日本精神はいかに形成されたのか ─ 古神道・古事記・日本書紀・仏教・儒教から読み解く

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日本精神はいかに形成されたのか ─ 古神道・古事記・日本書紀・仏教・儒教から読み解く

本記事は、連載「日本精神と日本皇統が人類を救う──安岡正篤の天皇論・国家論から読み解く男系皇統と「和」の文明【全12回】」の第2回である。

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「日本精神と日本皇統が人類を救う──安岡正篤の天皇論・国家論から読み解く男系皇統と「和」の文明【全12回・総合案内】」

はじめに 日本精神は「純粋な日本」から生まれたのか

第1回では、安岡正篤『日本精神の研究』『日本精神通義』を手掛かりとして、「日本精神」とは何かを考察した。そして本連載における日本精神を、和・敬・誠・公・義・修養・包摂という七つの原理から捉えた。ここで第2回では、その日本精神がいったいどのような歴史の中で形成されてきたのかを考えてみたい。

この問いを考えるとき、最初に注意しなければならないことがある。それは、「日本精神」というものが、古代のある時点ですでに完成形として存在し、その後二千年にわたって全く変化することなく受け継がれてきた、と単純化しないことである。文化も精神も、生きた人間社会の中で形成される以上、時代とともに変化する。外部文明との接触によって変わり、政治制度によって変わり、宗教によって変わり、戦争によって変わり、社会構造によっても変わる。それでも、その変化の中に一定の持続性を見いだすことはできる。この「変化するもの」と「変化の中でも持続するもの」の双方を見ることが、日本精神を理解するうえで重要なのである。

安岡正篤の『日本精神通義』は、この点を考えるうえで示唆的である。1936年刊の同書の目次を見ると、第一章「古神道」、第二章「神道と儒、道二教の伝来」、第三章「神道と仏教の伝来」と続いている。つまり安岡は、日本精神を語るとき、日本固有と考えられる精神だけで議論を閉じず、中国思想や仏教との出会いを日本精神形成の重要な過程として扱っているのである。

ここには、本稿の重要な出発点がある。

日本精神は、外国を知らなかったから成立したのではない。

外国を拒絶し続けたから続いたのでもない。

むしろ日本は、外国文明と繰り返し遭遇し、時には圧倒されるほど大きな影響を受けながら、それを受容し、咀嚼し、選択し、日本社会に適した形へ作り替えてきた。

だからこそ第2回では、「純粋な日本」を探すのではなく、

日本はいかに異質な文明と出会い、それでも日本であり続けたのか

という問いから、日本精神の形成を考えていく。

第6章 古神道――自然の外ではなく、自然の中に生きる人間

安岡正篤『日本精神通義』が日本精神の源流を論じる際、最初に置いたのが「古神道」である。しかし「古神道」という言葉を使うときには注意が必要である。古代の日本列島に、後世の宗教体系のような統一された教義・教典・組織を備えた「古神道」という一枚岩の宗教体系がそのまま存在した、と単純化してはならない。本稿では安岡の用語を尊重しつつ、古代日本に見られる神々、祭祀、自然、祖先、共同体をめぐる信仰や世界観の層を広く指す言葉として用いる。

日本の伝統的な神観念を考えるとき、特徴的なのは、人間世界と自然世界が完全に断絶していないことである。山、川、海、森、岩、樹木、雷、風、太陽など、人間の力を超えた自然現象や自然物に神聖なものを感じる感覚がある。人間が自然の主人として自然の外側に立つというより、人間自身もまた自然の大きな生命の流れの中に存在するという感覚である。

もちろん、これを「日本人は昔から環境保護思想を持っていた」と現代的に美化してはならない。日本人も森林を伐採し、資源を利用し、自然を改変してきた。しかし、思想史的に重要なのは、自然を単なる無機的な「資源」としてだけ見るのではなく、畏れや感謝の対象として見る感覚が、日本の宗教文化の深いところに存在してきたことである。

この感覚は、「敬」という日本精神の原理とつながる。

人間より大きなものが存在する。

人間には完全に支配できないものが存在する。

人間は世界の中心ではない。

この感覚は、人間に謙虚さを要求する。

現代社会では、人間は科学技術によって自然を大規模に操作できるようになった。河川の流れを変え、山を削り、遺伝子に介入し、人工知能をつくることさえできる。しかし、「できる」ということと「してよい」ということは同じではない。

古代的な自然観をそのまま現代へ移植することはできないが、

人間は自分より大きな秩序の中に存在している

という感覚は、環境危機やAI時代を生きる人類にとって、再考する価値のある思想ではないだろうか。

第7章 『古事記』『日本書紀』――日本人は自らの世界をどう語ったのか

日本精神の源流を考えるうえで、『古事記』と『日本書紀』を避けて通ることはできない。『古事記』は712年、『日本書紀』は720年に成立したとされ、日本の神話、系譜、王権、国家形成を考えるうえで最も重要な古典史料群に属する。現代の読者が利用しやすいものとしては、倉野憲司校注『古事記』などがあり、国立国会図書館にも1963年の岩波文庫版が所蔵されている。

