え方を論じる。

第19章 《大洋》をどう聴き比べるか──比較鑑賞のすすめ

《大洋》という作品の魅力は、一つの名演を見つけて終わるものではない。むしろこの作品は、演奏によって波の質が大きく変わるからこそ、聴き比べることで初めて見えてくる側面が多い。ある演奏では、荒海のような切迫感が前面に出る。別の演奏では、巨大な波の奥にある秩序や構造が際立つ。さらに別の演奏では、悲しみや祈りに近い陰影が強く感じられる。この違いを知ることは、単に解釈の幅を楽しむためだけではない。読者自身が、いまの自分にどのような《大洋》が必要なのかを知るためでもある。本稿でここまで繰り返し述べてきたように、《大洋》は固定された一つの意味を持つ作品ではない。それは、聴く者の人生、心身状態、喪失経験、疲労の度合い、そして演奏者の解釈によって、何度でも異なる顔を見せる音楽なのである。

《大洋》という作品の魅力は、一つの名演を見つけて終わるものではない。むしろこの作品は、演奏によって波の質が大きく変わるからこそ、聴き比べることで初めて見えてくる側面が多い。ある演奏では、荒海のような切迫感が前面に出る。別の演奏では、巨大な波の奥にある秩序や構造が際立つ。さらに別の演奏では、悲しみや祈りに近い陰影が強く感じられる。この違いを知ることは、単に解釈の幅を楽しむためだけではない。読者自身が、いまの自分にどのような《大洋》が必要なのかを知るためでもある。本稿でここまで繰り返し述べてきたように、《大洋》は固定された一つの意味を持つ作品ではない。それは、聴く者の人生、心身状態、喪失経験、疲労の度合い、そして演奏者の解釈によって、何度でも異なる顔を見せる音楽なのである。

比較鑑賞が重要なのは、《大洋》という作品そのものが、もともと多義的だからである。この曲は、単なる超絶技巧の見せ場としても聴こえうるし、感情の荒波を表す音楽としても聴こえうるし、巨大な自然のような運動としても、あるいは深い内面の持続としても聴こえうる。もし一つの演奏だけを聴いてしまうと、その解釈があたかも作品全体の真実であるかのように感じられやすい。しかし実際には、同じ楽譜から生まれる音楽の姿は驚くほど幅広い。だからこそ、《大洋》を本当に深く味わうためには、「どの演奏が一番正しいか」を探すのではなく、「この作品がどれほど多くの心理的風景を開きうるのか」を聴き取る必要があるのである。

比較鑑賞の第一の意義は、演奏によって自分の感情の動きがどう変わるかを知ることにある。たとえば、推進力が強く、緊張の高い演奏を聴いたときには、自分の中の焦燥や圧迫感がそのまま音楽に映し出されたように感じることがある。胸が苦しくなったり、息が速くなったり、「まさに今の自分はこうだ」と思わされることもあるであろう。一方で、構造が明瞭で、全体の流れを大きく保った演奏を聴くと、同じ《大洋》でありながら、感情そのものより「その感情を抱えてなお崩れない形」に耳が向くことがある。その場合、聴き手は圧倒されるだけでなく、「ここには秩序がある」「この波には流れがある」と感じやすくなる。つまり比較鑑賞とは、演奏の違いを知る行為であると同時に、自分の心が何に反応しやすいかを知る行為でもあるのである。

比較鑑賞リンクA:Maurizio Pollini – Chopin: Études, Op. 25, No. 12 in C Minor “Ocean”
比較鑑賞リンクB:Szymon Nehring – Etude in C minor, Op. 25 No. 12

第二の意義は、《大洋》を“感情だけの音楽”としてではなく、“構造を持った音楽”として聴けるようになることである。多くの人は、強い演奏に触れると、まず感情的に引き込まれる。これは自然なことであり、むしろ《大洋》の力の一つでもある。しかし、別の演奏を重ねて聴くと、その感情の奔流の背後に、作品全体を支える構造があることが見えてくる。ある演奏では波の大きさが際立ち、別の演奏ではその波がどのような弧を描いて進んでいるかが見えてくる。こうして複数の解釈に触れていくと、《大洋》は単なる激情の噴出ではなく、大きな感情を破綻させずに保持するための器を持った作品であることが、よりはっきり感じられるようになる。これは、本稿が繰り返し論じてきた「回復には感情の大きさを受け止める器が必要である」という主題とも深く結びついている。

