あなたはこの国の変化に気づいているか 〜干支「乙巳」が映す国家の真実〜
序章──干支が照らす混迷の時代
令和7年(2025年)、日本と世界は過渡期のただ中にある。戦争、経済危機、情報操作、そして人間の精神的空洞化──あらゆる次元での「揺らぎ」が露呈し、誰もが目に見えぬ不安の中を歩んでいる。このような時代にこそ、私たちは再び「時を読む力」を取り戻すべきである。
人生の師父 安岡正篤先生が提唱した「文字学」「干支学」は、未来を予言する道具ではない。むしろそれは、古代から連綿と受け継がれてきた「自然と人間の関係性」を読み解く知恵であり、現代人が忘れかけた“時の呼吸”を取り戻す手がかりである。
2025年の干支「乙巳(きのとみ)」には、こう記されている。
・乙は、曲がりくねりながらも成長する若芽。しなやかでありながら、内に秘めた生命力で天を目指す象徴。
・巳は、脱皮と再生の象徴。自らの皮を破って新しい自分を生きる、変容と精神的成長の意志を内包する。
つまり乙巳の年とは、「痛みを伴う自己変革」「本質を問われる選択の年」である。それも、単なる技術革新や制度改革ではなく、人間存在そのものの在り方、国家の理念、社会の意味を根底から見直す年である。
変化とは、痛みを伴う。成長とは、抵抗を克服することである。今、我々が直面している危機の本質は、「外からの侵略」以上に、「内なる覚悟の欠如」にある。干支とは、自然界における時間のリズムであると同時に、人間の精神進化を映し出す鏡でもある。ゆえに、乙巳の年を生きるということは、「どのような痛みをもって、どのような成長を遂げるか」という問いに正面から向き合うことなのである。
本年令和7年の干支の詳細は、こちらへ
第1章──国土が売られているという現実──静かに蝕まれる主権
令和7年上期、日本の安全保障環境はかつてなく深刻化している。
・北海道、九州、沖縄──水源地・森林・離島などが、中国資本を中心とした外資によって買い漁られている。
・一部では防衛拠点周辺の買収も進み、国家機密や軍事上の要衝が“合法的に”侵食されている。
・土地規制の法整備は遅れ、国民の多くはその重大性にすら気づかないままである。
土地とは何か──それは経済財でも商業財でもなく、「国民と歴史を結ぶ地霊(ゲニウス・ロキ)」である。水源地は未来の命を育む基盤であり、森林や海岸線は日本列島という国土の呼吸器官である。その神聖な土地が、経済合理性の名のもとに静かに外資に買収されていることは、国家の内部崩壊といえる。これはもはや“静かな戦争”であり、武力を伴わない領土侵略である。
この問題の根底には、「経済は万能であり、誰が買っても構わない」という戦後的価値観が深く浸透している。しかし、土地は単なる商品ではない。共同体の記憶であり、文化の場であり、国家の身体そのものである。日本人がこの根本感覚を喪失したとき、国は「形」は保たれていても、「魂」を失っていく。
国防とは、武器を持つこと以前に、「国を守る覚悟」を持つことから始まる。乙巳の年は、その覚悟を国民一人ひとりに問いかけている。
第2章──真実が歪められる国──情報統制と旧メディアの責任
今日の日本社会において、もはや見逃すことができないのが、情報の偏向と沈黙による統制である。
・大手メディアは、国家の存立に関わる議論を意図的に避け、芸能やスキャンダルで国民の注意を逸らす。
・中国や韓国に対する批判的報道は極端に少なく、報道しない自由によって国民の知る権利が奪われている。
・外資によるメディア資本の浸透も進み、報道そのものが“外部の道具”と化しつつある。
情報とは「社会の血流」である。そこに毒が混じれば、国家全体が誤った方向へと導かれる。報道は事実を伝えるべきものであり、都合の良い一面だけを切り取る行為は、「情報という名の操作」に他ならない。
現代日本のメディア空間では、「あえて語られないこと」にこそ最大の真実が宿る。なぜ外国資本による土地買収が報道されないのか。なぜ安全保障議論が封じられるのか。なぜ異常な円安や経済構造の脆弱性が深掘りされないのか──それらの“沈黙”の背後に、国家の本質が隠れている。
安岡正篤先生は、「言葉は人を救い、また人を滅ぼす」と語った。干支の「乙」は、しなやかでありながら反骨の意志を秘めた文字である。私たちは「流される言葉」ではなく、「読み解く力」「沈黙の裏側を読む力」を取り戻さねばならない。SNSの隆盛は、言論の多様性と同時に混乱をもたらした。だからこそ今、「選ぶ力」「読む力」「視えない構造を掘り下げる力」が求められているのである。