しかし、ここでも非常に重要な原則がある。

神話と歴史を混同しないことである。

『古事記』『日本書紀』に記された天地開闢、国生み、天照大御神、天孫降臨、神武天皇などの物語を、現代歴史学が扱う意味での実証的史実とそのまま同一視することは適切ではない。

では、神話だから価値がないのか。

そうではない。

神話には、歴史的事実とは異なる重要な役割がある。

人間共同体は、自分たちがどこから来たのか、自分たちの社会はなぜ存在するのか、自然と人間はどのような関係にあるのか、権威はどこから生まれるのか、といった根源的な問いに物語という形で答えてきた。

ギリシャ神話を読んで、そこに記されたすべてを考古学的事実として読む必要はない。しかし、ギリシャ文明の人間観を理解するうえで神話は不可欠である。

聖書についても、インドの叙事詩についても、中国古代の神話についても同じである。

したがって『古事記』『日本書紀』についても、

日本列島の人々が、自らの国家、自然、神々、祖先、王権をどのような物語の中で理解してきたのか

を考える思想史・精神史上の資料として読む必要がある。

ここから見えてくる特徴の一つは、天地、神々、人間、皇統が完全に切り離された存在として語られていないことである。

自然の世界。

神々の世界。

祖先の世界。

人間社会。

国家。

これらが重層的につながっている。

この世界観は、後に皇統を考える際にも重要になる。

皇統とは単に「一つの政治的地位を誰が継ぐか」という問題だけではなく、祭祀、祖先、歴史、共同体の連続性と結びついて理解されてきたからである。

ただし、本連載では、その伝統的理解と歴史学的検証を明確に区別する。

伝統を尊重することと史料を検証することは対立しない。

むしろ両方を行うことで、日本皇統について感情論ではない深い理解が可能になる。

第4回以降で皇統を本格的に論じる際にも、この原則を貫く。

第8章 「和を以て貴しとなす」――和とは全員が同じになることではない

日本精神について語るとき、最もよく引用される言葉の一つが、「和を以て貴しとなす」である。

『日本書紀』に収められた、いわゆる十七条憲法の第一条に見える言葉として広く知られている。

しかし、この言葉ほど現代日本で都合よく使われている言葉も少ないかもしれない。

「和を大切にしなさい」

と言われたとき、

反対意見を言わないこと。

上司に逆らわないこと。

空気を読むこと。

目立たないこと。

波風を立てないこと。

多数派に従うこと。

そう理解されることがある。

しかし、それを「和」の本質とするなら、和は単なる同調圧力になってしまう。

ここで十七条憲法全体を見る必要がある。

そこでは、単に「皆で仲良くせよ」と言っているのではない。政治や官人の在り方、礼、民への対応、職務、私心など、共同体をどのように秩序づけるかという問題が扱われている。