比較鑑賞の第三の意義は、自分に必要な《大洋》を見つけられるようになることである。ある日には、切迫感の強い演奏が必要かもしれない。自分の中にたまった怒りや焦燥や悲しみを、同じ大きさで鳴らしてくれる演奏がなければ届かない日がある。反対に、別の日には、あまりに強い圧力にこれ以上さらされたくなく、もっと全体を大きく包み込むような演奏のほうが受け止めやすいこともある。つまり、どの演奏がよいかは固定されない。その日の自分が何を必要としているかによって変わるのである。このことに気づくと、比較鑑賞は単なる音楽趣味の深化ではなく、セルフケアの精度を高める実践へと変わる。自分はいま、感情の代弁を求めているのか、構造による支えを求めているのか、あるいは悲しみの陰影を求めているのか。それを知るうえで、複数の《大洋》を聴くことは大きな助けになる。

では、実際にどのように聴き比べればよいのか。最も単純で有効なのは、二つの演奏を続けて聴き、自分がどこで最も強く反応したかを比べる方法である。最初の演奏を通して聴いたあと、「どこが最もしんどかったか」「どこで息が止まったか」「どこに一番引き込まれたか」を簡単にメモしておく。そして次の演奏を聴き、同じ箇所で反応がどう変わるかを見ていく。最初の演奏では苦しかった場所が、別の演奏ではむしろ整って感じられるかもしれない。あるいは、最初は何も感じなかった場所が、別の演奏では急に胸に迫るかもしれない。この比較は非常に重要である。なぜなら、そこに「作品そのもの」と「演奏解釈」と「自分の状態」が交差する地点が見えるからである。

補助的比較リンクC:Vladimir Ashkenazy – Chopin: Études, Op. 25, No. 12 in C Minor “Ocean”
補助的比較リンクD:Yunchan Lim – Chopin: Études, Op. 25, No. 12 in C Minor “Ocean”

比較鑑賞では、聴き手が観察すべき点をいくつか意識しておくとよい。第一に、テンポが自分にどう作用するかを見ることである。速いと感じるか、避けがたく進むと感じるか、ただ追い立てられるか、あるいは逆に活力を与えられるか。第二に、強弱の波がどう感じられるかを見ることである。押しつぶされる感じなのか、満ち引きが感じられるのか、それとも波の呼吸が自分の呼吸と結びつくのか。第三に、終わり方がどう響くかを見ることである。突破として終わるのか、抱えたまま閉じるのか、浄化されたように感じるのか、それとも重みが残るのか。これらは、単なる音楽的好みではなく、その時点の自分の心の状態を知る手がかりとなる。

また、比較鑑賞において大切なのは、「名演を採点する態度」を手放すことである。クラシック音楽の聴き比べというと、つい技術の精度や音色の好みやテンポ設定の是非を論じたくなる。しかし、本稿の文脈で比較鑑賞が重要なのは、どの演奏家が優れているかを決めるためではない。むしろ、自分にとってどの演奏がどう作用するかを知るためである。ある人には厳格で引き締まった演奏が必要であり、別の人には揺らぎや歌が感じられる演奏が必要である。そのどちらが「上」かではなく、その違いがいまの自分に何を起こすかが大切なのである。この視点に立つと、比較鑑賞は批評ではなく自己理解の実践となる。

比較鑑賞のもう一つの価値は、《大洋》を一回的な感動で終わらせないことにある。強い音楽体験はしばしば、一度聴いたときの衝撃で記憶される。しかし、人間の心は変化する。昨日しっくりきた演奏が今日は強すぎることもあるし、以前はただ荒々しく感じた演奏が、後になって初めて深い慰めとなることもある。つまり比較鑑賞とは、演奏の違いを見るだけではなく、「変わっていく自分」を見ることでもある。同じ《大洋》を異なる演奏で、異なる時期に聴くことで、私たちは作品の広がりだけでなく、自分自身の変化にも気づく。そこに、この作品を長く生きた伴走者として持つ意味がある。

とりわけメンタルヘルスの文脈では、この「時期によって必要な《大洋》が変わる」という理解が重要である。深い喪失の直後には、あまりに強い切迫感のある演奏は受け止めきれないかもしれない。燃え尽きの只中では、構造の見える演奏より、むしろ自分の内圧をそのまま鳴らしてくれる演奏のほうがしっくりくるかもしれない。不安の強い日には、ライブの緊張感が負担になることもあれば、逆にその緊張感によって「自分だけではない」と感じることもある。こうしてみると、比較鑑賞とは音楽理解の深化であると同時に、自分の状態を見極める診断的な実践にも近い。どの演奏に惹かれるか、どの演奏がしんどいか、その反応には必ず意味があるのである。