第3章──「トランプ関税」の波紋──世界秩序の転換と日本の立ち位置
2025年の国際経済は、保護主義と分断の時代に突入している。とりわけ米国が再び「トランプ関税」政策を打ち出し、世界のサプライチェーンに再編を強いていることは、日本経済に大きな衝撃を与えている。
・対中輸出入規制の再強化により、日本の中間財・電子部品産業は供給先の見直しを迫られている。
・自由貿易体制の後退とブロック経済化が進み、日本企業は「国際協調」と「経済安全保障」の二律背反の中で苦慮している。
・国内では、円安による資源高と物価上昇が庶民の生活を圧迫し、経済と生活の断絶が広がりつつある。
しかし問題は経済そのものではない。真に問われているのは、「日本という国家が、どの理念に基づいて世界と向き合うのか」という地政学的姿勢である。単なる市場原理ではもはや生き残れない。トランプ関税は、経済の話ではなく「価値観の選択」を迫る警鐘なのである。
乙巳の干支が象徴する「しなやかなる変革力」は、この複雑な国際構造において「自立的調整力」として求められている。外圧に反応するだけの受動国家から脱却し、自国の経済・社会・文化を包括的に再構築できる国家へと脱皮する覚悟が、いま問われている。
第4章──リーダー不在の日本政治──なぜ国家の理念が語られないのか
2025年の政治状況を振り返ると、目を覆いたくなるような指導力の空洞が露呈している。与野党ともに具体的政策論よりもスキャンダルの応酬が続き、国家の根幹を語る場は失われた。
・外交・防衛・移民・教育──いずれも長期戦略が欠如しており、その場しのぎの対応ばかりが目立つ。
・政治家が語るのは「選挙の勝敗」ばかりで、「国家とは何か」「国民とは何か」といった本質的問いは蔑ろにされている。
・官僚機構も過去の遺産に頼り、危機管理の司令塔として機能不全に陥っている。
このリーダーシップの欠如は、単に個々の人物の資質の問題ではない。むしろ、戦後日本が「哲学なき経済発展」に邁進してきた結果として、「国を導く思想の枯渇」に行き着いた当然の帰結である。
安岡正篤先生が提唱した「宰相学」は、まさに今このときのためにあった。宰相とは、単に行政を執行する者ではない。「時代の精神を洞察し、国家の方向を定め、民の心を束ねる存在」である。乙巳の年に私たちが問うべきは、「誰が宰相にふさわしいか」ではなく、「国家の魂を導く理念とは何か」である。
第5章──国家の再生に向けて──「知命・省己・進化」という三位一体の志
乙巳の年を生きるとは、単なる一年のトレンドに振り回されることではない。それは「生き方の転換」「国家意識の覚醒」に他ならない。
ここで、安岡正篤先生が説いた三つの思想「知命」「省己」「進化」を、我々の行動指針として掲げたい。
- 知命──時を知る
混迷の時代にこそ、我々は“時流”ではなく“時機”を読む力を持たねばならない。自国の位置、世界の構造、民族の使命──それらを多角的に読み解き、「今このときの意義」を理解する力こそがリーダーに不可欠である。 - 省己──己を省みる
他者や制度を批判することは容易である。しかし最も困難で、かつ最も根本的な改革は「己の意識変革」である。政治家、官僚、メディア関係者、そして市民──それぞれが「自らの責任」を直視し、沈思し、正すことが国家再生の第一歩である。 - 進化──よりよき在り方へと高まる
進化とは、破壊ではなく再統合である。伝統を軽視するのではなく、そこに新たな価値を融合させる「創造的変革力」が求められる。乙巳の年における“脱皮”とは、まさにこの次元での進化である。
終章──乙巳の年を越えて──日本という存在を取り戻す道
国家とは、地理的領土や制度ではなく、「理念」と「記憶」と「希望」の総体である。そのすべてが揺らいでいる令和7年──この危機の中にこそ、再生への道筋がある。
・国土の保全
・情報の浄化
・経済の自立
・政治の哲学化
これらはすべて、「国家とは何か」「我々はどこへ行こうとしているのか」という根源的な問いに立ち戻ることで見えてくるものである。
乙巳の年を生き抜くということは、「何を守り」「何を変え」「何を目指すのか」を明確にすることである。そしてそれは、「時を読む力」「自らを省みる勇気」「よりよく進化する意志」という、まさに人間としての成熟が試される年でもある。
その問いに、我々はどう答えるのか。
いま、静かなる覚悟の炎が、再びこの国に灯されようとしている。