つまり「和」は、何も考えず全員が同じ方向を向くことではない。

異なる人間が存在することを前提として、それでも共同体を壊さない秩序をつくることである。

第1回で私は、和音の比喩を用いた。

一つの音だけでは和音にならない。

違う音が同時に存在するから和音が成立する。

社会における和も同じである。

もし全員が同じ意見しか言えない社会になれば、それは調和の社会ではない。

沈黙の社会である。

本当の和とは、

違う意見を持つ者同士が、互いを共同体から追放することなく、より高い共通目的を探す能力

である。

ここには21世紀社会への重要な示唆がある。

現代のSNSでは、異なる意見を持つ人を「敵」として扱うことが容易である。

政治的立場が違う。

宗教が違う。

民族が違う。

歴史認識が違う。

そこから、

「相手は無知である」

「相手は悪である」

「相手と話す必要はない」

という思考へ進む。

この状態では民主主義も国際社会も持続しない。

民主主義とは、本来、自分と違う意見を持つ人間が存在することを前提にした制度だからである。

その意味で、「和」は民主主義と対立する概念である必要はない。

むしろ、

異論を認めながら共同体を維持する能力

として再定義すれば、民主社会にも必要な精神となる。

ただし、逆も忘れてはならない。

「和」という言葉を使って異論を封じ込めるなら、それは日本精神の実践ではなく、日本精神の変質である。

第9章 中国文明との出会い――日本はなぜ中国にならなかったのか

日本文明の形成を語るとき、中国文明の影響を過小評価することはできない。

文字。

政治思想。

官僚制度。

律令。

儒教。

仏教。

暦。

文学。

建築。

医学。

さまざまな知識・制度・文化が、大陸および朝鮮半島との交流を通して日本へ入ってきた。

古代日本にとって、中国文明は当時の東アジアにおける巨大な先進文明であった。

現代に置き換えて考えれば、その影響の大きさが想像しやすい。

ある国が、文字体系から政治制度、高等教育、思想、宗教、法、国際外交の形式まで、巨大な先進文明から学ぶのである。

普通に考えれば、その文明へ全面的に吸収されても不思議ではない。

しかし、日本は中国文明から圧倒的な影響を受けながら、中国そのものにはならなかった。

ここに日本文明の重要な特徴を見ることができる。

典型的なのが文字である。

漢字を受容しながら、日本語そのものを捨てなかった。

日本語を漢字で記述するためのさまざまな工夫が生まれ、やがて平仮名・片仮名が発達し、漢字と仮名を組み合わせる独自の文字文化が形成された。

これは単なる文字史の話ではない。

文明受容の典型である。

外から来たものを拒絶しない。

しかしそのまま従属もしない。

自分たちの言語・社会・感性に合わせて変える。

この「変換能力」が、日本文化の長期的な特徴の一つである。

儒教についても同様である。

中国で形成された儒教は、日本へ伝来してそのまま同一の社会をつくったわけではない。

律令国家、武家社会、江戸期の藩政・教育など、異なる時代の日本社会の中で再解釈され続けた。

その結果、「忠」「孝」「義」「礼」「誠」「修養」といった概念は、日本社会の中で独自の意味合いを帯びるようになった。

ここで注意したいのは、中国と日本を優劣で比較しないことである。

中国文明は、日本文明の形成に巨大な貢献をした。

その事実を認めることは、日本精神を弱めることではない。

むしろ逆である。

他文明から学んだことを認めながら、

それを自らの文明へどう変換したか

を考える方が、日本文明の主体性をより正確に理解できる。

第10章 儒教――「修己治人」が日本の人物観をどう変えたのか

儒教が日本精神形成に与えた影響は極めて大きい。

とりわけ本連載において重要なのが、

修己治人

という考え方である。

文字どおり考えれば、自らを修め、そのうえで人や社会を治めるという思想である。

これは安岡正篤の人間学を理解するうえでも中心的な思想となる。

近代社会では、政治や経営を「技術」として考えることが多い。

政策立案能力。

財務能力。

マーケティング。

交渉術。

プレゼンテーション。

組織管理。

選挙戦略。

もちろん、これらは必要である。

しかし、儒教的人間学には、その前に問うべき問題がある。

それを使う人間は、どのような人間なのか。

という問題である。

自分の欲望を制御できない人間に大きな権力を与えればどうなるか。

自分の感情を制御できない人間が組織のトップになればどうなるか。

名誉欲だけで政治家になった人間が国家権力を持てばどうなるか。

巨額の資金を扱う経営者が公私を区別できなければどうなるか。

制度だけでは解決できない。

そこで人物が問われる。

儒教の思想では、政治の問題と人間形成の問題が完全に切り離されない。

ここが安岡正篤の人物学へとつながっていく。

そして日本では、儒教が武士階級や教育に大きな影響を与え、「人の上に立つ者ほど自らを律さなければならない」という倫理と結びついていった。

もちろん現実の武士や政治家が常にその倫理を実践したわけではない。

理念と現実は別である。

だからこそ理念が必要になる。

人間は完全ではないから、自らを測る物差しが必要なのである。

第3回では、安岡正篤がこの人物形成の問題を、山鹿素行、吉田松陰、高杉晋作、楠木正成、西郷隆盛らを通じてどのように考えたかを詳しく検討する。

第11章 仏教――「無常」と「慈悲」が日本精神へもたらしたもの

日本精神の形成に、仏教も決定的な影響を与えた。

仏教はインドで生まれ、中国・朝鮮半島などを経て日本へ伝えられた。

つまり、明らかな外来思想である。