ここで読者に勧めたいのは、一度に多くを聴きすぎないことである。比較鑑賞は有益であるが、やり方によっては情報過多になり、かえって何も残らなくなる。まずは二つで十分である。一つの演奏を最後まで聴き、少し時間を置いてから別の演奏を聴く。そして、最も印象に残った違いを一つだけ言葉にしてみる。たとえば、「こちらの演奏では波が大きく、もう一つでは流れが見えた」「こちらでは苦しさが強く、もう一つでは耐えられた」「こちらは怒りを感じ、もう一つは悲しみを感じた」といった具合である。その一つの違いが見えるだけでも、《大洋》の世界は一気に立体的になる。

《大洋》をどう聴き比べるかという問いは、結局のところ、「自分は何を聴きたいのか」という問いに戻ってくる。慰めがほしいのか、代弁がほしいのか、秩序がほしいのか、揺さぶりがほしいのか、あるいはただ、この大きな曲の前で自分の波を確かめたいのか。その問いを持ちながら複数の演奏に向き合うとき、《大洋》は単なる演奏比較の対象ではなく、自分の心の状態を映し出す複数の鏡として立ち上がる。そしてそのとき初めて、この作品は「どの演奏が名演か」という外側の問題から、「いまの自分にはどの《大洋》が必要か」という内側の問題へと転じるのである。そこに、比較鑑賞の最大の意義がある。

第19章で確認したかった核心は明確である。《大洋》を聴き比べることは、演奏家の優劣を論じるためではなく、この作品が持つ心理的多義性を知り、同時に自分の心の状態を知るためである。ある演奏は焦燥を映し、ある演奏は構造を支え、ある演奏は悲しみの陰影を際立たせる。その違いを体感するとき、《大洋》は一つの固定された名曲ではなく、その都度異なる波を見せる生きた作品となる。そして読者自身もまた、どの波にいま最も深く共鳴するのかを通して、自分の内面を少しずつ知っていくことができるのである。

《大洋》をどう聴き比べるかという問いに向き合っていくと、結局のところ私たちは、「この作品は何を象徴しているのか」というさらに深い問いへ導かれる。演奏によって波の姿が変わるということは、この作品が単なる技巧曲ではなく、人間の内面や存在そのものを映し出す大きな比喩であることを意味しているからである。

次章では、この比較鑑賞によって見えてきた《大洋》の多義性を、さらに一段深い次元へ進めていく。演奏によって波の姿が変わるということは、この作品が単なる技巧曲ではなく、人間の精神そのものを映し出す大きな比喩であることを意味しているからである。第20章では、《大洋》に見る人間の精神の比喩について掘り下げていく。

次回、第7部に続く

参考文献(読者向けセレクト)

British Association for Music Therapy
音楽療法とは何か、英国でどのように実践されているかをつかむための基本資料である。音楽療法を単なる鑑賞ではなく、心理・情緒・認知・身体・社会面に関わる専門的支援として理解する助けになる。

厚生労働省『自殺総合対策大綱』
日本におけるメンタルヘルス、スティグマ、相談行動、自殺対策の全体像を理解するための公的基礎資料である。本稿の日本社会に関する考察の背景を確認するのに有用である。

内閣府『孤独・孤立対策に関する施策の推進を図るための重点計画』
日本社会における孤独・孤立の広がりと、その政策的対応を確認するための重要資料である。喪失、孤立、見えにくい苦しみを社会的背景から考える際に役立つ。

Chang, N. W. “The role and function of music therapy in child-friendly healthcare”
医療現場における音楽療法の役割を簡潔に把握しやすい論文である。音楽が感情調整、非言語的表現、参加支援にどう関わるかを考えるうえで参考になる。

Stegemann ほか “Music therapy and other music-based interventions in pediatric health care”
音楽療法および音楽介入が健康・生活の質・心理面にどう関与するかを広く見渡すのに向いた概説論文である。

National University of Singapore, Centre for Music and Health 関連資料
アジア、とくにシンガポールにおいて、音楽と健康・ウェルビーイングの接点がどのように制度化・研究化されているかを知るために役立つ。

National Taiwan University Hospital, Child-Friendly Healthcare Clinical Program
台湾の医療現場で音楽療法がどのように位置づけられているかを確認できる資料である。アジアにおける制度的実践の具体例として有用である。

IMSLP『Études, Op. 25』
《大洋》の楽譜、版、通称、構造確認のための基本資料である。本文の構造分析や演奏解釈の理解を深めたい読者に向く。

ショパン関連の公式文化機関・演奏資料
ショパン作品を単なる名曲としてではなく、現代に生きる文化的・精神的遺産として捉える助けになる。演奏比較や受容史に関心のある読者向けである。