しかし今日、仏教を「外国文化だから日本文化ではない」と感じる日本人は多くないだろう。

寺院。

仏像。

葬送。

墓。

お盆。

法要。

禅。

文学。

美術。

庭園。

茶道。

日本文化の非常に深い部分に仏教的要素が入り込んでいる。

ここに、日本精神の「包摂」の具体例がある。

外来宗教を受け入れたから、日本固有の文化が全面的に消滅したわけではない。

むしろ神道的な祭祀と仏教は、長い歴史の中で複雑に交錯した。

後世に「神仏習合」と呼ばれる現象である。

一つの宗教が入ってきたら、それまでの宗教を完全に排除する。

そうした一神教的な宗教交代モデルだけでは、日本の宗教史を十分には説明できない。

もちろん、日本にも宗教対立は存在した。

権力による宗教統制もあった。

したがって「日本では宗教対立がなかった」と理想化することはできない。

しかし文明の長期的傾向として、異なる宗教的要素を重ね合わせる能力が見られることは重要である。

仏教が日本精神にもたらしたものの一つが、

無常

である。

あらゆるものは変化する。

栄華も永遠ではない。

若さも健康も地位も財産も、いつか失われる。

人間は死ぬ。

この認識は、悲観思想ではない。

むしろ、有限だからこそ現在をどう生きるかを問う思想である。

権力者にとっても重要である。

どれほど巨大な権力を手に入れても永遠には続かない。

その認識は、権力への執着を相対化する可能性を持つ。

そしてもう一つが、

慈悲

である。

自分だけの幸福ではなく、苦しむ他者へ眼差しを向ける。

これは「公」「敬」「包摂」という本連載の日本精神にも重なってくる。

外来思想である仏教が日本人の死生観、倫理、美意識に深く入り込んだことそのものが、日本精神とは固定された純血思想ではないことを物語っている。

第12章 神仏儒の重層性――日本人はなぜ「一つに決めなかった」のか

日本の思想史を理解するとき、非常に興味深い現象がある。

神道を受け入れたら仏教を捨てる。

仏教を受け入れたら儒教を捨てる。

儒教を学んだら神道を捨てる。

必ずしも、そのようにはならなかったことである。

一人の人間の中に、

神道的祭祀、

仏教的死生観、

儒教的倫理、

が同時に存在することさえあった。

現代日本でも、その重層性は残っている。

正月には神社へ行く。

結婚式は神前式やキリスト教式を選ぶこともある。

葬儀は仏式で行う。

本人は「無宗教」と答える。

外部から見れば矛盾しているようにも見える。

しかし、その矛盾をそのまま抱えることが可能な文化でもある。

これを思想的一貫性の欠如として批判することもできる。

しかし別の角度から見れば、

複数の価値体系を完全に排他的なものとして扱わない能力

ともいえる。

現代の多文化社会では、この能力は興味深い。

世界では、しばしばアイデンティティが一つの所属によって定義される。

宗教。

民族。

国家。

政治思想。

そして、自分の所属を強く意識するほど、他の所属を排除する方向へ進む場合がある。

しかし人間は本来、一つの属性だけでできているわけではない。

一人の人間が、

日本人であり、

アジア人であり、

企業人であり、

父親であり、

地域住民であり、

世界市民でもあり得る。

複数の所属を同時に持つことができる。

日本思想史に見られる重層性は、

「どちらか一つを選ばなければならない」という二項対立を超える可能性

を考える材料になる。

ただし、それは「何でもよい」という相対主義とは違う。

複数の価値を認めるほど、自分が何を大切にするのかという軸も必要になる。

それが第1回で論じた「自覚」である。

開かれていることと、根を持たないことは違うのである。

第13章 武士道――日本精神は「死」の思想なのか

日本精神を語るとき、武士道も避けて通れない。

しかし「武士道」という言葉も、非常に慎重に扱う必要がある。

日本史上の武士が、古代から近代まで一つの統一された「武士道」という教典に従って行動していたわけではない。

武士の倫理観も時代によって変化した。

戦国期の武士と江戸期の武士では、置かれた社会状況も役割も違う。

後世になって体系化・理想化された「武士道」像と、実際の武士社会も区別しなければならない。

したがって、本稿で武士道を扱うとき、「日本人は昔から全員武士道で生きていた」といった単純な物語にはしない。

それでも、武士社会の中で形成・強調された倫理が、日本精神史に大きな影響を与えたことは確かである。

忠。

義。

名誉。

責任。

克己。

覚悟。

死生観。

これらの概念である。

特に重要なのは、武士道を「死ぬことを称賛する思想」とだけ理解しないことである。

死を意識することの意味は、

有限な生を何のために使うのか

を問うことにある。

自分の命より大切なものが存在するのか。

私益と公が衝突したとき何を選ぶのか。

危機のとき逃げるのか。

責任を誰かへ転嫁するのか。

自分が下した決断の結果を引き受けるのか。

これらの問いは、現代の政治家や経営者にもそのまま通じる。

現代企業で命を捨てる必要などない。

しかし、自ら決断したにもかかわらず、失敗すれば部下を切って自分だけ地位に残る経営者が、本当にリーダーと呼べるだろうか。

大きな権限には、大きな責任が伴う。

その意味で、武士道から現代へ引き継ぐべきなのは「死」の形式ではなく、

責任から逃げないという精神

なのである。

そして安岡正篤『日本精神の研究』が山鹿素行、吉田松陰、高杉晋作、楠木正成、西郷隆盛、宮本武蔵らを取り上げていることは、日本精神を抽象概念だけではなく「人物が危機においてどう生きたか」という問題から捉えようとした安岡の姿勢を示している。

次回、第3回では、この問題を本格的に掘り下げる。

第14章 山鹿素行――中国を学びながら、日本を問い直す

日本精神形成史から安岡の人物学へ進む橋渡しとして、山鹿素行に触れておきたい。

山鹿素行は江戸前期の思想家であり、その著作『中朝事実』は日本の国家・皇統・文明認識を考えるうえで重要な文献である。国立国会図書館には複数の版が所蔵され、「皇統」「聖政」「礼儀」などを扱う構成も確認できる。

ここで興味深いのは、山鹿素行自身が儒学という中国由来の思想を深く学んだ人物でありながら、その学問を通して日本とは何かを問い直したことである。

これは日本精神形成の重要なパターンを象徴している。

外国思想を学ぶ。

深く学ぶ。

しかし模倣だけで終わらない。

その思想を鏡として、自分自身の文明を見る。

そして「自分たちは何者なのか」を問い直す。

つまり、他文明を学ぶことが自己喪失ではなく、

自己認識を深める契機

になっているのである。

これは現代日本にも重要な示唆を持つ。

日本が欧米から学ぶことは悪いことではない。

中国から学ぶことも悪いことではない。

インドや東南アジアから学ぶことも必要である。

問題は「学ぶこと」ではない。

学んだあと、

自分は何を選択するのか

である。

自分の軸がなければ模倣になる。

自分の軸だけを絶対視すれば閉鎖になる。

他者から学びながら自己を深める。

この往復運動こそ、日本精神を考えるうえで重要なのである。

第15章 明治維新――西洋文明との巨大な遭遇

日本精神の形成は古代・中世・近世だけで終わらない。

近代日本にとって最大級の文明的衝撃となったのが、西洋文明との本格的遭遇である。

幕末から明治にかけて、日本は西洋列強の軍事力、産業力、科学技術、政治制度と向き合うことになった。

ここでも日本は大規模な文明受容を行う。

憲法。

議会。

近代法。

学校制度。

大学。

軍制。

鉄道。

郵便。

銀行。

株式会社。

医学。

科学。

産業技術。

西洋から大量に学んだ。

その速度と規模は極めて大きかった。

それでも日本は、日本語を捨てなかった。

皇統を廃止して西洋王朝を置かなかった。

神社も寺院も消滅しなかった。

日本の生活文化全体が完全に西洋へ置き換わったわけでもない。

ここにも、

受容と自己保持

の問題が現れる。

しかし明治以降の経験には、成功だけでなく大きな危険もあった。

西洋列強に追いつくことを急ぐ中で、富国強兵、帝国主義、植民地競争という当時の世界秩序へ日本も深く組み込まれていく。

近代化の成功と、その後の戦争への道は切り離して考えることができない。

だからこそ、日本精神を論じる場合も、近代日本の成功だけを称賛してはならない。

外来文明を受容する力には、

何を受け入れるべきかを判断する智慧

が必要だからである。

技術を受け入れる。

制度を受け入れる。

しかし、その制度の背後にある価値観まで無批判に受け入れてよいのか。

逆に、自国の伝統であれば無条件に守ってよいのか。

この問いは、AI時代の現在にもそのまま戻ってくる。

第16章 欧米・中国・アジアとの比較から見える「受容する日本」

日本の文明形成をより明確に理解するためには、世界との比較が必要である。

中国文明は、長い歴史の中で周辺地域へ巨大な文化的影響を与えてきた。漢字、儒教、官僚制度などは東アジア社会の形成に広範な影響を持った。中国自身も仏教というインド起源の思想を受容し、中国独自の仏教文化を形成している。したがって、「外来思想を自国化する」という現象は日本だけのものではない。