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投稿者プロフィール

市村 修一
市村 修一
【略 歴】
茨城県生まれ。
明治大学政治経済学部卒業。日米欧の企業、主に外資系企業でCFO、代表取締役社長を経験し、経営全般、経営戦略策定、人事、組織開発に深く関わる。その経験を活かし、激動の時代に卓越した人財の育成、組織開発の必要性が急務と痛感し独立。「挑戦・創造・変革」をキーワードに、日本企業、外資系企業と、幅広く人財・組織開発コンサルタントとして、特に、上級管理職育成、経営戦略策定、組織開発などの分野で研修、コンサルティング、講演活動等で活躍を経て、世界の人々のこころの支援を多言語多文化で行うグローバルスタートアップとして事業展開を目指す決意をする。

【背景】
2005年11月、 約10年連れ添った最愛の妻をがんで5年間の闘病の後亡くす。
翌年、伴侶との死別自助グループ「Good Grief Network」を共同設立。個別・グループ・グリーフカウンセリングを行う。映像を使用した自助カウンセリングを取り入れる。大きな成果を残し、それぞれの死別体験者は、新たな人生を歩み出す。
長年実践研究を妻とともにしてきた「いきるとは?」「人間学」「メンタルレジリエンス」「メンタルヘルス」「グリーフケア」をさらに学際的に実践研究を推し進め、多数の素晴らしい成果が生まれてきた。私自身がグローバルビジネスの世界で様々な体験をする中で思いを強くした社会課題解決の人生を賭ける決意をする。

株式会社レジクスレイ(Resixley Incorporated)を設立、創業者兼CEO
事業成長アクセラレーター

【専門領域】
・レジリエンス(精神的回復力) ・グリーフケア ・異文化理解 ・グローバル人財育成 
・東洋哲学・思想(人間学、経営哲学、経営戦略) ・組織文化・風土改革  ・人材・組織開発、キャリア開発
・イノベーション・グローバル・エコシステム形成支援

【主な著書/論文/プレス発表】
「グローバルビジネスパーソンのためのメンタルヘルスガイド」kindle版
「喪失の先にある共感: 異文化と紡ぐ癒しの物語」kindle版
「実践!情報・メディアリテラシー: Essential Skills for the Global Era」kindle版
「こころと共感の力: つながる時代を前向きに生きる知恵」kindle版
「未来を拓く英語習得革命: AIと異文化理解の新たな挑戦」kindle版
「グローバルビジネス成功の第一歩: 基礎から実践まで」Kindle版
「仕事と脳力開発-挫折また挫折そして希望へ-」(城野経済研究所)
「英語教育と脳力開発-受験直前一ヶ月前の戦略・戦術」(城野経済研究所)
「国際派就職ガイド」(三修社)
「セミナーニュース(私立幼稚園を支援する)」(日本経営教育研究所)

【主な研修実績】
・グローバルビジネスコミュニケーションスキルアップ ・リーダーシップ ・コーチング
・ファシリテーション ・ディベート ・プレゼンテーション ・問題解決
・グローバルキャリアモデル構築と実践 ・キャリア・デザインセミナー
・創造性開発 ・情報収集分析 ・プロジェクトマネジメント研修他
※上記、いずれもファシリテーション型ワークショップを基本に実施

【主なコンサルティング実績】
年次経営計画の作成。コスト削減計画作成・実施。適正在庫水準のコントロール・指導を遂行。人事総務部門では、インセンティブプログラムの開発・実施、人事評価システムの考案。リストラクチャリングの実施。サプライチェーン部門では、そのプロセス及びコスト構造の改善。ERPの導入に際しては、プロジェクトリーダーを務め、導入期限内にその導入。組織全般の企業風土・文化の改革を行う。

【主な講演実績】
産業構造変革時代に求められる人材
外資系企業で働くということ
外資系企業へのアプローチ
異文化理解力
経営の志
商いは感動だ!
品質は、タダで手に入る
利益は、タダで手に入る
共生の時代を創る-点から面へ、そして主流へ
幸せのコミュニケーション
古典に学ぶ人生
古典に学ぶ経営
論語と経営
論語と人生
安岡正篤先生から学んだこと
素読のすすめ
経営の突破口は儒学にあり
実践行動学として儒学に学ぶ!~今ここに美しく生きるために~
何のためにいきるのか~一人の女性の死を見つめて~
縁により縁に生きる
縁に生かされて~人は生きているのではなく生かされているのだ!~
看取ることによって手渡されるいのちのバトン
など
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