欧州も同じである。

古代ギリシャ。

ローマ。

ユダヤ・キリスト教。

ゲルマン諸文化。

イスラム世界を通じて伝わった学問。

ルネサンス。

宗教改革。

啓蒙思想。

現代欧州文明もまた、多くの文明層の重なりによって形成された。

インド文明も、東南アジア文明も同様である。

したがって、「他文明を受容した」というだけで日本を例外的文明とすることはできない。

では、日本の特徴はどこにあるのか。

本連載では、その一つを、

非常に大きな外来文明を繰り返し受容しながら、国家・言語・文化の長期的連続性を保ってきたこと

に見る。

中国文明から大量に学んだ。

仏教を受け入れた。

近代には欧米文明を猛烈な勢いで取り入れた。

戦後にはアメリカを中心とする制度・文化から大きな影響を受けた。

それでも「日本」という共同体の自己認識は消滅しなかった。

これを理解するうえで、後の回で扱う「皇統」が重要になってくる。

政治制度が変わる。

宗教文化が変わる。

社会構造が変わる。

外国文明から巨大な影響を受ける。

それでも国家の連続性を示す一つの軸が残る。

日本皇統である。

したがって、日本精神と日本皇統は別々のテーマではない。

変化する文明と、変化の中で継承されるものとの関係

を考えるとき、両者が接続するのである。

第17章 日本精神とは「変わらないこと」ではない

ここまでの議論を整理すると、重要な結論が見えてくる。

日本精神とは、

変わらないこと

ではない。

むしろ、

変わりながら、失ってはならないものを失わないこと

なのである。

ここには大きな違いがある。

伝統を守るというと、すべてを昔のまま保存することだと思われやすい。

しかし、生きた伝統は変化する。

言葉も変わる。

生活も変わる。

制度も変わる。

技術も変わる。

社会も変わる。

それでも、「何のために生きるのか」「人間をどう見るのか」「共同体にどう責任を負うのか」という根底の問いは残る。

樹木に例えれば分かりやすい。

一本の樹木は毎年変化する。

葉は落ちる。

新しい葉が出る。

枝は伸びる。

幹も太くなる。

同じ姿のままではない。

しかし根がある。

根から養分を受け取りながら、新しい環境へ枝を伸ばす。

日本精神も、そのようなものとして理解する方がよいのではないか。

根だけを守り、枝を伸ばさなければ枯れる。

枝だけを伸ばし、根を切れば倒れる。

必要なのは、

根を深くしながら、世界へ開くこと

である。

これは、安岡正篤の日本精神論を21世紀に読むうえでも重要な視点である。

第18章 「日本精神」と排外主義を混同してはならない

ここで、あらためて強調しておかなければならない。

日本精神を語ることは、外国文化を排除することではない。

むしろ日本文明史を真剣に学べば、そのような単純な発想が歴史的事実と合わないことが分かる。

漢字なくして日本文学史を語れるだろうか。

仏教なくして日本美術史を語れるだろうか。

儒教なくして江戸期の教育・思想を語れるだろうか。

西洋科学なくして近代日本を語れるだろうか。

日本文化の中には、外国から受け取ったものが無数に存在する。

しかし、それは「日本文化は外国文化のコピーにすぎない」という意味でもない。

ここで重要なのが、

受容する主体

という考え方である。

他者から何かを学ぶためには、自分がなくてよいのではない。

むしろ自分が必要である。

何を学ぶのか。

何を拒むのか。

どう変えるのか。

自分の社会の中へどう位置づけるのか。

主体が判断する。

したがって、日本精神の反対は「外国文化」ではない。

日本精神の反対に近いものがあるとすれば、

無自覚

なのではないだろうか。

外国だから拒絶する。

外国だからありがたがる。

日本だから無条件に正しいとする。

日本だから古いと否定する。

どちらも自分で考えていない。

安岡が『日本精神の研究』の冒頭に「自覚」を置いた意味は、ここにも通じる。

本当の日本精神とは、自分の根を知ったうえで世界へ開く精神なのである。

第19章 21世紀に必要なのは「同化」でも「分断」でもない

この歴史的経験は、現代の多文化社会に何を示唆するだろうか。

現在、欧米でも日本でも、移民・多文化共生・国家アイデンティティが大きな課題となっている。

ここでは二つの極端が現れやすい。

一つは、

違う文化を排除すること

である。

もう一つは、

違いそのものを無意味にしてしまうこと

である。

前者は排外主義へ向かう。

後者は共同体の自己喪失へ向かう可能性がある。

必要なのは、そのどちらでもない。

自分たちの文化を大切にする。

しかし、他文化にも敬意を払う。

共通の社会ルールは求める。

しかし、全員に同一の文化的生活を強制しない。

相手から学ぶ。

しかし、自分を失わない。

違いを認める。

しかし、社会そのものが互いに無関係な共同体へ分裂しないようにする。

これは容易ではない。

だからこそ「和」が必要なのである。

和とは、違いがなくなった状態ではない。

違いがありながら共同体が成立している状態

なのである。

日本の文明史は、この問題について完成された答えを持っているわけではない。

日本自身も多くの失敗をしてきた。

しかし、異質な文明を受容しながら自己を保持してきた長い歴史には、21世紀の人類が考える価値のある経験が蓄積されている。

第20章 第2回の結論――日本精神とは「受容・咀嚼・創造」の精神である

第2回では、日本精神がどのような歴史の中で形成されてきたのかを考察した。

古代の祭祀と自然観。

『古事記』『日本書紀』。

「和」の思想。

中国文明との出会い。

儒教。

仏教。

神仏儒の重層性。

武士社会。

近代西洋文明との遭遇。

これらをたどってくると、一つの大きな特徴が見えてくる。

日本精神は、外部との接触を避けることによって形成されたのではない。

むしろ、

外部との出会いによって形成され続けた

のである。

ここで重要なのは、

受け入れればよい、

ということではない。

本連載が重視するのは、次の五段階である。

受容する。

まず相手を知る。最初から拒絶しない。

咀嚼する。

その思想や制度が何を意味するのか、自分の頭で考える。

選択する。

すべてを受け入れるのではなく、自分たちに必要なものを判断する。

統合する。

自分たちの歴史・文化・社会の中へ位置づけ直す。

創造する。

単なる模倣ではなく、新しい文化として生み直す。

この五段階こそ、日本文明の長期的な生命力を考えるうえで重要である。

そしてそこには、第1回で示した七つの日本精神が重なっている。

和――異なるものの間に秩序をつくる。

敬――自分とは違うものにも学ぶ価値を認める。

誠――自分自身を偽らない。

公――共同体全体を考える。

義――受け入れるべきものと拒むべきものを判断する。

修養――判断する主体である自分を鍛える。

包摂――違いを消さず、より大きな秩序へ統合する。

したがって、日本精神とは閉じる精神ではない。

同時に、無条件に流される精神でもない。

根を持ちながら開く精神

なのである。

そして、この精神を本当に理解するためには、「どのような制度があったか」を見るだけでは十分ではない。

その精神を生きようとした「人物」を見なければならない。

思想は、人間によって初めて実践になるからである。

そこで次回は、安岡正篤思想の核心ともいえる「人物学」へ進む。

山鹿素行。

吉田松陰。

高杉晋作。

楠木正成。

西郷隆盛。

彼らを手掛かりに、

国家をつくる前に、なぜ人物をつくらなければならないのか。

そして、

人の上に立つ者に最も必要なものは、本当に能力なのか。

という問いを考えていく。

AIが人間の「能力」に迫る21世紀だからこそ、安岡正篤の人物学は、むしろ新しい意味を帯び始めているのである。

次回予告

第3回 安岡正篤の人間学とは何か──修己治人・知命・立命から学ぶ人物と国家

第3回では、安岡正篤の思想の核心である人物学へ進む。修己治人、知命、立命とは何を意味するのか。なぜ国家や組織を変える前に、自らを修めなければならないのか。『日本精神の研究』で安岡が取り上げた山鹿素行、吉田松陰、高杉晋作、楠木正成、西郷隆盛らの生き方を通じて、「人物」とは何か、「徳」と能力はどう違うのかを考察する。さらに、政治家や企業経営者、スタートアップCEOなど、巨大な影響力を持つ現代のリーダーに、なぜ人間学が必要なのかを考えていく。

この連載の全体構成・総合案内はこちら
「日本精神と日本皇統が人類を救う──安岡正篤の天皇論・国家論から読み解く男系皇統と「和」の文明【全12回・総合案内】」

参考文献・資料

安岡正篤(1936)『日本精神通義』日本青年館。国立国会図書館所蔵。第一章「古神道」、第二章「神道と儒、道二教の伝来」、第三章「神道と仏教の伝来」など、日本精神を外来思想との関係を含めて考察する構成を持つ。

安岡正篤(1924)『日本精神の研究』玄黄社。国立国会図書館所蔵。日本民族の自覚、人格的根柢を論じるとともに、山鹿素行、吉田松陰、高杉晋作、楠木正成、西郷隆盛、宮本武蔵らを通して日本精神を考察する。

倉野憲司校注(1963)『古事記』岩波文庫、岩波書店。

坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注『日本書紀』岩波書店。

本居宣長『古事記伝』。

『論語』。

『大学』。

『中庸』。

『孟子』。

山鹿素行『中朝事実』。

『日本書紀』所収「十七条憲法」。

公益財団法人郷学研修所・安岡正篤記念館公式資料。

さらに学びたい読者のために

安岡正篤『日本精神通義』
第2回をさらに深く理解するための中心文献である。日本精神の源流を古神道だけに求めるのではなく、儒教、道教、仏教との接触・受容を含めて論じている点に注目したい。

倉野憲司校注『古事記』
日本神話と古代の皇統観を直接読むための基本文献である。ただし、神話・伝承と現代歴史学によって確認できる史実を区別しながら読む必要がある。

坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注『日本書紀』
日本の国家形成、皇統、外交、政治思想を考える基本史料である。十七条憲法を含め、第4回以降の皇統論でも重要な資料となる。

山鹿素行『中朝事実』
儒学を深く学んだ山鹿素行が、日本の皇統・国家・文明をどのように理解しようとしたのかを考える重要文献である。安岡正篤の人物学へ進む第3回、皇統論へ進む第4回以降にもつながる。

安岡正篤記念館・恩賜文庫
安岡正篤が日本精神を、狭い排他的思想ではなく東洋古典・先哲の学問と結びつけて追究した足跡に触れることのできる施設である。本連載の第3回、第9回でも関連資料を取り上げる。

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投稿者プロフィール

市村 修一
市村 修一
【略 歴】
茨城県生まれ。
明治大学政治経済学部卒業。日米欧の企業、主に外資系企業でCFO、代表取締役社長を経験し、経営全般、経営戦略策定、人事、組織開発に深く関わる。その経験を活かし、激動の時代に卓越した人財の育成、組織開発の必要性が急務と痛感し独立。「挑戦・創造・変革」をキーワードに、日本企業、外資系企業と、幅広く人財・組織開発コンサルタントとして、特に、上級管理職育成、経営戦略策定、組織開発などの分野で研修、コンサルティング、講演活動等で活躍を経て、世界の人々のこころの支援を多言語多文化で行うグローバルスタートアップとして事業展開を目指す決意をする。

【背景】
2005年11月、 約10年連れ添った最愛の妻をがんで5年間の闘病の後亡くす。
翌年、伴侶との死別自助グループ「Good Grief Network」を共同設立。個別・グループ・グリーフカウンセリングを行う。映像を使用した自助カウンセリングを取り入れる。大きな成果を残し、それぞれの死別体験者は、新たな人生を歩み出す。
長年実践研究を妻とともにしてきた「いきるとは?」「人間学」「メンタルレジリエンス」「メンタルヘルス」「グリーフケア」をさらに学際的に実践研究を推し進め、多数の素晴らしい成果が生まれてきた。私自身がグローバルビジネスの世界で様々な体験をする中で思いを強くした社会課題解決の人生を賭ける決意をする。

株式会社レジクスレイ(Resixley Incorporated)を設立、創業者兼CEO
事業成長アクセラレーター

【専門領域】
・レジリエンス(精神的回復力) ・グリーフケア ・異文化理解 ・グローバル人財育成 
・東洋哲学・思想(人間学、経営哲学、経営戦略) ・組織文化・風土改革  ・人材・組織開発、キャリア開発
・イノベーション・グローバル・エコシステム形成支援

【主な著書/論文/プレス発表】
「グローバルビジネスパーソンのためのメンタルヘルスガイド」kindle版
「喪失の先にある共感: 異文化と紡ぐ癒しの物語」kindle版
「実践!情報・メディアリテラシー: Essential Skills for the Global Era」kindle版
「こころと共感の力: つながる時代を前向きに生きる知恵」kindle版
「未来を拓く英語習得革命: AIと異文化理解の新たな挑戦」kindle版
「グローバルビジネス成功の第一歩: 基礎から実践まで」Kindle版
「仕事と脳力開発-挫折また挫折そして希望へ-」(城野経済研究所)
「英語教育と脳力開発-受験直前一ヶ月前の戦略・戦術」(城野経済研究所)
「国際派就職ガイド」(三修社)
「セミナーニュース(私立幼稚園を支援する)」(日本経営教育研究所)

【主な研修実績】
・グローバルビジネスコミュニケーションスキルアップ ・リーダーシップ ・コーチング
・ファシリテーション ・ディベート ・プレゼンテーション ・問題解決
・グローバルキャリアモデル構築と実践 ・キャリア・デザインセミナー
・創造性開発 ・情報収集分析 ・プロジェクトマネジメント研修他
※上記、いずれもファシリテーション型ワークショップを基本に実施

【主なコンサルティング実績】
年次経営計画の作成。コスト削減計画作成・実施。適正在庫水準のコントロール・指導を遂行。人事総務部門では、インセンティブプログラムの開発・実施、人事評価システムの考案。リストラクチャリングの実施。サプライチェーン部門では、そのプロセス及びコスト構造の改善。ERPの導入に際しては、プロジェクトリーダーを務め、導入期限内にその導入。組織全般の企業風土・文化の改革を行う。

【主な講演実績】
産業構造変革時代に求められる人材
外資系企業で働くということ
外資系企業へのアプローチ
異文化理解力
経営の志
商いは感動だ!
品質は、タダで手に入る
利益は、タダで手に入る
共生の時代を創る-点から面へ、そして主流へ
幸せのコミュニケーション
古典に学ぶ人生
古典に学ぶ経営
論語と経営
論語と人生
安岡正篤先生から学んだこと
素読のすすめ
経営の突破口は儒学にあり
実践行動学として儒学に学ぶ!~今ここに美しく生きるために~
何のためにいきるのか~一人の女性の死を見つめて~
縁により縁に生きる
縁に生かされて~人は生きているのではなく生かされているのだ!~
看取ることによって手渡されるいのちのバトン
など
シエアする:
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